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(ベアーテ・ヴァルテンベルク)
1970年ベルリン生まれ。ベルリン・フンボルト大学教育学部卒。ド イツ語および英語の教員国家資格を取得後、総合制学校(日本での小学校5年生から中学校2年生までに相当)、基礎学校(日本での小学校1年生から4年生ま でに相当)などでの勤務を経て、現在はバート・フライエンヴァルデの特別支援学校「アルバート・シュヴァイツァー」で教鞭をとる。と同時に、教務主任とし て通常の登校が困難、あるいは情緒の不安定な生徒を対象に生活・倫理・宗教についての授業も行っている。
ベアーテ・ヴァルテンベルクさんはベルリンの北東約60キロのバート・フライエンヴァルデという保養地のある町で教師をしています。小さな町とはいえ、多 くの外国人の子供が通っており、生徒たちの異文化への理解を育むのも大切な仕事。尖閣諸島を巡る日中の対立、ドイツのネオナチを彷彿させるヘイトスピー チ、そして橋下大阪市長の慰安婦を巡る発言など、日本と隣国との関係悪化を不安視しているベアーテさんに、多文化共生の大切さについて寄稿していただきました。
2013年5月25日の夜、サッカーのヨーロッパ・チャンピオンズリーグで初めてドイツのチーム同士、バイエルン・ミュンヘンとボルシア・ドルトム ントが優勝をかけて戦いました。試合が行われたのはロンドンのウェンブレイ・スタジアムです。結果はバイエルンが89分に決勝ゴールを決め、2対1で勝 利。試合終了後、スタジアムで観戦したドイツのアンゲラ・メルケル首相は、決勝戦進出を果たした両チームの選手個々人を称えました。
このこと自体は特別なことではありません。ただし、両クラブの選手たちが欧州連合(EU)内外の国々からやってきていることを考えると、違ったものが見 えてきます。様々な出自や国籍をもったプレーヤーがひとつのチームをつくり、共通の目的のために戦う。彼らがどんな肌の色をしていようが、いかなる言葉を 話そうが関係ありません。ファンは彼らを支え、鼓舞し、勝てばともに喜び、負ければともに残念がるのです(もちろん例外的なファンもいますが)。
私はサッカーファンではありません。なのに「あなたは何が言いたいの」と問われれば、私はこう答えます。「違う文化を背負った人間同士が調和のとれた協力をすることは可能であり、かつ必要なのだ」と。
短期間に100万人規模の人間の命を苦もなく奪い去ることもできるほど、テクノロジーが高度に進歩した今ほど、異なる国民同士の対話が必要とされる時代 はありません。世界の誰もが幸せで、満たされた、尊厳のある生活を送る権利を有し、誰もその権利を蔑んではならない。しかし、過去には人権がないがしろに されることがしばしば起こり、現在も多くの地で解決すべき課題となっています。戦争がいい例です。それは常に社会的弱者にもっとも厳しく直撃します。戦闘 行為に加わる国は、国際社会における信望を失うことも想定しなくてはなりません。
第2次世界大戦から68年が経った今日でも、ドイツの隣国の(とくに年配の)人々はドイツ人のことをあまりよく言いません。ドイツ国民はいまもナチスド イツのネガティブなイメージを背負っている部分があります。過去を繰り返してはいけないということは言うまでもありませんが、同時に、反ナチス闘争で命を 落とした、たとえば「白いバラ」グループのハンスとゾフィのショル兄妹など、多くの抵抗闘争を行ったドイツ人のことも忘れるべきではないと思うのです。
ポジティブな歴史はしばしば遠景に退けられがちです。他者を批判し、相手の弱点を言い募っていた方が楽ですから。しかし、相互の信頼と敬意の基盤を築くためには、ポジティブな歴史も強調されるべきではないでしょうか。
私は日本の大阪市長の第2次世界大戦における慰安婦の存在を容認するかのような発言に懸念を抱きました。それが人権を踏みにじる行為であることは明らか です。日本国民の大多数が彼の発言を支持していないこと、それが国際社会に十分伝わっていることは承知しています。そうでなければ個人の考えが国民の総意 と受け取られかねなかったでしょう。それは極めて非生産的かつとても危険なことです。
ドイツにも「永遠の昨日」と呼ばれるものがあります。ナチスの理念の賛美です。驚くべきは若い世代にしばしば排外主義的な言動が見られることです。ドイ ツの憲法(基本法)は極右主義および外国人排斥に基づく行動を禁じています。国民のなかには極右に反対する動きがあり、それらは幸いにも国際社会や隣国で も知られています(訳者注:たとえば5月11日に彼女の住むブランデンブルグ州フィノウフルトという町で、650人のネオナチを集めた極右のコンサートが 開かれた際、地元や州の政治家も加わった1200人規模の反ナチデモが行われ、コンサートの最中にヒトラー式敬礼が繰り返されると地元当局および連邦警察 がコンサートを解散させた。ブランデンブルク州内務省のスポークスマン、インゴ・デッカーは「私有地で開かれるコンサートを禁じることはできないが、われ われ市民社会は反ナチの姿勢を、当局は極右的行動には強硬措置をとりうることを示した」と述べた。『メルキッシェ・オーダーツァイツンク』)
ここで私は冒頭のサッカーの試合における例外的なファンについて述べたいと思います。ロンドンのスタジアムにはボルシア・ドルトムントのフーリガンが約 50人いましたが、暴力がエスカレートする前に彼らは拘束されました。早急な対応が決勝戦を最悪の記憶にすることを避けたのです。これはクラブにとって も、世論にとっても明確な意思表示でした。
明確な意思表示といえば、北朝鮮が武力による脅迫から対話の用意がある姿勢を示しています。私は、極東・東アジアで近い将来に平和が実現すると考え、 願っている一人です。それを実現するのは外交ですが、日本国民は平和のための、反原発デモで示したような、公の行動をとるべきではないかと思います。もち ろんすべてを1日で変えることはできませんが、自分たちの意思は常に伝えられるし、伝えなければならない。もっとも重要なのは互いの建設的な対話です。脅 迫や挑発合戦は逆効果であり、恐ろしい結果を招くだけだと思うのです。
「黙っていることは、賛成しているのと同じ」とは、しばしば指摘されること。
原発再稼働や海外輸出を進めようとする政府の方針について、
安倍首相や橋下大阪市長が口にする歴史認識について、
「おかしい」と思うのならば、それをきちんと外に向けて示さなくてはならない。
それが、海外の国々との対話と理解の第一歩になるのではないでしょうか。
フランス在住です。
政府の同化政策による市民講座、語学習得、テストなどを受けたひとりとして、多文化共生についてお話させてください。どうしても移民に厳しい意見になりますが、それは実体験した上での意見であるので、どうか御見苦しい部分はお許しください。
フランスでは移民問題といえばイスラム系(北アフリカ、マグレブ系)が筆頭にあげられると思います。ライシテを掲げるフランスにおいて、宗教という共通コミュニティが存在するイスラームは、フランスの文化には正直馴染みません。わたしの住まいにも3家族のイスラームの方々がおりますが、景観を重視する土地柄もあり、洗濯の干し方などの決まりを守らない移民家族とフランス人とのトラブルは後を絶ちません。近所のひとりとして見ていて思うのは、フランス人が別に無理難題を押し付けているわけではなく、移民家族が決まりを破り続けるので、解決ができないという本当に単純なものです。
市民講座、語学学校でもそうですが、フランスの法律やルールよりも自分たちが持ち込む宗教や習慣を主張されても、うまくいくはずがありません。誤解を恐れずにあえて発言すれば、他国籍の生徒が一生懸命に勉強していても、彼らは歩き回り、菓子類を食べ、他生徒の邪魔をし、言葉ができないため就職が難しいという当たり前のことを理解しようとはせず、そのかわり、いうなる生活保護についての手続き方法はよく知っていました。もちろん、全員がこうした方々ではないのでしょうが、わたしが出会った学校の生徒30名ほどは似たようなものでした。学校には強制された280時間、4か月ほど通学しましたが、正直、考えさせられるものがありました。
もし自由というものを前提に話をするのであれば、それは片方の理解だけではなく、相互理解が本当の意味でなされなければ実現しないと思います。もちろん、共生については賛成です。けれど、きれいごとだけ並べても、それはお互いに努力が必要であることと無関係でないとも思います。
ちなみに本当に高い税金を安い給与(平均月収1500€)から支払うフランス人の生活も決して豊かではありません。その中でどうにかやりくりをして、家を買う、マンションを買うというときに、市が貧しい方々用に購入の意向を伝えられてしまえば、希望物件は一般フランス人は購入できません。もちろん、それは移民である場合にも同様に購入できないわけですが、普通に考えても、正規に購入したい者を差し押さえ市が貧困家庭に提供するため
の住宅を一般集合住宅に用意した場合、分譲者と市の保護下にある方々では、生活レベル、もっといえば教育レベルにあまりにも開きがあり馴染みません。実際に生活をしてみればよくおわかりになると思いますが、言うほど簡単ではないと思います。