Kathrin Hadba(カトリン・ハドバ)1961年ベルリン生まれ。ベルリン・フンボルト大学日本語学科卒。その後、同大学で経営学と外国語(フランス語、オランダ語、ロシア語)も学ぶ。現在、日英両語の通訳ならびに旅行ガイド。
何度も来日の経験があるカトリン・ハドバさんから、東日本大震災と福島原発事故に対する個人的な思いや友人たちの反応、そして反原発を党是として掲げてきた緑の党について、友人の声やベルリンの街角の様子も交えて寄稿していただきました。
3・11の衝撃
3月11日の東日本大震災のニュースに私は震えが止まりませんでした。世界最大規模の地震と津波。やがて想像を超えた規模の被害が明らかになり、それに続いて、福島第一原子力発電所の事故の知らせが入ってきました。最大級の天災に対するショックにさらなる衝撃が加わり、私は言葉を失うとともに、日本に住むたくさんの知人のこと、そして私が忘れることのできない数多くの経験をした、活気あふれる大都市・東京がどうなっているのか、もし福島原発で核分裂反応が生じたら人々はどこへ避難すればいいのかと心配が募っていくばかりでした。
私は何日間も時間があれば大震災と原発事故に関する新しい情報を、テレビやインターネットを通して集めていました。そしてしばしば涙が止まらなくなりました。
友人や職場の同僚と会うときの最初の話題はいつも日本で起こった恐ろしい出来事についてでした。私たちの仲間内では、原発を今後も保持していけると考える者は誰一人いません。ベルリンで開催される反原発デモに参加しようと語り合ったり、クルマに反原発のステッカーを貼るといった小さなアクションを起こしたりしています。
私たちが脱原子力を望んでいることは言うまでもありませんが、フランスやロシア、中国が新しい原子力発電所を建設あるいは建設を計画している現在、(ドイツの)脱原子力政策は無意味なのではないか。私が友人にそう語ったところ、彼は「ドイツが脱原子力を進める国の先行例となることに大きな意味がある」と答えました。彼の言葉は、私たちが従来の思考を転換し、実行していかなければならないことを確信させるものでした。(脱原子力を実現するには)時間とコストがかかります。でも、そのことが私たちの歩みを妨げるものであってはなりません。原発を廃止するためのコストは、私たちの子供や孫の命、すなわち私たちの未来のための投資なのです。そうであれば決して高すぎるものではありません。私たちは新しい道に向かう準備をしなければならないと思います。フクシマが常に意識の中に
私たちの認識はチェルノブイリ原発事故が起こった25年前とは変わりました。当時も私たちは原発がどのような危険をはらんでいるかを知っていましたが、多くの人々は技術の優位性を、そして自分たちが自然を支配できると信じていました。でも、3・11は、誰も従来のようにやっていくことはできないという別の教訓をもたらしたのです。
ドイツでは日々「エネルギー政策の転換」について語られています。各政党内でも避けて通ることのできないテーマであり、そのための道筋や方法が議論されています。私自身も、家での電力や水の使い方、自動車を含めた交通手段のあり方など、エネルギーの消費に注意するようになりました。フクシマが常に意識のなかにあるのです。
ドイツの政党のなかでは緑の党が常に厳しく原子力の利用の危険性を指摘し、明確に脱原子力ならびに再生可能エネルギーの利用と発展を主張してきました。緑の党の一貫性は、多くの人々の信頼を獲得したと思います。というのも他党がこのテーマについて語る際、彼らは(原子力を)どう扱いたいのかがはっきりしなかったからです。党としての政策の継続性を示すことも、党の代表者の意見に統一性をもたせることもできませんでした。だから有権者は信じることができなかったのです。緑の党に期待する声
友人のスーザン(40才)は旧東ドイツのハレという街の書店で働く3人の子供の母親です。彼女が私に次のように書いてきました。
「私は、唯一の理性的な政党として緑の党に投票してきた。緑の党の考えはときにユートピアすぎるかもしれない。たとえばガソリン価格を1リットル当たり5ユーロにするとか。でも、いいじゃない。彼らは私たちを目覚めさせ、熟考させようとしているのだから。緑の党の考え方は明確で、数カ月ごとにころころ変えることはない。フクシマの事故を知ったとき、私の頭は混乱し、映像を見たときには涙が出てきた。チェルノブイリの事故があったとき、私は16才だったので当時のことをはっきり覚えている。だから、(福島原発事故に関する)日本政府の最初の発表を聞いたとき、事態はもっと悪いだろうと思った。その後、事故の国際評価尺度は最悪のレベル7に引き上げられたけれど、その評価は早い時点で明らかだったと思う。たとえばグリーンピースは(そうした正確な評価を)求めていた。新しいエネルギー源は不可欠。さらなる研究と開発がなされなければならないと思う。原子力は3・11があったから認めがたいのではないし、化石燃料だけでやっていくこともできない。個人的には電気料金の値上げは仕方がないと思っている。電力大手だけがそれによって潤うことがないかは心配だけれども、私たちの政府は時間をかけて熟慮し、脱原子力を進めるべきだと思う。外国からの原子力による電力もほしくない。けれども私たちの隣国は原発をもっている。だからこれはドイツに止まらない、グローバルな問題。緑の党出身のドイツの首相の誕生を願っている」
大型自動車の配送サービス会社に勤めているシュテファン(39才)もまた、今回の惨事に大きなショックを受けた1人でした。彼は仕事を通して多くの日本人と知り合ったので、彼らが今どうしているか心配でならないといいます。とくに彼に衝撃を与えたのは、日本国内に(54基もの)たくさんの原発があるということでした。彼には、地震が頻繁に起こる日本でこれほど多くの原発が建設されたことが信じられなかったのです。
シュテファンはドイツの脱原子力を望んでいるけれども、それは高くつくだろうとも思っていると言います。近い将来の実現は不可能であり、自分が生きているうちは無理なので、そのためのコストを払うことにためらいがあると。緑の党を支持することに変わりはないと言いますが。放射能に対する警戒心
福島原発事故に対するドイツ国民の反応は大きく、先週末(4月下旬)にはチェルノブリ原発事故25周年の特集が、ドイツの公共放送である第2チャンネルで19時から放映されました。事故の影響に関するルポルタージュによると、現在でも南ドイツでは森の中のキノコや動物に、比較的高い放射線量が検出されるそうです。多くのドイツ国民は放射能に汚染された日本の商品がドイツに輸入されること、福島原発事故の影響が自分たちに及ぶことに警戒心を抱いているとも報じられていました。
先日の復活祭、ドイツの各都市では、多くの人々が通りに出ました。とりわけ今年は、アラブ諸国の民主化デモに対する弾圧、リビアにおけるNATO軍の介入、そしてドイツの脱原子力と、デモに参加する多くの機会があったからです。
日本国内のみならず、
海外にも大きな衝撃を与えた福島の原発事故。
脱原発デモに25万人が集まるなど、
大きな変化が起ころうとしているように見えるドイツ。
そして、日本は?