こんにちは。
3月31日に、国際司法裁判所が南極での調査捕鯨に違法判決を下してから、調査捕鯨がニュースでとりあげられることが多くなりました。
とくに、ニュースや特集記事で、この判決によって「鯨肉が食べられなくなるのでは」とか、「日本の伝統が消えてしまう」というストーリーが繰り返し伝えられているのを見ると、「伝統捕鯨神話」がさらに広まっていくのではと危機感を感じます。
長年、この問題に取り組んできた私としても、言いたいことがたくさんありますが、今回は「伝統捕鯨神話」について4つのポイントで論じていきたいと思います。
その1、遠洋捕鯨は伝統ですか?
日本は西洋の捕鯨技術を輸入して、1930年代に南極海の商業捕鯨を開始しました。当時は、戦費を稼ぐための鯨油目的だったので、鯨肉をたくさん廃棄していたと言われています。敗戦後、飢えに苦しんでいた日本人のためにGHQが南極での捕鯨を許可し、南極から鯨肉を大量に持ち帰ったのが、日本人全体が鯨を食べた最初のことです。
ですから、今回の判決で南極海の捕鯨をやめることと日本の「伝統」とは、まったく関係がないのですが、「伝統をまもれ」という感情的な議論は、読者や視聴者の受けが良いのか繰り返され続けています。
その2、鯨肉を大量輸入も伝統ですか?
国内ではほとんど報じられていませんが、5月7日夜、大阪港に、アイスランドから絶滅危惧種であるナガスクジラの鯨肉約2000トンを積んだ貨物船が到着しました。鯨肉の輸入としては、過去最大となる規模です(注1)。鯨肉の年間の消費量が約3000トンと言われている(注2)ので、年間消費量の3分の2となります。国際司法裁判所の判決で「鯨が食べられなくなる」と報道しているメディアは、この輸入もしっかりと伝えるべきですが、「日本の捕鯨は伝統」という主張とつじつまが合わないのかほとんど報じられません。
しかも、アイスランドの輸出統計を見ると1キロあたり700円程度と格安です(注1)。これが日本の市場で、部位にもよりますが1キロ1万円から2万円にもなります。ちなみに、アイスランドで行われているナガスクジラを対象にした捕鯨は日本への輸出用のみで、アイスランド国内では需要がありません。つまり、日本の市場向けの産業的な捕鯨で、こちらも伝統とは一切関係ありません。
その3、ワシントン条約規制対象種を食べるのも伝統ですか?
ナガスクジラなどの鯨類はワシントン条約で規制対象種となっています。空港などでガラスケースに「輸入が禁止されている生物」としてカメとかワニとかが展示されているのを見たことがあると思いますが、クジラも同様に規制対象です。ところが、日本がこのワシントン条約の鯨類規制の部分を認めていないため、鯨肉の輸入が可能となっているのです。
象牙などが商業目的での輸出入が禁止されていることは良く知られていますが、それと同様に世界の大多数の国々では鯨肉も規制されています。
その4、科学を偽るのも伝統ですか?
5月12日からは、捕鯨を議論する国際捕鯨委員会の科学者会合がスロベニアではじまりました。この場所で、日本政府は判決を受けて中止、縮小した南極海、そして北西太平洋での「調査捕鯨」の科学性を説明するということです。
しかし、「調査捕鯨」が本当に「調査」を目的として行われていると思っている人がどれぐらいいるでしょうか?
その証拠に、ニュースでは「調査捕鯨」の話だとしても、「鯨肉が食べられなくなるかもしれない」という話ばかりでその「科学性」についてはほとんど話されません。つまり、「調査」という偽りの看板をかかげて、鯨肉を市場に出すことが主目的であるのは誰の目にも明らかなのです。
そして、この「非科学性」こそが国際司法裁判所が厳しく批判した点です。「科学性」が議論されているのに、「これは日本の伝統だ。批判されるのはおかしい」という発言を聞くと、調査捕鯨の主目的が「科学ではない」ことがより浮き彫りになっていきます。
偽りの科学も、日本の伝統でしょうか?
「伝統捕鯨神話」を疑う必要性
「文化だ」「伝統だ」という言葉は、反論することを許さない雰囲気を作る効果があります。だからこそ、その言葉が本当に事実を反映しているのかを疑う目が必要です。
今月号(2014年6月号)の月刊誌『世界』にノンフィクションライターの古木杜恵氏が「“調査”捕鯨は誰のものか」という記事を書いています。その中で古木氏は「“捕鯨サークル”あるいは“捕鯨トライアングル”と呼ばれる利権集団『捕鯨ムラ』がうごめき、『原子力ムラ』がつくり上げた『原発安全神話』と同様の『伝統捕鯨神話』が見え隠れする」と表現しています。
こうした「伝統捕鯨神話」の中で、調査捕鯨は伝統だというプロパガンダが浸透し、過去には復興予算23億円が調査捕鯨の実施団体の借金返済に使われたり、近年では、毎年約50億円の費用のほとんどが税金でまかなわれていたりという状況になっています。
そして、私が日本人としてしっかりと考えなければいけないと思うのは、すでに南極海で商業捕鯨を行いたいという企業が存在しないという点です。商業捕鯨の再開を目的として続けてきた調査捕鯨はすでにその目的を失っているのです。目的を失っているのにもかかわらず、「国際的な批判に屈してはいけない」という感情論で税金を投入して続けているのが「調査捕鯨」です。利権が絡んだ無駄な公共事業の典型でしょう。
捕鯨問題だけではないですが、あらゆる社会問題の常識を疑うことも必要だと思います。
(注1) アイスランド貿易統計より
(注2) 「土俵際の調査捕鯨 国際司法裁、31日判決」2014年3月26日 朝日新聞
国際司法裁判所の判決が出た際には、テレビ番組などでもなぜか、伝統的な沿岸捕鯨で知られる和歌山県・太地町(こちらの捕鯨の歴史は17世紀初めにまでさかのぼるとされます)の漁師さんにインタビューし、「鯨が捕れなくなるのは困る」といった言葉を引き出す――といった光景が見られました。しかし本来、国際司法裁の判決は南極海の調査捕鯨に対するものであって、これらの沿岸捕鯨とはまた別問題。意図的になのかどうかは分かりませんが、議論がごちゃごちゃにされているように思えてなりません。「国際社会の圧力だ」という前に、何に対する、どんな理由での批判なのか、私たちが本当に守りたいものはなんなのか、もう一度考えてみるべきでは?
「第41回 『当たり前』を疑う力——『伝統捕鯨神話』に反論する」を読んで、疑問が二つあります。
まず、magazine9 さんは「国際司法裁の判決は南極海の調査捕鯨に対するものであって、これらの沿岸捕鯨とはまた別問題。」とコメントされていましたが、佐藤潤一さんやグリンピースとしては日本の伝統的な沿岸捕鯨に関しては容認される立場なのでしょうか?
もうひとつは、動物福祉の観点を強く押し出す以外の論法で、IUCNで定められた保全状況では軽度懸念(Least Concern、LC)と定義されるミンククジラの捕鯨を禁止すべきという合理的な説明が可能なのでしょうか?
欧米流の動物福祉の観点を絶対化すると、南氷洋での捕鯨はおろか、伝統的な沿岸捕鯨も不可能となり、論理的には「伝統的捕鯨神話に反論する」必要も無くなるということになると思うのですが……。
伝統捕鯨神話もなにも日本に鯨食文化はあるのは間違いないのです。であれば絶滅の危険性が無い鯨の捕鯨について文句を言うのは間違いじゃないですか?
食文化は国の数だけ異なるのです。他国の食文化を一方的に押し付けることは絶対に行っていはいけない事です。
太地町のイルカ漁は典型的な伝統的な沿岸捕鯨ですがグリーンピースは反対しています。
南極海の調査捕鯨が完全に無くなれば次のターゲットは沿岸捕鯨なのは間違いないでしょう。
結局、伝統とか鯨の数が問題ではなく、鯨と言う種を神聖視し、これを殺すことは何があっても許されないという宗教的な活動でしかないのです。
伝統捕鯨神話をどうこう言う前に鯨は神聖な動物であるという神話を先に疑うべきじゃないですか。
調査捕鯨と言いつつ鯨の肉を打っているじゃないかと文句を言いますが、調査捕鯨で獲った鯨を有効活用するのはIWCに規定されているのですが? 何の問題も無いでしょう。
絶対に避けなければいけないのは捕鯨による鯨の絶滅であり、それを防ぐ為に獲る量を管理、制限しようというのがIWCの設立理由であるはずです。にもかかわらず、現在のIWCは捕鯨反対派に支配され、本来の目的を完全に見失っています。存在価値が無くなったと言ってもいいでしょう。
本来であれば捕鯨に反対な国はIWCにいる資格がありません。と言っても聞かないでしょうから日本はIWCからの脱退も検討すべきではないでしょうか。