最高裁の違憲判決を検証する
今回は6月4日の婚外子国籍法違憲判決から憲法9条について考えてみたいと思います。これまで、最高裁は7つの法令違憲判決を出していました。刑法の尊属殺人規定(平等権)、2つの議員定数不均衡(平等権、選挙権)、薬事法距離制限(職業選択の自由)、森林法(財産権)、郵便法(国家賠償請求権)、在外日本人選挙権制限(選挙権)に対する違憲判決です。そして今回も、平等権に関するものです。
こうしてみると、平等権と選挙権についての違憲判決が多いことがわかります。これに表現の自由が付け加わるとよいのですが、これに関しては最高裁はかなり冷淡です。民主主義にとって不可欠の人権でありながら、その保障が十分とはいえません。
さて、今回の違憲判決ですが、婚姻関係にない日本人の父と外国人の母の間に生まれた子どもが出生後、父から認知を受け、日本人を父に持つ子どもであることがはっきりしたにも関わらず、父母が結婚しないとその子どもは日本国籍を取得できないことになっている国籍法3条1項が、合理的理由のない差別であり憲法14条1項(法の下の平等)に違反するというものです。
こうした場面で、父母が結婚すると子どもは嫡出子の身分を取得することになっています(民法789条)。これを準正といいますが、この準正によって、日本国民である父との生活の一体化が生じ、家族生活を通じた我が国社会との密接な結びつきが生じることから、これを国籍取得の要件にしたわけです。
ですが、この準正を条件とすることは、「我が国における社会的,経済的環境等の変化に伴って,夫婦共同生活の在り方を含む家族生活や親子関係に関する意識も一様ではなくなってきており,今日では,出生数に占める非嫡出子の割合が増加するなど,家族生活や親子関係の実態も変化し多様化してきている」ため日本の国内事情に合わなくなってきていると多数意見は指摘します。
そして、「諸外国においては,非嫡出子に対する法的な差別的取扱いを解消する方向にあることがうかがわれ,我が国が批准した市民的及び政治的権利に関する国際規約及び児童の権利に関する条約にも,児童が出生によっていかなる差別も受けないとする趣旨の規定が存する」として、国際的な社会的環境の変化も考慮して、この条件は合理性がないとしました。
このように家族生活や親子関係のあり方が多様化してきたことを理由にしての判断は、説得力があります。そして、帰化の道が開かれているといっても、帰化は法務大臣の裁量行為であり、当然に日本国籍を取得できるわけではないから、差別を正当化することはできないとしています。
これに対して、反対意見では、非嫡出子の出生数は昭和60年において14168人(1.0%)だったものが平成15年に21634人(1.9%)になっただけであり、増加しているもののその程度はわずかであり、家族関係のあり方についての国民の意識に大きな変化はないと評価しています。100人に1人だった非嫡出子が50人に1人になったのですから、もう特別の存在と考える必要すらないと思うのですが、反対意見を書いた裁判官はそう考えていないようです。
そして、非嫡出子が30%を越える外国と比べることなどできないとして諸外国の動向を考慮することは相当でないとしています。帰化に関しても、反対意見では、制度趣旨を踏まえた合理的な運用がなされるのだからこの制度を軽視するべきでないとしています。要するに裁判所は子どもたちを救済することはしない。帰化すればいいだろうということです。
ずいぶんと形式的で官僚的な言い方だなあ、子どもの立場に立って考えていないなあと思って、この反対意見を書いた3人の裁判官のプロフィールを確認してみました。すると、横尾和子裁判官は厚生官僚出身で社会保険庁長官をやっていました。津野修裁判官は大蔵省に入り、その後内閣法制局長官になっています。2人ともバリバリの行政官僚出身です。吉田佑紀裁判官は検察出身で、盗聴法や改正少年法にかかわった法務官僚でした。これで納得しました。
日本国籍の有無による差別
こうして比較してみると、裁判官一人ひとりの国家観や価値観が見えてきて興味深いものがあります。私は多数意見に賛成なのですが、ただひとつ賛成できないところがあります。それは、多数意見は、国籍取得の要件で不当な差別になっていないかを慎重に検討する必要があるとする理由として国籍の意義を次のように述べている点です。
「日本国籍は,我が国の構成員としての資格であるとともに,我が国において基本的人権の保障,公的資格の付与,公的給付等を受ける上で意味を持つ重要な法的地位でもある。」つまり、国籍によるこうした差別があることを前提に、だから国籍の取得が重要な意味を持つとしているのです。 しかし、そもそもこうした国籍による差別自体をなくしていかなければなりません。外国人の人権といって特別扱いすることがなくなり、国際結婚という言葉もなくなる時代がくればいいなあと思っています。
さて、この判決は準正によって嫡出子たる身分を取得していない子ども、つまり非嫡出子を差別することを問題にしました。ならば、非嫡出子の相続分に関する差別も許されないと考えるべきでしょう。家族生活や親子関係のあり方の多様性が認められる社会が憲法の個人の尊重(13条)という理念に合致した社会だと考えます。
民族や文化、価値観の多様性と愛国心
この多様性という点で、6月6日に、参議院と衆議院で、『アイヌ民族を先住民族と認める決議』が採択されたことは画期的な出来事と評価できます。これまで日本政府は「アイヌ民族は先住民族だと認定出来ない」と繰り返していました。
1899年制定の北海道旧土人保護法はアイヌの保護を名目としながら、アイヌ民族を旧土人として差別し同化を強要するものであり、憲法14条違反の法律でした。こんな法律が、1997年にいわゆるアイヌ文化振興法ができるまで存続していたのです。その後も、政府はアイヌを日本の先住民族とは認めませんでした。
今回の決議により、日本における民族や文化の多様性が明確になり、画一的に日本民族の文化・伝統を守れと叫ぶことがいかに愚かなことか政治家も自覚することでしょう。
こうして民族の多様性が認められ、家族や親子などの社会の価値観の多様性が認められるようになると、日本国民としてのアイデンティティをどこに求めるかが問題になってきます。国家としてまとまるために皆が共有する価値基準をどうするかということです。
私は、特定の国家への帰属を意味する国籍や国民という概念自体、最終的には不要になればいいと思っていますが、現在は主権国家の併存する国際社会ですから、国家のアイデンティティやそこに帰属する国民としてのアイデンティティが必要になります。あえて愛国心という言葉を使うのなら、国民からみた愛国心の対象といってもいいでしょう。
それは、日本民族の文化・伝統ではなく、憲法9条であるべきだと思っています。これからますますこの日本で生活する人々の価値観が多様化し、移民や帰化などにより民族も多様化していくことが予想されます。そうした時代に人々を結びつけ、皆で共有できる価値の具現化として憲法9条がますます重要な意味を持っていくと考えています。
ドイツでは憲法愛国主義という言葉があるそうです。それになぞらえれば、憲法9条愛国主義こそがめざすべき方向ではないでしょうか。本来は価値中立的な立憲主義という旗を掲げその下に集まるというのが、憲法論としては正解なのかもしれません。ですが、私はあえて9条という価値を持ちだしたいのです。そこに人類の希望を未来を感じるからです。