「さようなら原発 10万人集会」に参加
海の日の7月16日、代々木公園で「さようなら原発 10万人集会」が行われました。新聞・テレビなどでも大きく報道されていたので、ご存知の方も多いと思います。
この集会は、大江健三郎さんや落合恵子さんらが呼びかけ人となって、「さようなら原発一千万人署名市民の会」が主催したものです。当日は33℃という暑い中、「原発反対」を訴え、約17万人もの人が代々木公園に集まったそうです。そんな集会に、私も「原発は違憲!」というのぼりを持って、参加してきました。
そして、この日は東京だけではなく、札幌や京都、福岡など各地でこの集会に連帯して集会やデモが行われました。また、毎週金曜日に、首相官邸前で行われている原発の再稼働を反対する集会も参加者の数がどんどん増えていき、大飯原発3号機の再稼働直前の6月29日には15万人以上の人が集まりました。
しかし、そんな国民の声を無視するように、大飯原発は再稼働されました。福島原発の事故の原因究明がなされないままに、「脱原発」から「再稼働の可否」へと話が変わり、結局は今までどおり、「電力会社と国でちゃんと安全管理しながら原発を進めていきます」という方向に戻ってしまっています。
間違いが起きた時にその事実を直視し、原因をしっかりと究明して過ちを繰り返さないというのが人間の“知性”であるはずです。それにもかかわらず、事実をあいまいにし、責任の所在を不明確にしながら同じことを繰り返そうとしている現状をみると、原爆を2つも落とされて初めて敗戦を認めたときよりもさらにひどい状況のように思われます。
ただ、今回、「さようなら原発 10万人集会」に参加して、17万分の1の声を上げることができました。多くの人たちが自らの意思で声を上げている姿に直接触れることもできました。この国にも“知性”を発揮する素地があることを実感できたことは私にとっては大きな力になりました。
安全保障のための原子力・宇宙航空技術
このような原発そのものや再稼働に反対する集会が行われている中、先月20日には、国会で新たな原子力規制を担う「原子力規制委員会設置法(以下、設置法)」が成立しました。設置法の目的規定である第1条には、「この法律は、…原子力規制委員会を設置し、もって国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的とする」と書かれています。
つまり、原発の安全規制を一元的に担う原子力規制委員会を設置するのは、国民の生命や財産などを守るだけではなく、国の安全保障のためでもあるとしたのです。
そして、設置法は附則によって、『原子力の憲法』と言われる原子力基本法の第2条(基本方針)を改定しています。具体的にいうと、設置法の2条に合わせる形で、原子力の安全確保については、国民の生命や財産などと共に、「我が国の安全保障に資することを目的とする」との一文を追加しているのです(基本法2条2項)。
政府は、設置法の成立前後において、「(原子力の)平和利用の原則は揺るがず、軍事転用の考えはない」としてはいるものの、そもそも原発と核兵器の開発が表裏一体である以上、日本政府は原子力技術を平和目的から防衛目的で利用できるように、方向を転換したといえるでしょう。
また、設置法が成立した同じ日には、改正JAXA法(独立行政法人宇宙航空研究開発機構法)も成立しており、第4条の機構の目的にあった「平和の目的に限り」との文言を削除して、偵察衛星や早期警戒衛星など、宇宙航空技術を軍事利用できるように改定していることも見逃せません。
政府は消費税増税の議論に紛れ、ほとんど議論もせずに原子力や宇宙航空技術を防衛目的で利用するという国家としての重要な意思決定をしてしまいました。私たち国民はこのような状況をしっかりと踏まえて、来るべき選挙の際に、主権者としての意思表明をしなければなりません。
国家が国民を管理しやすいようにする
「マイナンバー法案」
設置法と同様に、今国会で政府が成立を目指している法律で、私たちが注意しなければならないものとして「行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律案(以下、マイナンバー法案)」が挙げられます。
この法案で導入しようとしているマイナンバー制度とは、国民一人ひとりに官民問わず利用可能な番号を付与し、その番号を本人確認(公的認証)に利用したり、その番号を基点として様々な個人情報を紐付けた上で、その情報を利用したりするものです。
そして、マイナンバー制度の導入について、政府は「公平な税負担」と「真に必要としている人へ社会保障を提供する」ことなどを目的としていますが、実際には非常に問題点の多い制度になっています。
まず、挙げられるのは、そもそも政府自体がマンナンバー制度の限界を自認している点です。
政府は昨年6月に「社会保障・税番号大綱」を発表しているのですが、その中で『番号制度の限界』という見出しまでつけて、「全ての取引や所得を把握し不正申告や不正受給をゼロにすることなどは非現実的であり」、「事業所得や海外資産・取引情報の把握には限界がある」と記載しているのです。つまり、マイナンバー制度を導入する目的すら達成困難であることを政府自らが認めているのです。
このように、導入目的すら達成し得ない制度に数千億円ともいわれる莫大な費用を投入しても、制度導入8年半経過した今でもたった5.1%しか普及していない住基ネット(住民基本台帳カード)同様、結局は税金の無駄遣いに終わる可能性が非常に高いのです。この費用対効果がまったく不明である点はマイナンバー制度の大きな問題点であるといえます。つまり立法の必要性・合理性がないということです。
そして、最大の問題は、プライバシー侵害のリスクが甚大である点です。各人に付与された番号を基点にあらゆる個人情報が民間機関においても集約・管理されるため、プライバシー権(自己情報コントロール権)が侵害されると同時に、個人情報が漏洩する恐れがきわめて大きいのです。また、誰でも個人情報の名寄せ・マッチングができてしまったり、他人になりすましたりできるなどの危険性も生じてきます。
特に公的機関による情報収集によって、国家の前に国民が丸裸にされてしまい、およそ国民主権の国家とは正反対の状況が現実化されてしまうことは極めて問題です。
私は国家が国民を管理しやすいようにするというのが、マイナンバー制度を導入する一番の目的ではないかと思っています。このマイナンバー法案は現在、衆院すら通過していない状況ではありますが、このような法案を成立させないように、国民一人ひとりが危機意識を持っていなければなりません。
国家の情報を国民に秘密にする
「秘密保全法」
このマイナンバー制度が、国家による国民に関する情報の収集・管理であるのに対し、国家の持つ情報をいかに国民に秘密にするかという観点から、「秘密保全法制」を導入しようという動きがあることも知っておくべきでしょう。
秘密保全法制とは、国家の持つ情報のうち、①国の安全、②外交、③公共の安全及び秩序の維持に関するものを“特別秘密”に指定し、その秘密を漏洩、探知、収集した公務員及び民間人を処罰するものです。
この制度もマイナンバー制度同様、非常に多くの問題点があるのですが、まず、問題点として挙げられるのは、本法制が秘密を漏らす行為だけではなく、情報を知ろうとする行為にまで処罰の対象を広げていることです。例えば、沖縄返還密約や核持込密約などについての情報を収集し、国民に知らせようとするマスコミの記者などが刑罰によって処分されることになりうるのです。もちろん、一般市民がインターネットなどで「イラクで航空自衛隊が何を運んでいたかの情報を教えて欲しい」とつぶやくだけで、その人は処罰されてしまう可能性があります。つまり、本法制はマスコミの取材活動の自由や国民の知る権利を著しく侵害するのです。
本来、国民主権の国では、国家の情報は最終的には主権者である国民に帰属するべきものです。にもかかわらず、行政機関自らが秘密指定をして、情報を隠蔽できるとなると、国民が国家の活動を監視できなくなってしまいます。これではおよそ民主主義国家とはいえません。
また、そもそも特別秘密に該当する三分野の概念が不明確であるため、国民の表現の自由に対する規制として許されない(=漠然性ゆえに無効である)点も大きな問題といえます。特に、「公共の安全及び秩序の維持」についての秘密指定は問題です。例えば、原発事故に関する情報を国民に知らせるとパニックなるから特別秘密に指定すると政府が判断すれば、この情報を隠蔽することが法律によって正当化されてしまうのです。昨年の東日本大震災で、「SPEEDI」による放射能汚染地域予測データが提供されず、浪江町民を含め多くの人が不要な被曝をしたことを私たちは忘れてはいけません。しかも、この「公共の安全及び秩序の維持」という分野を“特別秘密”にしたのは、警察の強い意向によるものであり、本法制は国家による情報統制の仕上げともいえます。
さらに、本法制の大きな問題点の一つとして「適性評価制度」があります。これは、秘密の取扱者として適性があるかどうかを事前に行政機関が調査するものなのですが、調査事項が氏名や住所など人定事項に限らず、犯罪歴、預貯金などの信用情報、通院歴、アルコールや薬物の影響などあらゆる事項に及び、しかも、配偶者や知人、恩師など対象者の身近にいて、その行動に影響を与えうる人をも調査できるとしているので、マイナンバー制度同様、プライバシー侵害の程度が甚大であるといえます。
そして、調査の開始は対象者の同意を得てからはじめることになっていますが、不同意によって職場の配置転換や降格など不利益・差別を受ける恐れがあることから、同意に対する自由意思が制約されている上に、適性の有無は行政の裁量判断に委ねられ、評価基準が公表されないため、手続面での恣意を防ぐことはできません。
このように「適性評価制度」だけでもプライバシー権、平等権、思想良心の自由、信教の自由など重要な人権を侵害するものであり、適正手続の保障にも反するものです。
では、なぜこのような秘密保全法制が導入されようとしているのでしょうか。表向きは、一昨年に起きた尖閣諸島沖中国漁船衝突ビデオ流出事件をきっかけに、政府に設置された「秘密保全のための法制の在り方に関する有識者会議」が発表した報告書に基づいて法案が作成されることになっています。しかし、この有識者会議の事務局が防衛省、外務省、警察庁などの出向者で構成されていることから、実質的には官僚の意向によって、本法制の導入が進められているといえるでしょう。それを表すように、事務局作成の案がそのまま有識者会議の報告書になっているなど、有識者会議は単に官僚の作成した案にお墨付きを与えるだけの組織であったといわざるをえません。
しかも、政府による情報統制はここ数年にはじまったことではありません。
ご記憶の方がいるかもしれませんが、1985年には国家秘密法案(いわゆるスパイ防止法案)が国会に提出されています。この法案は、防衛・外交秘密について、一般の国民やマスコミが、秘密事項を伝達したり報道したりした場合に懲役5年以下の刑が科せられること、処罰される行為が未遂、過失(書類等の紛失など)、さらには機密事項の探知・収集のような予備行為や独立教唆に及ぶこと、最高刑が死刑または無期懲役まであることなどを特徴としていました。
このように、一般国民の権利制限に直結することや報道の自由が侵害されることから日弁連、マスコミ、野党が強行に反対したため、政府は内閣法案として提出することを断念し、議員立法として提出されましたが、結局廃案となったのです。
実は、この国家秘密法案は、日米軍事同盟の一体化が進む中、米軍の秘密が日本から漏れることを危惧して、米国が法整備を要求してきたことによって、日本政府が国会に提出しようとしたものです。
今回の秘密保全法制も、国家秘密法案同様、日米軍事同盟の一体化・深化から法整備が要請されているのであり、政府は政権交代の前後を問わず、官僚主導の下、一貫して本法制の成立を目指してきたといえます。ですから、今国会への法案提出は断念されたといわれていますが、必ずや立法化を目指して国会へ提出される時が来るはずです。
私たち市民は、この法律ができると、特別秘密漏洩の教唆、煽動行為としていつ処罰されるかわかりません。原発の安全性を確認したい、自衛隊の海外活動をしっかりと監視したいというように、主体的に行動しようとする市民を萎縮させ、環境保護運動、平和運動、オンブズマン活動などあらゆる市民運動に関わろうとするすべての市民の主体的な行動を萎縮させてしまいます。つまり物言わぬ従順な国民にさせられてしまうことになるのです。このように主権者たる国民の主体性を奪う役割を果たし、国民主権を没却する重大な結果を招くことになります。この違憲のオンパレードのような法案の立法化を阻止するべく、秘密保全法制の問題点をより多くの人へ伝えていかなければなりません。
“解釈改憲”という概念は存在しない
このような日米軍事同盟の一体化・深化による影響は、秘密保全法制導入だけではなく、集団的自衛権を行使できるようにしようという動きの活発化にも表れています。
7月6日には、政府の国家戦略会議のフロンティア分科会が解釈改憲によって、集団的自衛権を行使できるようにすべきとの提言を野田首相に提出し、首相自身も提言を受けて「政府内での議論も詰めていきたい」と発言しています。また、自由民主党も改憲することなく集団的自衛権の行使を可能とする「国家安全保障基本法」を政権奪還後に国会へ提出し成立を目指すことを表明しています。
さらに、政府は海外で国連平和維持活動をしている自衛隊の武器使用の制限を緩和する(いわゆる駆けつけ警護を可能とする)、PKO協力法の改正案も今国会で成立させようとしているのです。しかし、国家安全保障基本法であれ、改正PKO協力法であれ、下位規範である法律によって憲法の規範内容を変えることはできませんし、憲法98条1項より憲法に反する法律が無効であることはいうまでもありません。
そして、そもそも“解釈改憲”というものが、立憲主義を採用し、硬性憲法である日本国憲法の下で許されるものなのでしょうか。“解釈改憲”とは、解釈により実質的に憲法を改正したのと同様の効果を生じさせることをいいますが、時の権力者によって、都合のよいように憲法の規範内容を変えられるということになれば、立憲主義は骨抜きになってしまいます。また、日本国憲法は、改正について衆参両院の3分の2以上の議員の賛成による発議を経た後に、国民投票で過半数の賛成を得てようやく改正できるのであって、法律などの改正に比べ極めて厳格な手続を要求する硬性憲法となっています。それを何ら手続なしに解釈のみで改憲と同様の効果を生じさせるような行為は、いうなれば『憲法の存在自体を否定する暴挙』であって、到底許されるものではありません。
つまり、日本国憲法の下では、“解釈改憲”は違憲であり、そのような概念そのものを認めることはできないのです。
尚、政府は「日本は独立国家であるため、憲法9条によっても自衛権は放棄しておらず、そのための必要最小限度の実力である自衛隊は合憲である」とした上で、「日本も国際法上、集団的自衛権を有してはいるが、これを行使することは、憲法9条の下で許容されている必要最小限度の自衛権の行使の範囲を超えるので、憲法上許されない」としています。この発言で分かるとおり、実は「集団的自衛権の行使は憲法9条に反する」との政府解釈は、自衛隊の存在を合憲にするための大きな論拠となっているのです。とすれば、政府が集団的自衛権の行使を憲法解釈上、許されると解釈することは、自衛隊が合憲であるという立場を放棄するに等しいのです。
繰り返しになりますが、日本政府が解釈改憲をしてまで、集団自衛権の行使や自衛隊が外国で武器を使用できるようにしたいのは、日米軍事同盟の一体化・深化をとことん進めようとしていることの現れです。もうすでに現場では相当な軍事一体化が進んでいます。例えば、東日本大震災の際には、市ヶ谷の防衛省や在日米軍横田基地内に日米調整所を設置し、自衛隊と在日米軍が共同して活動できるような体制を採っていましたし、今年4月の日米安全保障協議委員会(いわゆる2プラス2)の共同発表では、グアムや北マリアナ諸島連邦(テニアン)に共同訓練基地の設置を検討するなどとされています。また、過去の2プラス2の合意に基づいて、2007年からは日米豪による共同軍事訓練も行われています。
そして、米国が日本との軍事同盟の更なる一体化・深化を強める背景には、米国が世界的な軍事統制の在り方を転換しつつあることが関係しています。米国は第二次世界大戦終了後も、ベトナムなど20カ国以上に積極的に軍事介入を行ってきました。2001年の9.11テロ以降、イラク、アフガニスタンと戦争をし続け、大量な人的・物的資源を投入しました。しかし、軍事介入の結果評価が難しいことやその正当性への疑義、米国国内の経済的要因から、米国は対外的な軍事活動を縮小せざるを得ない状況になっています。そこで、米国の軍事戦略の一翼を日本に担わせるべくさまざまな要求をしてきているわけです。
具体的には、2007年の日米防衛相会談で、「米国に向け北朝鮮などから発射された弾道ミサイルを日本は迎撃できるようにして欲しい」と米国国防長官が日本に迫ったり、2010年には米国議会調査局が「憲法9条による集団的自衛権の行使禁止は、より緊密な日米共同防衛の障害になる」との報告をしたりしています。
このような米国からの圧力を受け、政府は何とか集団的自衛権を行使できるようにしたいのです。ですから、解釈改憲であろうが、明文改憲であろうが、なりふりかまず集団的自衛権を行使できるように精力を傾けることは十分に考えられます。 自由民主党やたちあがれ日本も、憲法96条の憲法改正発議の要件を過半数へ緩和すると同時に国防軍・自衛軍を創設し、集団的自衛権の行使を容認する改憲案を発表しており、今話題の維新の会も憲法96条の要件緩和をするべきであるとしています。
今こそ私たちには、国家権力の暴走に対する危機感を共有し、主権者として自ら考え、行動することが求められています。
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原子力規制委員会設置法の成立、原子力基本法の改定、改定JAXA法の成立、マイナンバー法案と秘密保全法制、そして憲法9条の解釈改憲によって、集団的自衛権を行使できるようにする・・・。これらの目的や成立に向けての大きな圧力には、すべて共通点があるということを、塾長は鋭く指摘しています。
「日米軍事同盟の一体化・深化」は、普通の国民の命と幸せな生活を脅かす以外の何ものでもない、ということは、オスプレイの配備からも一目瞭然です。政府や官僚によって、この国はまた戦争のできる国にされてしまう恐怖を感じています。主権者である私たちの手に、この国の未来をとりもどさなくてはなりません。