アフガニスタンでの武装解除を指揮した伊勢崎賢治さんは、現在、東京外国語大学で平和構築・紛争予防講座長を務めています。そのクラスには、世界各国から学生たちが集まっています。学生といっても、紛争地から国費留学でやってきた、国を再建する命を受けている官僚の卵や、国連の元上級幹部など、出身地もバックグラウンドも実に多様。
「マガ9」では、伊勢崎さんをナビゲータとして、学生たちの出身国、出身地の現状について紹介。伊勢崎さんとのやりとりを通して、国際平和を作るために何が求められているのか? 生の声を聞きつつ、日本の現実的で有益な国際協力について考えていきましょう。
伊勢崎賢治 いせざき・けんじ●1957年東京生まれ。大学卒業後、インド留学中にスラム住民の居住権獲得運動に携わる。国際NGOスタッフとしてアフリカ各地で活動後、東ティモール、シェラレオネ、 アフガニスタンで紛争処理を指揮。現在、東京外国語大学教授。紛争予防・平和構築講座を担当。著書に『武装解除 紛争屋が見た世界』(講談社現代新書)『自衛隊の国際貢献は憲法九条で』(かもがわ出版)などがある。
グンナー・レークビック Gunnar Rekvig ●北極圏の街、ノルウェーのトロムソに生まれ育つ。アメリカ・テンプル大学で日本文化を主なテーマに人類学を学び、1999年に学士号を取得。翌年からしばらく日本に滞在した後、2003年にノルウェーのトロムソ大学大学院に入学し、哲学の修士号を取得する。論文のテーマは日本の憲法9条。現在、東京外国語大学紛争予防・平和構築講座でさらに憲法9条の研究を続けている。横浜在住。
■国連への期待と「平和外交」
伊勢崎
独立後のノルウェーの歩みについて、もう少し詳しく聞かせてもらいたいと思います。
——第一次世界大戦を中立政策で乗り切ったノルウェーは、第二次世界大戦にあたっても同様の立場を取った。しかし、ノルウェーの戦略的な価値を重く見たドイツは、1940年にノルウェーに侵攻。以後1945年まで、ノルウェー国王は亡命先のロンドンで政府を組織し、人々はナチスドイツの支配下に置かれることになる。
ナチスによる弾圧、またレジスタンスや連合軍とドイツ軍との戦闘などが、ノルウェーの土地と人々に与えた被害は甚大だった。
レークビック
1945年、戦争終結を迎えたときのノルウェーは、それはひどい状況でした。人々は、ノルウェーという国家がいかに力がなかったかということ、そして孤立主義を通すことはもうできないということを強く感じました。それが、ノルウェーが国連の創設に積極的にかかわる動機になっていくのです。
つまり、ノルウェーという国自身の力はあまり大きくなくても、国連という世界政府のような存在があれば、小国が大国にいいようにされることもないし、平等な主権国家であり続けることができる。国連の存在が一国主義をとろうとする大国への牽制となって、貧困や資源獲得を原因とする争いを回避することができるのではないか。そのほうが世界はうまく機能するのではないか、と考えたわけです。軍備増強によって対立を煽るのではなく、集団的安全保障をとることで世界が武装解除の方向へ向かっていくことを期待したとも言えるでしょう。
現在でも、ノルウェーの国連への供出金額は世界7位です。人口はわずか450万人ですから、世帯当たりの金額を考えれば世界最大です。
−−また、近年のノルウェー政府は、自国に直接関係しない紛争の調停・和平交渉などにも積極的にかかわる「平和外交」を打ち出していることでも知られる。イスラエル政府とパレスチナ民族解放戦線による「オスロ合意」(1993年)の仲介などが、その代表的な事例だ。
伊勢崎
ノルウェー政府が、積極的に「平和外交」に乗り出していこうとしている、そこにはどんな背景があるのでしょうか。
レークビック
一つの原点になっているのは、平和や世界情勢の安定は、ノルウェーにとっても直接の利益にかかわる問題だという考え方ですね。自分たちの国も長い間他国に支配されていたために、植民地主義や帝国主義に対して非常な恐れを抱いているということもあると思います。
また、他国から比較的「歴史的な汚点」のない国だと思われているということもあります。これは私たちが戦争をしないで独立を勝ち取り、他国の干渉なしに民主主義を発展させてきた国だということとも関連しているのだと思います。
伊勢崎
だからこそ、和平調停において大きな役割を果たせるのだということですか。
レークビック
ただ、基本的には、ノルウェー政府が調停に関わるときというのは、NGOや個人の平和活動家などの活動によって、すでに調停の大半は終わっている段階です。オスロ合意のときもそうでした。また、当事者からの要請がない限りは、積極的には関わらないというのも基本原則です。
外務省は、そうした平和交渉への介入にあたって、いくつかの方針を掲げています。
まず、自分たちの存在が効果的に機能し、信頼の置けるアクターとして介入できると確信できたときのみ介入するということ。
それから、介入するときには平和というものを広い視点から見つめ、長期的に関わっていくということ。これは、自分たちの政権交代などに左右されるようであってはいけないということでもあります。事実、スリランカでの和平交渉中には、4回も政権交代がありましたが、それによって介入をやめるということはありませんでした。
そして、国家に属さない団体、ノルウェー内外のNGOなどとも積極的に協力していくということ。最後に、交渉の主体となっている人々にとって、政治的にも経済的にも透明性を持った第三の国家として、大きな役割を果たせるようにすることです。
伊勢崎
その具体的な役割が、「保護された場(Safe Place)」の提供なんですね。
■「保護された場」の政策は結実したのか
——和平を実現するために、まず対立する政治集団同士が、一切の危険や脅威を感じることなく会談のテーブルにつけるような、中立的な場を設定する。オスロ合意に象徴されるこうした「保護された場」の提供は、ノルウェー政府のこれまでの「平和外交」の大きな軸となってきた。
レークビック
平和を実現させるための介入には、4つの種類があると思います。まず警察のような役割を果たす「強制」。それから「交渉」。そして、そこで決まったことを「遵守させる」という役割もありますね。ノルウェーが担っているのはもう一つの、「調整」という役割なのだと思います。
これは、交渉のための安全な場所とともに、その場所までの安全な輸送などを約束するということも含みます。たとえばオスロ合意の際にも、パレスチナ解放戦線のアラファト議長は国際的に命を狙われる立場にありましたが、ノルウェーは「安全な輸送」を約束し、そしてそれを実現したのです。
伊勢崎
そのオスロ合意についてですが、ノルウェーがそこに介入することになったのは、どのような経緯によるものなんですか。
レークビック
イスラエルが1967年にパレスチナに侵攻したことで、大量のパレスチナ難民が生まれましたよね。このとき、すでに何人ものノルウェー人の平和活動家が、現地で難民支援などの活動をしていたのです。その数は決して多くはありませんでしたが、彼らはイスラエル兵による残虐行為を目撃し、「こんなことはもうたくさんだ」と感じていたんです。
その後、ノルウェーからは医療関係者や援助団体職員、ソーシャルワーカーなどがガザやヨルダン川西岸地区、レバノンに多数派遣されました。彼らもまた、「パレスチナ人の子どもが石を投げただけでイスラエル兵に射殺された」といった場面を目撃した。そしてその声が、少しずつ海外メディアでも報道されるようになったのです。
それによって、ノルウェーの人々のイスラエルに対する考え方は変わっていきました。ノルウェー労働党の党首も、「この紛争は解決されるべきときに来ている」と公式に発言しました。そして1993年、それまで民間レベルでひそかに行われていたイスラエル・パレスチナ会談が、国連を共同スポンサーとして正式に開催されることになり、オスロ合意が成立したのです。
伊勢崎
ノルウェーが「保護された場」を提供した事例としてはもう一つ、スリランカがありますね。
レークビック
スリランカもまた、ノルウェーのNGOや平和活動家が独自に活動をしていたことがきっかけで、国家としての介入が始まったケースです。
−−スリランカでは、シンハラ人主体のスリランカ政府と、反政府勢力「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」の対立が長年にわたって続いている。しかし2002年、ノルウェー政府の仲介により、両者の間に停戦合意が成立。これを受けて、ノルウェー、フィンランド、デンマーク、アイスランド、スウェーデンの5カ国による停戦監視団が設置され、和平交渉が開始された。
伊勢崎
しかし、スリランカでは2006年ごろから戦闘が再燃し、今年1月には政府側が、2002年の停戦合意を正式に破棄すると発表しました。イスラエル・パレスチナにしても、オスロ合意後も結局争いが続き、今に至っている。その意味では、「保護された場」という政策はどちらも結実しなかった、失敗に終わったとも言えると思います。
私は和平交渉が進められていた2003年にスリランカを訪れ関係者と接触する機会がありましたが、その際のノルウェー政府のやり方には、決して満足はできませんでした。というのは、会談の場を設定するにあたってのイニシアチブはとっても、そこで議題を提示するなどの積極的な姿勢がないと感じたからです。
レークビック
ノルウェーの役割は、あくまで「場を設定する」ことであって、コーディネーターではないということです。また、スリランカ政府とLTTE、そのどちらかの味方についていると思われるのを避けたいという思いもあったのではないでしょうか。
伊勢崎
事実、国際的にも「ノルウェーはLTTEの味方をしているのではないか」という見方がありましたね。
レークビック
国内からも、そうした疑いの声が上がっていました。
ノルウェー政府が「保護された場」の設定にあたって非常に重視しているのは「透明性」です。秘密裏の会談と、平和というものは相容れない存在だと考えているんです。スリランカやイスラエル・パレスチナにおける「失敗」の原因をもし考えるとしたら、それは「保護された場」という手法そのものではなく、秘密会談が多かったこと、交渉の際に紛争にかかわるすべての当事者を含めることができなかったことではないかと思いますね。
伊勢崎
たしかに、会談を持つこと自体は非常に重要だと思います。また、それとも関わることですが、ノルウェー政府はLTTEを「テロ組織」と認定はしていませんね。
——スリランカ紛争が再燃した2006年、米国はLTTEを正式に「テロ組織」として認定。EUもこれに続いたことで、EU加盟国であるフィンランド、デンマーク、スウェーデンが停戦監視団を引き上げることになった。
伊勢崎
テロリストとしての「ブランド」を作ってしまうということは、その集団を交渉相手ではないと見なしてしまうということでもあります。ノルウェーは周囲の圧力に負けず、独自の方針を貫いてほしいと思いますね。
レークビック
どちらか一方の勢力に利用されるようなことがない限りは、そうしていくはずだと思います。
——1月のスリランカ政府による「停戦破棄」声明を受け、ノルウェー、アイスランドも停戦監視団の引き上げを開始した。しかし、ノルウェーのソールハイム国際開発相は、「ノルウェーに対する両者の信頼がある限り、引き続き仲介役を続ける考えがある」とも語っている。
■NATOの政策との「ダブル・スタンダード」
伊勢崎
ところで、一方でノルウェーはNATOに加盟しており、アフガニスタンにもイラクにも部隊を派遣していますね。LTTEはテロ組織じゃなく、タリバンとアルカイダはテロ組織だというダブル・スタンダードがあるわけですが、そこにジレンマはないのでしょうか?
レークビック
アフガニスタンについては、国連の承認を受けた活動ですし、ノルウェー軍はタリバンとの直接的な戦闘にはかかわっていません。また、タリバンの穏健派とは交渉も行っています。
イラクについては、すでに撤退をしました。イラク戦争は、間違った前提に基づいた「侵略」だったという結論です。
伊勢崎
私は2003年から2004年まで、アフガニスタンでの武装解除に従事しましたが、そもそもアフガン復興の全ての出発点だったボン合意の時に、もしタリバンを迎え入れる努力をしたなら話はずいぶんと変わっていただろうと、ボン合意を調整したブラヒミ国連特別代表が、退官後最近になって漏らしていました。「遅すぎる」感があるのですが、そういう時にノルウェーが介入してほしかったな、というのが僕の感想です。
今も「テロとの戦い」に終わりは見えないし、一般市民の巻き添え被害も年間千人の規模になっています。それでも、ノルウェーはまだこの問題に関わっていくつもりはあるのでしょうか?
レークビック
もちろんそう思います。アフガニスタン問題をどうするのかということは、ノルウェーではもうずっと長期的に話されていた問題なんです。「遅すぎる」という印象を受けるとしたら、それは報道の問題ではないかと思う。それに、仮に「遅すぎた」としても、始めないよりははるかにましなのではないでしょうか?
決して「順調」とばかりは言えないノルウェーの平和外交。
しかし、クラスター爆弾禁止条約の成立に象徴されるように、
積極的に「平和」にかかわる、その姿勢がいくつかの結果を生み出しているのもまた事実です。
次回、日本の憲法9条や自衛隊の役割について、議論は進みます。