東京外国語大学の伊勢崎ゼミことPCS(平和構築・紛争予防講座)では毎年、沖縄で米軍基地や戦跡を訪れ、地元の人たちの声を聞く研修旅行を実施しています。今回は、そこに参加した3人の学生たちに、現地で受けた印象、考えたことなどを率直に語ってもらいました。
3人の祖国もまた、さまざまな形で紛争や民族対立を経験しています。さらに、一緒に沖縄を旅した中には、イラクやアフガニスタンという、今まさに戦争が続く国からやってきた学生たちもいたとのこと。普天間基地「移設」問題に揺れる沖縄の姿は、彼らの目にどう映ったのでしょうか?
ラディスラブ・レシュニコフスキ(ラド) Ladislav Lesnikovski オーストラリア生まれ。日本人の母親とマケドニア人の父親を持ち、5歳のときに日本を経てユーゴスラビア(当時)のマケドニアに移住。大学生のときにユーゴスラビア紛争を経験する。大学卒業後、JICAの現地職員を経て来日。研究テーマはマケドニアを中心とする地域紛争。
アスカナ・ルイサ・グルシンガ Ascana Luisa Gurusinga インドネシアのスマトラ島出身。地元の大学で国際関係学を学び、1年間の社会人経験を経て日本に留学。研究テーマは独立運動が続くインドネシア・アチェにおける平和構築。
マリエット・パラヌク Mariet Paranuk ロシアのコーカサス地方・アディゲ共和国の出身。ロシアの大学の東洋学部を卒業後に来日。研究テーマは故郷のコーカサス地方の民族紛争、特にグルジア人国内避難民のアイデンティティを中心に研究している。
■「沖縄」のアイデンティティと国内差別
伊勢崎
当PCSでは3年前から、毎年沖縄への研修旅行を実施しています。これは、せっかく2年間、日本で勉強するんだから、日本の現実も見てもらいたい、沖縄という場所を見ることで、日本の真実の姿が見えてくるんじゃないか、という思いがあってのことです。
沖縄の問題を考える上では、国内に色々な異なった見方があります。一つは「差別問題」。沖縄という場所は、日本の「本土」から見ると明らかに差別されている。僕は東京の立川市の生まれで、子どものころはそこにも大きな米軍基地があったけれど、その後沖縄県外からは米軍基地は減っていきました。一方で、沖縄には数多くの基地が残されたままです。「本土」の人間は沖縄のことをあまり知らないし、沖縄の人たちの側も「本土」に対しては、第二次世界大戦中のことも含めて、「不当に差別されている」という感情がある。
もう一つは、日米の安全保障をどう考えるかという問題。「アメリカ軍は日本から出て行け」というのは簡単だけど、じゃあその後日本の防衛はどうするのか。沖縄から米軍が出て行くにしても、日本全体から出て行ってもいいのか。米軍が日本からまったくいなくなるのなら、自衛隊を軍にしてもっと軍備を増強して、北朝鮮の核開発に対抗して日本も核武装すべきだ、といった議論も発生してきてしまうわけです。
沖縄には、そういう二つの見方が交錯する複雑さがあります。そうした現実を、外国人であり学生であるあなたたちはどう見て、何を感じたのか。まず、印象に残っている体験から聞いていきたいと思います。
アスカナ
私が印象に残っているのはまず、先生のおっしゃる「差別」の問題についてです。案内してくれた現地の女性の1人が、「私は日本人としてより沖縄人としてのほうに強くアイデンティティを感じる」と言っていたんですね。でも、同時に彼女は「沖縄は、日本の他の地域から差別されている」とも主張しているわけで…。
正直なところ、自分を「ある国に完全に属しているわけではない」としながら、その国の人たちとまったく同等の権利を求めるというのが、私にとっては非常に意外な考え方だったんですね。同じ権利を主張するのであれば、当然自分はその国の一員である、と定義するものだと思っていたから、とても興味深かった。アイデンティティというものについて、もっと学ぶ必要があるなと感じました。
マリエット
その考え方については、私は少しわかる気がします。私の故郷も、共和国として独立していて、民族としての強いアイデンティティを持っている一方で、ロシアという国の中では差別されている、という声もある。それに私たちも、自分たちを「ロシア人」とは言わないですね。今はロシアの外にいて、「アディゲ人」だと言っても誰もわからないから、「ロシア人です」と言うこともあるけど、親しい友達は「マリエットはロシア人ではない」と知ってくれている。やっぱり、アイデンティティの問題というのはとても大事だと思います。
ラド
コソボ紛争のとき、僕は日本のNGOの「難民を助ける会」を手伝っていたんですが、そこで日本から来ていたボランティアの中に、沖縄出身の男子学生がいたんです。彼も酔っ払うとよく「僕は日本人じゃない、沖縄人だ」と言ってましたね。沖縄というのは、アイデンティティに関しては他の地域よりもとても複雑な場所なんじゃないかなと思います。
でも、僕の出身地域からすれば、そういうことはそれほど不思議なことでもありません。例えば、スイスは州ごとの自治が認められている連邦国家で、人々はスイスの外に出れば自分のことを「スイス人」と言うかもしれないけれど、国の中ではたぶん言わない。旧ユーゴスラビアもそうで、旧ユーゴスラビアの人たちも、国の中では自分を「ユーゴスラビア人」ではなくて「セルビア人」とか「クロアチア人」と言っていました。
あと、アイデンティティの問題についてもう一つ感じたのは、基地の問題が沖縄のアイデンティティをさらに強くしてるのかな、ということ。最近「琉球」という古い言葉がまたよく使われるようになっているのも、その表れじゃないでしょうか。ユーゴスラビアでも、もともとは一つとされていた言語が、対立の高まりとともに3つにも4つにも分かれて定義されたりといったことがあったけれど、人は「平和」なときはアイデンティティについてあまり考えない。でも、何かの問題が起こって、それが長く続くようになると、それとともにアイデンティティへの意識を強めるようになる。今後、沖縄でも基地の問題が長く続けば、そういう可能性はあるんじゃないかなと思います。
■世界の中で見た「沖縄」の問題
アスカナ
基地問題に関しては、「安保の見える丘」に行ったときのことも印象的でした。丘の上に立ってみると、すごく飛行機の飛ぶ音がうるさくて。私たちは15分くらいしかいなかったんだけど、自分がこのあたりに住んでいたら絶対がまんできないと思った。
ラド
ただ、イラクやアフガニスタン出身の学生は「たしかに飛行機はうるさいけど、爆弾は落としてないからいいんじゃない?」って言ってた。
マリエット
自分がもともと暮らしていた環境によって、やっぱり印象は変わってくるんだよね。イラク、アフガンから来た彼らにとってはもう、軍の飛行機が飛んでるのが「日常」みたいな感じがあるんだろうし。
ラド
そう考えると、沖縄の問題は大変な問題であることは確かなんだけど、一方で世界の現実と比べると、それほど大きな問題ではないという言い方もできてしまうのかもしれない。さっき話に出た「本土」からの差別問題にしてもそうで、例えばコソボのように露骨な差別があるケースと比べるとどうなのか、と…。
伊勢崎
うん。イラク、アフガン人の彼らは、僕にも漏らしていた。沖縄(日本)は、米軍とすごくうまくやっているとしか見えない、って。反対運動はあるけれど、自爆テロをするわけではないし。つまり、米軍の存在は迷惑かもしれないけど、命を賭けるほどの市民の抵抗があるわけじゃないから、って。米軍の存在の是非をめぐる対立が、イラクでは内戦の原因の一つになったし、アフガニスタンでは、抵抗する市民が「テロリスト」という烙印を押されながら、自爆テロをしている。
マリエット
コーカサスでも、もし同じような状況になればそうだと思います。確実に殺し合いが起こっているでしょうね。
伊勢崎
日本には、それがないだけ救われているともいえるのかな。米軍の存在という、よその国なら内戦を引き起こしかねない問題があっても、そうならない。日本は平和だな、と思うけど、その平和は誰のおかげ? って問われたら、ちょっと答えに窮しちゃう。金輪際、米軍なんかのおかげじゃない、って言いたいけど。
ただ、「沖縄を含めて日本は平和だから、それでいいんじゃない」っていうのは、君たちの本音の一つだと思うんだけど、それでいいのかな。差別や迫害を受けている当事者は、「自分たちが抱えている問題が世界一重大だ」と考えるもの。それが良いとか悪いとかの問題でなく、そういう性質は、どこにでも、誰にでも、君たちにも、僕にもある。でもやっぱり、自分たちの以外の問題に関わることで見えてくるものもあると思う。それがPCSの目指すところであり、今回の沖縄ツアーの目的なんだけどな。
ラド
そうですね…。日本ではあまり知られていないけれど、ドイツにもイタリアにも、第二次世界大戦後に米軍基地が残っていますよね。沖縄で基地に反対する人たちがそういうところへ行って、自分たちがやっているのと同じような基地反対運動があるのかどうかを調べてみる、ないのならそれはどうしてかを考える、そういうこともあっていいんじゃないかな、というのは一つ感じました。
ちなみにコソボでは、ほとんどの人が米軍基地を歓迎しています。貧乏な国だから、基地が来ればお金が入るというので。一方で、基地のすぐ周りに住んでる人たちは常に反対の意見ですね。
伊勢崎
やっぱり危険だからね。
ラド
そうです。あと、やはり売春とか麻薬とかの問題が、基地ができると急に起こってきますから…。
│その2→│
沖縄を訪れるのはそろってこれが初めて、
その歴史や現状についてもほとんど知らなかった、という3人。
座談会の中では、ちょっとドキッとさせられるような発言もいくつも飛び出しました。
正直なところ、そのすべてをそのまま受け入れられるわけではありませんが、
自分たちとは違う視点を知ること、「外」からの見られ方を知ることから、
見えてくるものもあるのでは? とも思います。
次回、「ひめゆり」を訪れた彼らの感想から、「戦争の記憶」について考えます。