一見別々のように見える問題も、実は根っこのところでつながっている。だから、いろんな問題にかかわる人たちと、〈つながって〉話をしながら考えてみよう、というコーナーの第2回(お待たせしました!)。
今回のゲストは、〈刑務所体験作家〉の本間龍さん。かつて大手広告代理店の営業マンだった本間さんは、2006年、友人への詐欺容疑で逮捕されて実刑判決を受け、1年あまりを塀の中で過ごしました。そこで就いた仕事は、障害や病気を抱えた受刑者たちが集められる「寮内工場」での「用務者(世話係)」。一般にイメージされる「刑務所」とはあまりにも違う光景が、そこにあったといいます。
いったいなぜ、これほどまでに障害や病を抱えた受刑者が多いのか。それはそのまま「塀の外」が抱える問題を映し出しているものでもあるのでは? そんな思いから、第1回に続き、「NPO法人自立生活センターSTEPえどがわ」の事務局長を務める今村登さんに聞き手を務めていただき、じっくりお話を伺いました。
本間 龍●ほんま りゅう
1962年、東京都出身。大学卒業後、大手広告代理店に約20年勤務。退職後の2006年、知人に対する詐欺容疑で逮捕・起訴され、栃木県の黒羽刑務所に約1年間服役。その体験をまとめた『懲役を知っていますか? 有罪判決がもたらすもの』 (学習研究社)で作家デビュー。著書に『転落の記』(飛鳥新社)、『名もなき受刑者たちへ「黒羽刑務所16工場」体験記』(宝島SUGOI文庫)、『電通と原発報道――巨大広告主と大手広告代理店によるメディア支配のしくみ』(亜紀書房)『原発広告』(亜紀書房)などがある。ブログ「光あるうちに光の中を歩め 本間龍の日記」。
今村登●いまむら のぼる
1964年長野県飯田市生まれ。1993年に不慮の事故にて頸髄を損傷し、以来電動車いすユーザーとなる。2002年に仲間と「どのような障害があっても自分の住みたい地域で自立生活を送れるようにすること」を目指し、NPO法人自立生活センターSTEPえどがわを設立、事務局長に就任。現在、東京都及び江戸川区自立支援協議会委員、JIL常任委員、DPI日本会議事務局員、東北関東大震災障害者救援本部広報担当等を兼任。障害者の自立生活運動を通じて見えてきた問題を切り口に、他の分野の問題点との共通点を見出し、他(多)分野の人々とのつながりを作っていく活動も手掛け始めている。
●出所者をとりまく「社会復帰」の難しさ
今村 前回、出所者の社会復帰について、法務省もいろいろ新しい取り組みを始めてはいる、それよりも問題は社会の意識じゃないか、とのことだったんですが、例えばどういうことですか?
本間 僕自身も出所してから、いくつか一般企業の営業職の中途入社試験を受けたんですよ。履歴書を書くときに、刑務所にいた期間が空白になってしまうので、最初は「プラプラしていました」とか「旅行していました」とか言うんですね。それでいくつか採用はもらったんだけど、嘘をつき続けるのはつらいということで、「実はこういう事情で、刑務所から出てきたところなんです」と言うと、全社から断られました。「やっぱりなかったことに」と。
今村 それはどんな理由で?
本間 「何がダメ」というのは特にないんです。とにかく前科がある人間は無理、お断りということになる。取材で他の出所者にも話を聞いたんですけど、10人以上聞いたうちの全員が刑務所にいたのを隠していると言っていましたね。
しかも、今ってちょっと大きな事件だと、ネットで検索すればすぐ名前が出てきちゃったりするんですよ。それで刑務所にいたのがばれて、「お前は虚偽申告してたのか」とクビになった人もいる。でも、じゃあ入社試験のときにちゃんと申告していたらよかったのかというと、それじゃ採用されないわけでしょう。正直に言ったら仕事に就けないし、隠して入社したら同僚にもずっと嘘をつき続けなきゃいけない。それもつらいですよね。この社会の意識、社会復帰の難しさというのは厳しいものがあると思います。
今村 僕は20年ほど前に事故で車椅子ユーザーになったんですけど、リハビリセンターを出た後もなかなか仕事が見つからなくて、知人の障害者に「中途障害者が仕事を探す難しさって、出所者の社会復帰の難しさとちょっと似ているよね」と言ったら「一緒にすんな」って怒られたことがあります(笑)。でも、今の話を聞いてやっぱり似ていると思いました。
まあ、僕みたいに見た目で障害があることが分かる人の場合は隠しようがないけど、難病の人や精神障害の人は、採用試験の段階では隠すという人がとても多いです。なぜかというと、出所者と同じで「言ったら採用されない」から。その人が今どういう状態なのかということも見ずに、障害があることが「マイナスだ」という前提で見られてしまう。それは出所者もおそらく同じですよね。
本間 「障害者」「前科者」というレッテルだけで判断されるんですね。
今村 あと、僕の場合は、けがをする前に生命保険に入っていたから、今の仕事が軌道に乗るまでのある程度の諸経費はまかなえたんですが、それがなかったら本当に大変だったと思う。そういう資金的な余裕や、家族をはじめとする人的な援助がないと、社会復帰も何もどうしようもなくなってしまいます。そういう点も似ているんじゃないかと思いますね。
本間 そうですね。僕も、就職をそうやって断られても、実家があったから寝るのと食うのには困らなかったけど、それがないと完全に行き詰まってしまうでしょうね。特に、仮出所にならずに満期出所で出てくる人って、身寄りのない人が多いんですよ。引き取り手が見つからないと仮出所はできないから、結果として身寄りのない人は仮出所できず、満期出所になるんです。それなのに、仮出所者には出所後最大半年間暮らせる施設があるんだけど、満期の人は原則として入れない。最近はちょっと柔軟になって、緊急措置として行き場がないと入れるみたいですが、全員は無理ですね。
だから、出所してそのままホームレスになる人もいっぱいいるし、有り金がほとんどないのにタクシーに乗って、あたりを一周してから運転手さんに「すみません、無賃乗車ということにしてください」って言って、警察を呼んでもらって逮捕してもらったとか、笑えない話は山のようにありますよ。
いつ、誰にでも「罪を犯す」可能性はある
本間 でもね、人間ひとり刑務所に入れておくには、莫大なコストが伴います。だいたい受刑者1人につき、1年で300~500万円かかるといわれています。裁判の経費とか、警察官や検事の人件費とかも合わせれば、そうして再犯を重ねている人たちのために、莫大な税金を使っているわけですよ。だったら、ちゃんと出所後の支援をして、働いて税金を納めてもらったほうが、社会全体のコストの面から考えても絶対にいいはずなんですよね。
今村 同じことは介護の問題にも言えますね。障害者や高齢者の介護ってまだまだ家族がやるものという前提が根強いけど、それだと重度の障害者を抱えた家族は働けなくて、本来なら働いて得られただろうはずの収入も得られなくなる。
僕の場合も、結婚した当時は公的な支援制度がろくになかったこともあって、僕の介助をほぼ全部嫁さんがやってたんです。でも、そのあと彼女は自分の好きな仕事を始めて、結局それでちゃんと独り立ちできるくらいにまでなりました。それが可能だったのは、今の公的制度が整備される時期と重なっていたからであって、もし今でも僕の介助は嫁さんがやるという状況だったら、彼女は仕事もできないから収入がなくて、2人で生活保護を受けることになっていただろうと思います。
つまり、社会全体の経済という面から考えても、必ずしも家族だけが介護しなくてもいいというほうが合理的なんですよ。それと同じで、出所者の社会復帰支援をちゃんと必要なコストをかけてやったほうが、累犯が増えて刑務所運営に莫大なコストをかけるよりも、はるかに経済的なメリットが大きいんじゃないでしょうか。
本間 その意味では、障害者雇用促進法ならぬ出所者雇用促進法みたいな法律ができないかなと思っているんです。初犯の出所者に限ってでもいいから、大企業が一定割合の出所者を雇用することを義務付ける、みたいなね。ある国会議員に話をしてみたこともあるんですけど、法律の名称に「出所者」と入れると難しいから、やるとしたら「社会復帰支援法」とか前向きな感じにしないと、と言われました(笑)。もちろん反発も大きいだろうけど、そうした法律の後押しでもないと、日本人の意識はなかなか変わらないような気がして。
今村 結局、自己責任論に戻っていく話なのかもしれません。「出所者に仕事がない」といっても「自業自得でしょ」ということになるわけですよね。
文科省が初等教育のインクルーシブ化(※)に難色を示す理由の一つに、「少数の障害者のために、校舎を全部バリアフリー化するのは費用対効果が合わない」というのがあるんです。それって、「障害を持っているのはあなたの責任、しょうがないよね」と言っているのと同じでしょう。自分が、あるいは自分の家族や身内がもしかしたら障害者になるかもしれないという発想がすっ飛んでいる。
出所者についても同じで、「自分は犯罪者にはならない」という前提で考えている人が多いんでしょうね。だけど、ホリエモンも言っていたように、実際には刑務所に入っているのもほとんどは「普通の人」。自分がいつ、どうなるかなんて分からないんですよね。
※初等教育のインクルーシブ化…障害の有無にかかわらず、すべての子どもが地域の学校でともに学ぶことを基本とする考え方。
◆「知らせていく」ことが最初の一歩
今村 今年6月、僕らがずっと制定を求めていた「障害者差別解消法(障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律)」が成立しました。これは、国連の障害者権利条約批准のための国内法整備の一環としてつくられた法律なのですが、この権利条約が言っているのは、インクルーシブ(包括的)な社会にしようということ、そして障害というものを、医学モデルではなくて社会モデルで考えようということです。
医学モデルでは、障害者が生活していく上での何らかの不便や不利益の理由を「障害」に求める。だから障害は、「治療して克服すべき対象」ということになります。でも社会モデルでは、障害はそのままでいい、その人がうまく生活できないようにしている社会の側に問題がある、障害が社会参加の壁にならないような社会環境を整える必要があるんだ、と考えるわけです。
これって、主語を変えてしまえば、ほかの差別の問題にもそのまま通じると思うんです。
本間 出所者の社会復帰についても。
今村 そう。再犯率が高いというのは、社会が「前科がある」ということを理由に、社会がその人を受け入れないということの表れでしょう。そちらのほうをなんとかしなきゃいけないという…。
障害者差別解消法では、誰しも「差別してやろう」と思ってしているわけじゃない、無意識だったり、むしろよかれと思ってやったことが当事者にしてみたら差別なんだという考え方のもとで、「こういう行為が差別にあたる」というのをガイドラインで示していくということになっています。同じように、例えば「前科があるから採用しません」というのは差別なんだという認識が社会に広まっていけば、もっと生きやすい社会、やり直しのきく社会になるんじゃないかと思うんです。
ただ、そうした認識を広げるためにはどうしたらいいのか、ということですよね。
本間 僕は、今年で出所して5年になるんですけど、感じているのは、世の中の多くの人が、出所者のことや刑務所のことに、福祉について以上に興味がないんだということです。興味がないから、そもそもそこに問題があることも知らない。たとえば出所してすぐ再犯して捕まって、なんていうニュースを見ても、「刑務所のほうがいいって言ってまた犯罪をするなんて、何考えてるんだ」で終わってしまう。
元広告屋として言えば、やっぱり「そういう問題がある」ということが一般の人の目に触れる回数を増やしていかないと、社会の意識って変わらないんだと思うんです。たとえ「もうちょっと知りたいな」と思う人がいても、出所者の話を聞く機会なんてなかなかないし、多くの人はツテもない。
今村 「ここに行ったら出所者の話を聞ける」なんてないですもんね。
本間 僕がよく行くバーでは、常連さんのほとんどが僕の経歴を知っていて、本も読んでくれているんですけど、彼らも「本間に会うまで、刑務所なんて何の興味もなかったよ。罪を犯したやつらがケンカばっかりしてるとんでもなく怖いところだと思ってたから、そうじゃないんだって初めて分かった」と言いますね。
やっぱり、生身の人間が目の前で話をする、そのリアル感は大きいですから、例えば学校で出所者に体験を話をしてもらうとか、そういうふうに接する機会を増やしていくしかないのかなと思いますね。本来は法務省など公の機関がそれを推進するべきだと思うんだけど…。
だから僕自身も、呼ばれればどこにでも行って話をするようにはしています。僕にできることはそれくらいかな、と思うので。あとは本を書いて、読んでくれた人が少しでも興味を持ってくれれば。ほんとに牛の歩みみたいな、気の長い話ですけど(笑)。
今村 例えば、僕なら福祉系の大学に呼ばれて話をすることがあるし、本間さんなら法学部とかだと思うんですけど、本来はもっと、全然違うジャンルのことをやっている学生などにも話を聞いてほしいと思いますね。その意味でも、今日はお話ができてよかったです。ありがとうございました。
障害者差別解消法(成立前は「禁止法」とも言われていました)については、「つながって考えよう」の第1回でも取り上げています。当初は法律の中に含み込むべきとされていた、「何が差別にあたるのか」の具体的事例が今後定められるガイドラインに委ねられているなど、不十分な点も指摘されてはいるものの、「そもそも障害者差別が“ある”ことを法律が認めただけでも画期的」との声もあるよう。
今村さんが指摘しているように、社会参加の障壁になるのは障害そのものではなく、それが「障壁」になってしまう社会そのもののあり方だという考え方は、どんな差別問題にもあてはまるもののような気がします。「障害は不可抗力だけど、犯罪は自業自得だ」という意見もあるでしょうが、誰でも明日、罪を犯してしまわないとは限らない。罪を償った上で、ちゃんと「再スタート」が切れる社会のほうが、誰にとっても生きやすい、暮らしやすい世の中なんじゃないかと思うのです。
今回の本間さんと今村さんの対談はとても冷静で合理的なもので、読む人に強い説得力を与えると思いました。
今の日本において、「障害者」「前科者」というレッテルはお二人のおっしゃるとおりに致命的ですが、精神的に病む、就職氷河期で就職に失敗したことによって履歴書に穴が開く、あるいは年齢が高いなどといった理由で、企業側は「こいつを雇ったらトラブルを起こしかねない、マイナス要因だ」と見做し、再就職への道を阻みます。
今の左派・リベラル側の「差別」という問題は、ほぼイコール朝鮮・中国人に対する問題だという姿勢が極めて強く、本間・今村さん的な視点での差別問題への関わり方を賛同はするけど実践する人は僅かのように見えます。
とはいえ、オフでは「差別を止めよう! 一緒に生きよう!」と言ってデモをしたりそれに賛同する人々が、いざ会社で仕事をしていた時に、「障害者」「前科者」だけでなく、「履歴書に穴が開いている者」「高年齢者」を雇うか雇わないかとの選択を迫られたときに、自分の信念に従って行動できる人がいったいどれだけいるのでしょうか?
このように「自分に比べて劣っている」「相手は自分に対してマイナス要因になるかもしれない」「そういう相手を冷遇しても構わない」といった内的心理が主因となっているわけであり、朝鮮・中国人差別だけを扱えば問題が解決できる訳では決して無いし、そんな本質に殆どの人が迫ろうとしないという事が差別問題の解決を阻んでいると私は考えています。2週にわたる今回の特集に、コメントを残す人が私以外に誰もいないのがよい証拠です。