つながって考えよう

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東京・江戸川区で、障害者の自立生活をサポートする「NPO法人自立生活センターSTEPえどがわ」の事務局長を務める今村登さんは、「おしどり」のお2人とは「マガ9」を通じて知り合った友人同士。先日は、今村さんが現在取り組んでいる、「障害者差別禁止法(詳しくはコチラ)」の制定に向けたフォーラムに、おしどりさんがパネリストとして出席、「差別」をテーマとしたディスカッションに参加しました。

初めて会ったときからすぐに意気投合して話が盛り上がったという3人。「原発の問題も障害者の問題も、実は全部つながってるんだよね、というところで意見が一致したんです」とおしどりマコさんは言います。さまざまな問題が、きっと根っこのところではつながっている。だったら、いろんな問題の当事者とつながり、話すことで、見えてくるものがあるのでは? ということで新企画がスタート。まずはおしどりのお2人と今村さん、それぞれの経験を振り返りつつ、たっぷり語り合っていただきました。

おしどり●
マコとケンの夫婦コンビ。横山ホットブラザーズ、横山マコトの弟子。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。2003年結成、芸歴は2005年から。 ケンは大阪生まれ、パントマイムや針金やテルミンをあやつる。パントマイムダンサーとしてヨーロッパの劇場をまわる。マコと出会い、ぞっこんになり、芸人 に。マコは神戸生まれ、鳥取大学医学部生命科学科を中退し、東西屋ちんどん通信社に入門。アコーディオン流しを経て芸人に。 2011年の福島第一原発事故以降、東電や政府の記者会見に通いつめ、福島などでの取材活動も続けている。「マガジン9」でコラム「脱ってみる?」連載中。

今村登●いまむら・のぼる
1964年長野県飯田市生まれ。1993年に不慮の事故にて頸髄を損傷し、以来電動車いすユーザーとなる。2002年に仲間と「どのような障害があっても自分の住みたい地域で自立生活を送れるようにする事」を目指し、NPO法人自立生活センターSTEPえどがわを設立、事務局長に就任。現在、東京都及び江戸川区自立支援協議会委員、JIL常任委員、DPI日本会議事務局員、東北関東大震災障害者救援本部広報担当等を兼任。障害者の自立生活運動を通じて見えてきた問題を切り口に、他の分野の問題点との共通点を見出し、他(多)分野の人々とのつながりを作っていく活動も手掛け始めている。

●差別する側は、「差別だ」と気づいていない

おしどりマコ(以下マコ) 先日のフォーラムではありがとうございました。

今村 こちらこそ、ありがとうございました。

マコ 私、あのフォーラムで障害者差別に関するいろんな話を聞いて、すごく恥ずかしくなったんですよ。差別って何なのか、本当に全然わかってなかったな、と思って。
 例えば、ちょうどおしどりを結成したばかりだった2005年に、淡路島の方から連絡をもらったことがあるんです。脳性麻痺で車椅子で生活している男の子が、中学卒業後にどこの高校にも受け入れてもらえなくて、中学浪人の状態でいる。彼を元気づけたいからネタをやりに来てくれと言われて、淡路島まで行ったんですよ。

 彼が高校に受け入れてもらえなかったのは、「エレベーターがない」という理由でした。話を聞いて「ひどいな」とは思ったし、その後も彼とは連絡を取っていたけど、具体的には何も動いてこなかった。それが甘かったなと思ったし、恥ずかしかったです。

おしどりケン(以下ケン) 「行く」ことが応援だと思って行ったけど、行ったらそれで終わりになっちゃってたのが残念だったよね。

今村 公立の小中学校は、災害時の地域の避難所に指定されていることが多いし、その意味でもバリアフリー化は重要なんですけどね。避難してくる人の中には高齢者も含め、もちろん車椅子ユーザーもたくさんいるはずですから…。事実、東日本大震災のときにも、避難所に行きたかったけどバリアフリーじゃないから断念した、という仲間が大勢いました。

マコ シンポジウムでもお話を聞いていて思ったんですけど、「差別してる」側はそれが「差別だ」って気づいてないことが多い気がします。淡路島のケースでも、学校側は別に意地悪をしてるわけじゃなくて、「物理的に無理なんだから仕方ない」みたいな感じでした。逆に言えば、スロープをつけたりエレベーターをつけたりが実現しても、すごく「配慮してあげましたよ」というスタンスだったら嫌だな、と思います。本来はそれは「配慮」じゃなくて「当たり前のこと」であるべきなんですよね。

今村 あと、障害のある子どもの教育という話では、よく取り上げられるのが特別支援学校の問題ですね。今、法律上は障害がある子は原則的に特別支援学級に行くことになっています。私たちは、これについても原則統合、障害があってもなくてもみんな地元の小学校で学ぶというのを原則にして、その上で希望者は特別支援学校を選べるというふうにしてほしい、と求めています。よく誤解されるように「特別支援学校をなくせ」というんじゃなくて、選択制にしてほしいという話なんです。
 今の制度だと、小学校に上がる6歳くらいのときから、障害が「ある」子どもと「ない」子どもを分け隔てておいて、学校を卒業したらいきなり「これからは一緒にやっていくんですよ」と放り出されるわけで、それは誰にとっても不幸なことです。障害のある子はある意味守られすぎて育ってしまうし、そうでない子は障害者とほとんど接することがないまま育ってしまう。結果として、障害者への接し方がぎごちなくなったりもして…。

 そういうのってある種慣れの問題だったりするでしょう? 僕が今住んでる町に引っ越してきたのは十数年前なんですが、民間ではまだ珍しかったバリアフリーマンションができるというので、車椅子利用者を中心に障害者がかなり移り住んできた時期だったんです。当初は車椅子で駅から出てくると「おっ」という感じであからさまに見られたりしたけど――差別とかではなくて、見慣れてないから視線がつい行っちゃうという感じですよね――、10年経った今では誰も見たりしなくなりました。

●「障害を受容する」とはどういうことか

マコ
 今村さん自身のお話が出たので、せっかくの機会だしそのあたりの話ももっとお聞きしたいんですけど(笑)、今村さんは「STEPえどがわ」の事務局長をやりつつ、障害者差別禁止法の制定を求める運動とか、いろんな活動に参加されてますよね。それには何かきっかけがあったんですか?

今村 じゃあ、車椅子での生活をするようになったあたりからお話ししましょうか。僕は、29歳のときに事故で首の骨を折って頸髄損傷による四肢麻痺の障害を負いました。右手は手首などが多少動かせますが、左手は動かないという状態です。
 出身は長野なんですが、当時は東京のスポーツクラブで働いていました。実家に帰省中の事故だったので、長野の病院で手術を受けて1年ほど入院した後、復職を目指すなら関東の病院のほうがいいということで、埼玉県所沢市にある国立障害者リハビリテーションセンターに入ったんです。行く前は、日本でもトップレベルのセンターだからリハビリがとても厳しいと言われていて、「やってやろうじゃないか」と意気込んでいました。もともと体育会系で、学生時代からずっとバレーボールをやっていて、厳しいトレーニングには慣れていたし(笑)。ところが、実際に行ってみると全然そんなことはなかった。

マコ すごく優しかったとか?

今村 そういう話ではなくて――簡単に言うと「最初から見限られていた」ということなんです。リハビリで効果が見込める人には厳しい訓練が課されるけど、この障害レベルではリハビリをしても効果がないと判断されると、身体が固まらないようにするためのストレッチ程度のことしかさせてくれない。僕も、両腕の機能が何らかの形で残っていれば、前者に入れられていたんでしょうけど…。右手がまあまあ動くので、車に乗り込むところだけ器具を使うか介助してもらえば運転もできるはずだから、チャレンジさせてほしいと言ったんだけどダメでした。今思えば、誰の手も借りずに自分で全部やらなきゃ「自立」とは言えない、という考え方があったからだと思います。
 それで、ここには頼れないな、自分で動くしかないと思って、自分で本などでいろいろ情報を集めるようになりました。その中で、ある雑誌の企画で、アメリカのトップレベルのリハビリセンターを見学するという1週間のツアーを見つけたんです。日本のトップレベルはこの程度だけど、アメリカのトップレベルはどんなだろうと思って、参加することにしたんですね。

マコ どうでしたか?

今村 アトランタ、デンバー、ロサンゼルスと、3カ所のリハビリセンターを見学したんだけど、一番衝撃的だったのはデンバーの施設で言われた「あなたが今までしてきたことのほとんどは(障害を負っても)できます。ただやり方が変わるので、それをここで教えます」という言葉。つまり、手足が動かないならテクノロジーを駆使すればいい、とにかく最大限の可能性を提供するんだ、と。もちろん障害の程度によってリハビリのやるやらないを決めるなんてことはない。日本とのあまりの違いに「目から鱗」で、衝撃を受けて帰ってきたんです。
 もちろん、そういうトップレベルのリハビリを受けられるのはお金持ちだけだという問題もある。その仕組みをそのまま日本に持ってきてもダメだろう、とは思いました。でも、「今までやってきたことのほとんどはできる」という、その姿勢自体はいいなと思ったんです。

ケン お金はかかっても、そういう選択肢があるというのは大きいですしね。

今村 特にそのころ、日本ではいろんなことを「あきらめた」人が障害を受容できた良い障害者、という意識が強かった。障害はあるけどあれもしたいこれもしたいというと、できっこないのにそれを認めない、つまり障害を受容できていないという問題を抱えている障害者、ということになる。
 でも、「あきらめられない」というときには、「治る」ことに固執する、つまりもう1回障害を負う前の身体に戻るということをあきらめられないというのと、やりたいことをやるのをあきらめられないという、二つの意味がありますよね。前者に固執するのは確かに受容していないと言われても仕方ないかもしれないけど、後者――自分が望むような人生を送りたいということ自体をあきらめないと、「障害を受容していない」と捉えられる風潮がすごく嫌だな、と思ったんです。

マコ そうですね。障害そのものを受容することと、「やりたいこと」をあきらめることとはまったく別ですもんね。

今村 それで、アメリカから帰ってきた後に――そのときはまだうまく言葉では説明できなかったけれど、とにかくそういう発想を変えていきたいと思うようになったんです。

●「障害があっても地域で暮らす」ための支援を

マコ それが今村さんの出発点なんですね。

今村 その後、いったんは長野の実家を増築して実家に戻ろうということになり、家ができるまでの間しばらく長野のリハビリセンターにいたんだけど、実家の周りは急な坂ばかりで電動車いすでも簡単には出歩けないし、移送サービスも不十分な環境なので…。たとえ住みやすい家ができたとしても、この先ずっと実家にこもっているのも性に合わないということで、増築することはやめて、当時婚約中だった妻と、「やっぱ東京で一緒に住もう」ということになり、もう1回東京に出てきました。そのとき最初に住んだのが、さっき触れたバリアフリーマンションなんですけど…。
 ただ、前の会社への復職は叶わなかったので、何か仕事をしないといけない。それで、大学時代の仲間と会社を立ち上げたり、障害者向け海外ツアーの相談窓口をやったりしてたんだけど、どれもなかなか十分な収入にはならなかった。かといって、稼げれば何でもいいとも思わなくて…そんなときに出会ったのが現在のSTEPえどがわの代表夫婦だったんです。彼らも障害者で、それまで介助犬の育成事業なんかをやっていたので、お互いの今までの経験を生かして一緒に何かやりたいね、という話になって。それも、どんな障害があっても地域で暮らせるようにするための障害者支援をやりたい、と。

 それで少し調べたら、「自立生活センター」という組織が既にそういう活動をしているらしい、ということがわかった。それで、各地にあるセンターの「総本山」みたいな存在だった八王子のセンターに話を聞きに行くことにしたんです。

マコ それは、どういうことをやる組織なんですか?

今村 ザックリと言えば、もともとその人が持っている生きる力を引き出そう、高めようというエンパワメント型の支援です。そのためにまず、障害の当事者同士が時間や労力を平等・対等に使って話をすることで、「自分がどうしたいか」「どんなことが問題なのか」といったことに気付き、またその解決策も自ら見出し、それを周囲に伝えられるようになることを目的とした「ピア・カウンセリング」、それから自立生活に必要な心構えや技術を学び実践していく「自立生活プログラム」の提供。そのほかにも介助者派遣サービスなど、どんな重度の障害があっても施設ではなく地域で暮らしていけるようにするためのサポートをするのが基本です。
 発祥はアメリカですね。エド・ロバーツというある重度障害者が、自立とは全部自分の手でやることではない、自分でできないことは介助者の手を借りながら自己実現していくことだという概念を打ち出して、「社会にそのための支援がないなら自分たちでつくろう」と、世界で初めての自立生活センターを立ち上げたんです。その日本第一号が八王子のセンターだった。

 それで、実は僕らが話を聞きに行った2002年は、翌年に国の「支援費制度(注)」開始を控え、ちょうど全国にどんどん自立生活センターを広げていこうとしていた時期だったんです。それで「江戸川にもないからおまえらが立ち上げろ」と言われて。準備期間半年という急ピッチで立ち上げたのがスタートです。

(注)支援費制度…障害のある人が、事業者が提供するデイサービスなどの在宅サービス、施設サービスを自分で選択して利用し、市町村から支援費の支給を受けるという制度。2003年4月に施行され、2006年4月に障害者自立支援法へと移行された。

マコ それが今、今村さんが事務局長を務められている「STEPえどがわ」なんですね。

(後編につづきます)

構成/仲藤里美 写真/マガジン9

障害者差別禁止法って?

・どんな法律なのですか?

 2006年に国連総会で採択された「障害者権利条約」の批准に向けた国内法整備の一環として制定が検討されている法律で、そもそもどんなことが「差別」にあたるのか? を明確に示すことを目的としています。昨年9月に内閣府の差別禁止部会がまとめた意見書では、障害者にだけ何らかのサービスや制度を利用させない(もしくは現実的に利用できない)などの「不均等待遇」、障害者に平等な権利の行使または機会や待遇が確保されるために必要な措置(例えばバリアフリー設備など)を講じない「合理的配慮の不提供」が差別である、と定義されました。

・どうして必要なのですか?

 憲法にも障害者基本法にも「差別をしてはならない」と謳われているけれど、そもそもどんなことが差別に当たるのかは示されていません。差別を本当に予防するためには、具体的にどんな行為や状況が差別にあたるのか、共通の物差しやガイドラインをつくる必要があります。

 これは、障害者を差別した人を糾弾し、制裁を加えるためのものではなく、障害がある人もない人もともに生きられる「インクルーシブ(包括的)な社会」「共生社会」を目指すための法律なのです。

・今後どうなっていく予定ですか?

 差別禁止部会の意見書などを受け、本来ならば今年度の通常国会で審議される見込みとなっていましたが、昨年末の政権交代などもあり、見通しは不透明です。参議院選挙の結果などによっては、このまま国会に提出されることなく流されてしまう可能性もあり、制定を求める声を高めることが急務になっています。
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