風塵だより

 沖縄の名護署に勾留されていた山城博治さんが、3月18日の夜、ようやく保釈された。昨年の10月17日に逮捕されてから実に5カ月もの長期間、勾留されていたことになる。
 山城さんの保釈は嬉しいことだけれど、実はもうおひとり、長期勾留されている方がいる。その方の釈放も勝ち取らなければならない。

山城博治さんの罪状とは?

 山城さんは、いったいどんな罪状でこんなにも長い間、拘束され続けていたのか。
 最初に、米軍新基地建設反対運動の渦中で、山城さんは米軍施設の有刺鉄線を切断した(被害額は約2千円という)として、現場からは数百メートルも離れた場所で「準現行犯」で逮捕された。
 勾留期間が過ぎようとすると、3日後、2カ月前(昨年8月)のもみ合いで防衛局職員の肩をつかんで揺すり2週間のケガを負わせたという「傷害容疑」で再逮捕。
 さらに、昨年の1月(10カ月も前のことだ!)に、ゲート前にブロックを積んで車両の通行を妨げたとして「威力業務妨害容疑」で再々逮捕。
 つまり、微罪で保釈しなければならなくなると、別の罪を持ち出して逮捕を繰り返す、というまことに姑息な勾留延長策なのだ。

 一つひとつの容疑事実を見てみればいい。
 鉄条網のたった1本の切断。2カ月も前のもみ合いでの傷害。これだって肩を揺すられて2週間のケガ? そんな凄まじい揺すり方って、いったいどんなものか? しかも、なんで2カ月後なのか。さらに、10カ月前のブロックを並べた罪? こうなると、警察がむりやり罪を作り出しているとしか思えない。
 それでも「犯罪者なのだから勾留は当然」とか「保釈すれば逃亡の恐れがある」などと、ツイッターやブログなどで、検察や裁判所の対応を支持する書き込みがかなり多い。「捕まりたくなければ罪を犯さなければいい」「オレは悪いことをしないから関係ないけど」などと書いている人もいた。
 自分には関係ない? つくづく想像力のない人たちだなあと思う。

あなただって長期勾留されるかも…

 ぼくは「たとえ話」があまり好きじゃない。「たとえ話」をする人は、だいたいが、本筋と関係のない「たとえ」を持ち出して、結局、議論がわけの分からないものになってしまうからだ。
 しかし、今回はぼくも「たとえ話」を持ち出そう。たとえば……こんな話はどうだろう?

 ある夜、少し酔ったあなたが歩いていると、どこかの工場の鉄条網に袖を引っかけ、服が破けてしまった。頭にきたあなたが思わず蹴とばしたら、支柱が少し歪んでしまった。
 その様子を工場の警備員が見とがめ、あなたとちょっとしたもみ合いになった。その際に相手があなたの腕をつかんできたので、それを振り払おうとして相手の肩にぶつかった。それは事実だが、お互いに大したことはなかったのでその場はおさまり、あなたはまた歩き始めた。
 ところが、たまたま近所をパトロールしていた警察官がそれを見ていて、あなたに声をかけ「ちょっと調べるから」と言って、とりあえず近くの交番まで連れて行った。
 あなたは「もういいじゃないの。大したことじゃないし」と言ったけれど、なぜかあなたは本署へ連行され、正式に勾留されることになった。
 微罪だし「曲がった支柱の修理費は出すよ」ともあなたは言ったので、すぐにも釈放されると思っていたのだが、3日後、突然「あの警備員から被害届が出ている」として再逮捕。「お互いにもみ合ったけど、ケガなんかさせてない。それを言うなら、オレだって揺すぶられたんだから」と抗弁したが聞き入れてもらえなかった。
 それでも、間もなく釈放されると思っていたのだが、また数日経ったころ、今度は「10カ月前に、あんたは、ある会社の前に自転車を停めただろう。業務妨害に当たる」として再々逮捕。なんだこりゃあ?
 実は、あなたの従兄が、ある平和団体のメンバーだったことから、警察ではしつこく「従兄とあなたの関係」を訊かれた。「ははあ、それが原因か」とあなたも思ったが、この従兄とは親戚の法事でたまに会うくらいで、ほとんどつき合いはない。関係ないものは関係ない、なんとも答えようがないのだが、それを当局は「何か隠している」として長期勾留を続けた。
 頼みの綱の裁判所もあなたの弁護士の要求を退け続け、あなたの勾留は実に5カ月にも及んだ………。

 そんなバカなことが起こるはずがない、と思うだろうか? しかし、沖縄で起きたことは、ほとんどこれと同じではないか。ぼくの「たとえ話」は下手な創作だけれど、山城さんの身に起きたこととどう違うのか。
 今回の事件(?)では、警察や検察もさることながら、裁判所の態度がなんとも異様だった。ひたすら検察の言いなりになって、山城さん側の訴えをことごとく却下してきたのだ。司法が権力にひれ伏しているようにしか見えない状況だった。
 

最高裁人事への安倍官邸の介入

 安倍自民党の一強体制が続いている。
 自民公明の圧倒的な議席数で、立法府はすでに安倍首相の意のままだ。安保関連法、特定秘密保護法、PKO法改正、今度の共謀罪…。とにかく数の力で押しまくる。
 しかも内閣人事局で、安倍首相は官僚の人事を完全に掌握してしまった。官僚の首のすげ替えなど、ほとんど安倍官邸の一存で決まる。こうなれば、出世だけが生きがいのような官僚たちは、ひたすら安倍内閣のご機嫌を伺うだけ。少しでも気骨のある官僚は、上を閉ざされて辞めていくしかない。
 今年の流行語大賞にノミネートされそうな言葉のひとつが「忖度」で決まりだという。いま話題の「森友学園」問題が、実は官僚たちのアッキー夫人と安倍首相への配慮(つまり忖度)による部分が大きいと言われるのも納得できる。
 その上に、今度は安倍首相が司法まで握りかねない恐れが出てきた。

 日本の政治は、本来なら「三権分立」の上に成り立っているはずである。つまり、司法・立法・行政である。しかし、前述したように、立法府はすでに圧倒的議席数を誇る与党の中だし、行政府の官僚たちも、安倍首相の人事権掌握によって政権の言いなりだ。
 最後の砦が「司法」だったはずだった。だが沖縄の例でみるように、いまや司法も権力の下僕になりかけている。
 司法の最高位はむろん最高裁である。その最高裁人事が、安倍長期政権下で歪められつつあるというのだ。そして最終的には、すべての最高裁裁判官が、安倍首相の一存で決められる恐れもあるという。
 朝日新聞(3月2日)の配信によると、以下のようなことだ。少し長い引用になるが、ほんとうに大事なことなので、ぜひ読んでほしい。

(略)憲法79条は、最高裁判事について、「内閣でこれを任命する」と定める。裁判所法で定めた任命資格をクリアしている候補であれば、憲法上、内閣は誰でも選ぶことができるが、2002年に公表した「最高裁裁判官の任命について」というペーパーでは、最高裁に最適任候補の意見を聞くことを慣例としていた。
 このような最高裁判事をめぐる「慣例」が、安倍政権が長期化するにつれて徐々に変わりつつあることを示す出来事もあった。
 今年1月13日、内閣は弁護士出身の大橋正春判事の後任に、同じく弁護士出身の山口厚氏を任命した。「弁護士枠」を維持した形ではあるが、山口氏は日本弁護士会連合会が最高裁を通じて示した推薦リスト7人には入っていなかった。(略)
 それまで最高裁判事の「弁護士枠」は、日弁連が示した5人程度のリストから選ばれており、最高裁で人事を担当していた経験者も今回の人事について「明らかに異例だ」と語る。一方、別の官邸幹部は「責任を取るのは内閣。内閣が多くの人から選ぶのは自然だ」と意に介していないようだ。
 最高裁人事を巡っては、かつて佐藤栄作首相の意向で、本命と目される候補を選ばなかったことを佐藤氏自身が日記に記している。労働訴訟などの最高裁判断に自民党が不満を募らせていた1969年のことだ。(略)
 「日本の最高裁判所」の編著書がある市川正人・立命館大学教授(憲法学)は、今回の弁護士枠の人事の経緯に驚きを隠さない。「慣例は、政治権力による露骨な人事介入に対する防波堤の役割を果たしてきた面がある。今後、最高裁が過度にすり寄ってしまわないかが心配だ」。慣例にとらわれず、憲法上認められた権限で人事権を行使する安倍政権の姿勢に対する戸惑いだ。
 日弁連は安倍政権が進めた特定秘密保護法や安全保障関連法への反対声明を出してきた。元最高裁判事の1人は「日弁連が今後、安保法に反対する人を判事に推薦しにくくなるのではないか」と指摘する。
 自民党総裁の任期延長で安倍晋三首相が3選されることになれば、19年3月までに、最高裁裁判官15人全てを安倍内閣が任命することになる。

 恐ろしい話だ。
 日弁連が推薦するという「弁護士枠」の慣例を、政府が勝手に無視するということになれば、かろうじて維持してきた最高裁の「良心」(それも最近では怪しいものだが)は、もう期待できなくなる。安倍総裁の任期延長には、こんな恐怖も隠されていたのだ。
 最高裁判事全員が、安倍政権下の任命となる? ではいったい誰が、どんな機関が、政権をチェックできるのか。チェック機能を失った政権は、やがて暴走し始める。歴史が証明している通りだ。

 「三権分立」から「一強独裁」へ

 「三権分立」が民主主義の前提である。少なくとも、ぼくらはそう教わってきた。しかしぼくは、内閣が最高裁判事を任命するという現在の司法制度の仕組みでは、司法の独立の半分は政府権力に握られている。だから「2.5権分立」ではないか、と常々言ってきた。
 前述したように、立法の府の国会は安倍一強であり、行政も安倍官邸の官僚支配。そして最後に司法までが安倍官邸の意のままだとすれば「三権分立」どころか、もはや「一権集中」である。
 普通はこんな状態を「独裁」という。

 沖縄での凄まじいばかりの、米軍新基地建設反対運動に対する弾圧と、まるでそれを容認するかのような司法判断の連発。独裁政治のありようは、いま、沖縄で鮮明に示されつつある。それでも「自分には関係ない」と言い続ける人たちには、ぼくは小声で呟く。

 想像力を研ぎすませてほしい。
 いま起きていることは、決してあなたに無関係ではない。
 共謀罪は、あなたの隣で虎視眈々とあなたを狙っている。

 

  

※コメントは承認制です。
111あなたを襲うかもしれない悪夢」 に3件のコメント

  1. 鳴井 勝敏 より:

     自分に不都合なことは憲法に違反してでもやってのける安倍氏。自らが「憲法」の感を呈してきた。最高裁判事の弁護士枠の慣例を破るなど容易いことだろう。
    議院内閣制における司法の役割は、アメリカ大統領制に比べ重い。まさに「独裁政治」に入った。しかし、あれも、これも、国民の支持がなければ出来ない。
    >想像力を研ぎすませてほしい。
     日本人は「生きる力」を失った。「なぜ日本人は学ばなくなったのか」(斉藤孝著)を読んでそん思いを強くした。著者は、「生きる力」とは「学ぶ意欲」と共にあるものだ、と指摘する。「他者による承認を得たい」「 多くの若者が、経済的な貧しさや知識の貧しさ、心の弱さに苦しんでいる」とも指摘する。想像力を培う土壌が枯れてしまった。
     そんな折り、NHKBS1「アウシュビッツは問う」を観た。アウシュビッツ博物館公認ガイド中谷剛さんのドキメンタリーである。アウシュビッツだけで140万人ものユダヤ人が虐殺された。中谷さんは、「問いかけの繰り返し」を強調していた。なぜ、なぜ、なぜ、の繰り返し。考え、結論を出すのは君たちだ、と。今の時代、アウシュビッツに再び光りが差し込む。そんな気がしている。

  2. 鳴井 勝敏 より:

    一部訂正があります。
    「自分の不都合なことは」→「自分に都合の良いことは『国民のため』という仮面をかぶり」に訂正致します。何度もすみません。

  3. 塚本清一 より:

    なるほど。よくわかる文章だ

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すずき こう

すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)など。マガジン9では「風塵だより」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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