風塵だより

 「パンドラの箱」という寓話がギリシャ神話の中にある。誰でも知っているだろうけれど、簡単に言えばこういうことだ。
 「開けてはいけない」といわれていた箱を開けたら、疫病や死や犯罪や貧困や大災害など、ありとあらゆる災いが箱の中から飛び出し、この世は悲嘆の声に満ちた。しかし、その箱のいちばん底には「希望」という小さな灯が残っていた…。
 現代の「パンドラの箱」は、もしかしたら「トランプの箱」だったのかもしれない。

侮蔑、嘲笑、差別…

 トランプ氏がついにアメリカ大統領に就任した。選挙戦からその勝利に至る過程で彼が振りまいた悪罵や汚語は、まさに「トランプの箱」から飛び出た厄災のように思えて仕方ない。そこには、どれほどの憎悪や嫌悪、悪意が入っていたのだろう。
 他国への侮蔑、弱者への嘲り、人種差別、女性蔑視、そして「アメリカ・ファースト」を繰り返す熱狂的なナショナリズム。それに触発されたように、アメリカではいま、いわゆる「ヘイトクライム(憎悪犯罪)」が急増しているという。
 国民に憎悪の感情を植えつける政治家が正しいとはとても思えない。だがトランプ氏は、その「憎悪感情」を利用することで大統領の座に上りつめたともいえる。

全世界の反トランプデモ

 20日の大統領就任式への観衆は、ほぼ25万人。多めに見積もっても30万人弱だったと米メディアが伝えている。
 それに対し、反トランプを叫ぶデモ隊は、ワシントンだけで優に50万人を超え、全米各地を合計すれば、100万人超に達した。しかも、そのデモは世界に波及し、ロンドンでもトラファルガー広場では10万人超の反トランプデモが行われた。全世界を総計すれば、21日の段階で80カ国670カ所、470万人を超えたとされる。カウントしきれていないものも多いので、もっと多いのは確実だろう。
 他国の大統領の就任に反対するデモが、全世界に波及し、それが数百万人に達したなどとは、まさに前代未聞の出来事である。
 「パンドラの箱」のいちばん底には「希望」の小さな芽があった。同じように、開けられてしまった「トランプの箱」だけれど、やはり「希望」は残っていたのだ。それが、全米のみならず、世界で繰り広げられた「トランプNO!」の動きだったと、ぼくは感じる。

 アメリカでは、ロバート・デ・ニーロやマイケル・ムーア監督ら多くの著名人が、トランプ大統領に反対の意を表明してデモに加わったし、マドンナは50万人の女性たちが行進したワシントンでの反トランプデモに、個人として参加した。そのとき彼女は何を語ったか。

 米首都ワシントンで21日、前日に就任したドナルド・トランプ新大統領に抗議する大規模なデモ「女性のワシントン行進」が行われ、米人気歌手のマドンナさんがサプライズで登場した。
 トランプ氏抗議の象徴になった「猫耳ニット帽」をかぶったマドンナさんは、数時間にわたってスピーチした有名人や人権活動家の最後にステージに上がり「ようこそ愛の革命に」と語った。「抵抗に。この新しい専制の時代を受け入れることを女性として拒否することに」
 マドンナさんは、女性が大半を占め、猫耳ニット帽をかぶった女性も多く見られた群衆に向かって「私たちは恐れていない。私たちは一人ではない。私たちは後退しない」と話した。

(AFP=時事が22日に配信した記事)

 これが「トランプの箱」の底の「希望」だ。
 アメリカのスターたちが積極的に政治について発言するのは、実は理由がある。苦い経験をしているからだ。

マッカーシズムと共謀罪

 1950年代のアメリカは、まるで狂気のような「赤狩り」が横行した。東西冷戦を背景に、ジョセフ・レイモンド・マッカーシー上院議員が主導した、共産主義者や社会主義者と少しでも疑われた者を徹底的に痛めつけようとした熱狂。それが「マッカーシズム」である。疑われた者を擁護したリベラル派までが告発された。そしてその主戦場がハリウッドだったのだ。
 「赤狩り」に徹底的に抗ったのは「ハリウッド・テン」と呼ばれた、脚本家ダルトン・トランボ(活動を禁止されていたため『ローマの休日』の脚本を別名で書いたことで知られる)ら10人。これは映画『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』に詳しい。
 それに比べ、当局の圧力を受け、意に沿わないながら、結局は友人たちを密告してしまったエリア・カザン(『エデンの東』等の名監督として知られるのだが)は、後にアカデミー賞特別賞を授与された際、ニック・ノルティら多数のスターたちに抗議されるなど、後々までその暗い影を引きずらざるを得なかった。
 権力が思想表現の自由に介入したときどんな悲劇が起きるのか、身をもって体験したハリウッドの記憶が、彼らの発言の背景にある。マッカーシズムの恐怖が、口を極めてメリル・ストリープを罵ったトランプ氏に通じていると、ハリウッドは肌で感じているのだろう。
 同じことがいまの日本のネット上でも起きているような気がして仕方ない。とにかく、安倍政権に盾つく者には、すぐに「反日」のレッテルを貼って、徹底的に罵倒するというある種の熱狂。どこか似ていないだろうか?
 いま問題になっている東京MXテレビの「ニュース女子」などという最低最悪の番組は、まさにそのマッカーシズムの矮小表現だ。
 そんな風潮に輪をかけるように、安倍政権が目論む「共謀罪」は、まさに「赤狩り」のための武器だ。菅官房長官は「一般人は共謀罪の対象にはならない」と会見で言ったけれど、それは「共謀罪の対象になる人は一般人ではない」という逆転したリクツに取って代わられるのだと、東京新聞のデスクメモは喝破していた。

トランプ「3G内閣」の欺瞞

 トランプ大統領の就任演説を、ぼくは翌日のニュースで見た。なんだか悲しくなった。ひたすら「アメリカ・ファースト!」を繰り返す。演説の中でいったい何度、この言葉を繰り返したことか。
 自国第一。むろん、政治家が自国の利益を最優先するのは、当たり前のことだ。しかし、それは他国との関係性の中で探られるべき方向性であって、他国を貶め、他国を無視して自国第一を掲げるなら、世界はメチャクチャになってしまう。
 毎日新聞(22日付)が、トランプ演説に、こんな見出しをつけていた。

 米国製品を買い 米国人を雇う
 みなさんは二度と無視されない
 支配階層から国民に権力を戻す
 この日から「米国第一」になる

 言葉だけを見ると、その通りと思うかもしれない。しかし、待てよ、と思う。
 「米国製品」が米国だけで出来上がっていると思うなら、言うべき言葉などない。多くの国の産品や技術を利用することによって、ようやく完成品になる。そんな道理が理解できない人。
 「米国人を雇う」なら、現在の安い賃金の他国への依存は無理。米国人のみを雇用するのであれば、製品価格の上昇は避けられない。結局、高価格品を買わされ、インフレに苦しむことになるのは米国人。当たり前のリクツだ。
 「支配層から国民に権力を」とは言うけれど、トランプ政権の閣僚たちはどうか。彼らは「3G」と言われるエスタブリッシュメントの寄せ集めである。では、3Gとは何か。
 General(将軍)、Goldman Sachs(ゴールドマンサックス)、Gazillionaire(ガジリオネア=大富豪という意味の新語)という。つまり、トランプ政権の閣僚たちは、ほとんどがこの3つのGの範疇に入るのだ。トランプ氏が罵倒し続けた「支配層」そのものだ。そんな支配層が、自分たちの富を減らすような政策を採るはずがない。つまり、あのトランプ氏のエスタブリッシュメント批判は、ただの選挙戦術にすぎなかったわけだ。
 トランプ氏を熱狂的に支持した白人中間層といわれる人たちが、そのことに気づくのはいつだろうか。

沖縄の米軍基地は…

 だが、アメリカ第一主義が政策に反映されるなら、ひとつだけいいことがあるかもしれない。それは、世界各地から米軍を撤退させ、地域紛争への介入が減るかもしれないということだし、沖縄の米軍配備にも変化が起こるかもしれないという期待だ。
 「かもしれない」ばかりの論だが、ほとんど役に立っていない在沖縄の海兵隊など、すぐに撤退の可能性を探ればいい。そもそも「殴り込み部隊」としての尖兵的役割の海兵隊は、いまや肝心の「殴り込み」はアジアではほとんど出番がなく、常に不要論、解体論がつきまとっている存在だ。沖縄には1年の3分の1ほどしかいない海兵隊のための基地は必要ない、と米国内でも議論されているのが普天間飛行場なのだ。
 それによって「抑止力が下がる」というのは、菅官房長官風に言えば「まったく当たらない」のだが、今回はそこには触れない(いずれきちんと論じよう)。

我等の舟はどこへ行くのか?

 安倍首相は、ひたすら腰を低くして「米国との強固な同盟関係」の継続をお願いする。だが、安倍政権がアメリカのために強行に強行を重ねてむりやり押し通したTPPは、トランプ大統領の就任初日にあっさりと覆された。TPPのために費やされた数千億円のカネは雲散霧消した。責任はだれがとるのか?
 日本の自動車産業は、トランプ氏がくどいほど強調した「アメリカ・ファースト」路線によって、手ひどい打撃を食らいかねない。日本の大手自動車メーカーがメキシコに投下した工場設置の莫大な費用は、いまや風前の灯。さすがの経団連も危惧の念を漏らし始めた。アベノミクスの頼みの綱の株価も、トランプ演説後には大きく値を下げた。
 トランプ氏にどこの国よりも早く「お目通り」をお願いしていた安倍首相だが、その希望も踏みにじられた。いちばん早い首脳会談は、EU離脱でトランプ氏のお眼鏡にかなったイギリスのメイ首相に決まった。
 ロシアとの領土交渉といい、中国包囲網の構築といい、TPPといい、このところの安倍外交は失敗ばかりである。ただただ諸国へカネをばら撒いて回るだけの「金権外交」が目立つだけだ。

 我等の国は、トランプ暴風に巻き込まれながら、どうやって暴風圏外の静穏を取り戻すことができるのだろうか。
 我等の国に「トランプの箱」の底の「希望」はあるのだろうか。

 

  

※コメントは承認制です。
105トランプの箱」 に3件のコメント

  1. 樋口 隆史 より:

    ソ連が崩壊したときから、アメリカもいずれ崩壊への道を辿ると思っていました。ついにアメリカでもそれが始まった、そんな気がしています。極端で失礼ですが、ヘタをすると第二次南北戦争が勃発する要因になるかも。日本はアメリカにあまり振り回されないように少し慎重になるべきだと思います。憲法を変えるとか、かつての国家総動員法を思い起こさせるような極端な法律をゴリ押しするのはすべて止めて、まず太平洋戦争敗北直後のあの謙虚さに戻るべきだと思います。

  2. 鳴井 勝敏 より:

    >とにかく、安倍政権に盾つく者には、すぐに「反日」のレッテルを貼って、徹底的に罵倒するというある種の熱狂。
     彼等の感情向きだしの主張は、彼等も追い詰められているのだ。諦めや絶望に追いやられれば、感情が向きだしになるのは必然であろう。権力を批判する人々を批判することで権力に媚びり恐怖から逃れようとしているのだ。そして、民主主義を破壊していることに気づかない。そのツケが自分にのし掛かってくるなんて想像もしていないだろう。
     しかし、彼等の主張は感情に訴えるのでそのインパクトは強い。だから、見て見ぬ振りは出来ない。「良きことはカタツムリの速度で動く」(ガンディ)。一人一人が論理や理性を取り戻すしかない。「一人一人の力は微力だが無力ではない」(ドイツ文学翻訳家・池田香代子)。

  3. 鳴井 勝敏 より:

    > ただただ諸国へカネをばら撒いて回るだけの「金権外交」が目立つだけだ。
     このような批判をメディアで目にすることがない。これも忖度なのだろうか。 金で「信頼関係」は築けない。金の切れ目は縁の切れ目。従属関係は築けても信頼関係は築けない。子ども頃、誰も遊んでくれないので、おやつをやって遊んでいる子どもがいた。そんな光景に重なる。
     ところで、これは20年位前の話である。 邦人に、大使を「閣下」と呼ばせているという話を海外駐在商社マンから直接聞いたことがある。今でもそうなのだろうか。そうだとすれば、彼等は「憲法」とは無縁に仕事をしていると実感する。主権者は国民であるからだ。そような環境で外交能力の醸成を期待すること事態無理なのかも知れない。アメリカから梯子を外された時、そのツケが如実に現れるに違いない。

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すずき こう

すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)など。マガジン9では「風塵だより」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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