風塵だより

 この19日、沖縄・那覇市の奥武山(おうのやま)にある「沖縄セルラースタジアム那覇」のサブグラウンドで、うるま市で起きた女性暴行殺害事件に抗議する「大県民大会」が開催される。

 沖縄ではこれまで、何度も「大県民大会」が開催されてきた。1995年の「米軍人による少女暴行事件を糾弾し日米地位協定の見直しを要求する沖縄県民総決起集会」、2007年「教科書検定意見撤回を求める県民大会」、そして2010年「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と、県内移設に反対し国外・県外移設を求める県民大会」である。いずれも8万人~10万人もの参加者を集めた巨大な大会であった。
 人口約140万という沖縄県の規模を考えれば、それがいかに大きな集会だったかは分かる。たとえば東京都の人口は約1350万人だ。これに当てはめてみれば、約100万人に近い人数が集まったということになる。それほどの怒りの結集だった。
 そしてまた19日に、多分、それに匹敵するような規模の集会が開かれることになるだろう。何度も繰り返して「抗議集会」を開かなくてはならない沖縄の悲哀……。

 ぼくは、2007年、2010年の集会には参加した。2007年には琉球朝日放送(QAB)の「特別番組」のゲストコメンテーターとして、会場である宜野湾海浜公園のQAB特設ブースにいた。
 当時QABの名キャスターだった三上智恵さん(映画『標的の村』『戦場ぬ止み』などの監督)が、この特番の司会者だった。それがきっかけで、三上さんと知り合うことになった。
 「教科書問題」という、本土ではあまり取り上げられなかった“事件”が、なぜこれほどまでの憤激を、沖縄県民にもたらしたのか。ぼくは、それまで何度も沖縄を訪れていたので、多少は理解しているつもりだったが、そんな浅薄な思い上がりは、凄まじい人数と憤りの前で、まるで塵芥のように消し飛んでいた。
 その時の様子を、ぼくは自著『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版、1500円+税)に書いている。自著からの引用で気恥ずかしいが、こんな情景だった。

 凄まじいとしか表現できないような熱気と怒りだった。広い宜野湾海浜公園は、それこそ古い喩えだけれど、立錐の余地もないほどの人波で埋め尽くされていた。(略)
 「凄いです、人波が台風のときのように、あとからあとから押し寄せてくる感じです」「これは12年前を上回るかもしれません!」興奮気味のテレビ・レポーターの声が聞こえる。(注・「12年前」とは、1995年に行われた「少女暴行事件抗議県民総決起集会」のこと)(略)
 高校の社会科教科書にそれまで記載されていた「日本軍の強制や関与によって、沖縄住民が集団自決に追い込まれた」という記述を、「沖縄戦の実態について誤解を生じるおそれのある表現である」というなんとも曖昧な理由で削除するように、文部科学省の諮問機関である「教科用図書検定調査審議会」(略称・審議会)が求めたのだ。これがいわゆる「検定意見」である。
 「意見」とはいいながら、この意見に背けば教科書は検定に通らない。(略)
 沖縄県民は当然のことながら激高した。
 「ならば、沖縄の住民は、日本軍の命令も強制もないのに勝手にみんなで殺しあったというのか」
 その怒りは、かつてないものだった。多くの人たちが言うように「祖国復帰運動、そしてあの95年の米兵による少女暴行事件抗議大会をも上回る怒り」だったともいえる。その怒りの結集が11万6千人(主催者発表)という、凄まじい数となって宜野湾海浜公園を埋め尽くしたのだ。

 沖縄戦については、本土ではもう一部の人しか記憶していないだろう。だが、戦場となった沖縄には、まだその傷跡がいたるところに残っている。トーチカや弾痕は、いまも普通に見ることができるし、ガマと呼ばれる洞窟には未収の人骨があるともいう。時折見つかる不発弾の処理に、沖縄県が特別予算を組んでいるという事実もある。
 沖縄戦の「鉄の暴風」と呼ばれた米軍の艦砲射撃をかろうじて免れたおじいやおばあは、いまも戦争の悲惨を語り続けている。しかし、みんな年老いた。記憶の中の戦争を語れる人は、年々少なくなる。その記憶をすら消し去ろうとする「教科書改変」に、沖縄県民が激高したのは当然だったのだ。

 沖縄では、いまでも戦争は眼前にある。米軍基地の存在だ。沖縄を訪れたことのある人はご存じだろうが、ことに本島中部~北部にかけては「基地に囲まれて沖縄がある」という言葉が現実として理解できるほど、米軍基地の広大さは圧倒的だ。
 そこに存在する米軍兵士(海兵隊員)たち。その彼らがどんな「新人研修」を受けているのか? それはまさに「占領軍意識の刷り込み」である。沖縄では戦争は、終わっていない。
 沖縄タイムス(5月27日付)にこんな記事があった。

 在沖縄米海兵隊が新任兵士を対象に開く研修で、米兵犯罪などに対する沖縄の世論について「論理的というより感情的」「二重基準」「責任転嫁」などと教えていることがわかった。英国人ジャーナリストのジョン・ミッチェル氏が情報公開請求で発表用のスライドを入手した。米軍が事件事故の再発防止策の一つと説明してきた研修の偏った内容が明らかになり、実効性に疑問が高まりそうだ。(略)
 「『(本土側の)罪の意識』を沖縄は最大限に利用する」「沖縄の政治は基地問題を『てこ』として使う」などとして、沖縄蔑視をあらわにしている。
 事件事故については、「米軍の1人当たりの犯罪率は非常に低い」と教育。「メディアと地方政治は半分ほどの事実と不確かな容疑を語り、負担を強調しようとする」と批判する。
 特に沖縄2紙に対しては「内向きで狭い視野を持ち、反軍事のプロパガンダを売り込んでいる」と非難。一方で、「本土の報道機関は全体的に米軍に対してより友好的だ」と評する。
 また、1995年の米兵暴行事件について「その後の日本政府の対応が島中、国中の抗議を引き起こした」と責任の大半が日本側にあるかのように説明する。
 兵士に対しては、異性にもてるようになる「外人パワー」を突然得るとして、我を忘れないよう注意している。
 ミッチェル氏は「米軍が沖縄を見下してもいいと教育し、何も知らない若い兵士の態度を形作っている。『善き隣人』の神話は崩壊した」と批判した。

 一読して、米軍が沖縄県人たちを、主人意識で見下していることが感じ取れる。「外人パワーで、突然もてるようになる」などと言われれば、20歳代の若い連中が、女性はみんな自分の意のままになる、と思い込んでも仕方ない。
 また「米軍の1人当たりの犯罪率の低さ」を強調しているが、これはあくまで「沖縄の警察によって検挙もしくは書類送検」された件数のみである。ことにレイプ事件などは氷山の一角、名乗り出ないケースが、発覚した事件の数倍以上と言われる。女性にとって、この屈辱を名乗り出ることは、落合恵子さんの言う「セカンドレイプ」にも通じるし、沈黙を選ぶ女性が数多いことは、容易に理解できるだろう。また、米軍基地内で起きた犯罪については、まったく知りようがない。
 米軍基地内でのレイプ事件等については、すでにアメリカでも問題になっていて、その調査報告書まで出ている状況だ。
 このような裏の事情を無視したままで「沖縄県の2紙は内向きで狭い視野」などと、よく言えたものだ。

 背景を少し調べれば、今回の米軍の元海兵隊員が起こした犯罪が、決して特別なものでないことが分かる。殺人に至らないまでも、似たようなケースはたくさん発生している。
 この3月には、観光で沖縄を訪れていた女性が、ホテルで米兵に襲われる事件が起きたばかりだし、殺害事件のすぐ後には、事件を受けての禁酒令が出ていたにもかかわらず、女性兵士が泥酔状態のまま交通事故を起こした。再発防止策など、絵に描いた餅にもならない。
 占領軍意識がある、との批判も当然だろう。

 抗議の県民大会は、19日に那覇市で行われる。
 沖縄の人たちの怒りは、決して理不尽なものではない。自分の土地を奪われ、そこに外国の軍隊が常駐し、基地の兵士たちの犯罪が多発する。

 沖縄の「祖国復帰運動」とは何だったか。
 それは「日本国憲法の下に復帰したい。日本人としての当然の生きる権利を得たい」ということに尽きる。だがいまや「沖縄県民は果たして日本国民なのか」との疑問に行き着くところまで来ている。
 安倍政権は今回の殺人事件を受けてもなお「日本国憲法」どころか「日米地位協定」の改定にさえ言及しない。沖縄が怒るのは当然じゃないか。かつて「居酒屋談義」といわれた「沖縄独立論」が、少しだけれど現実味を帯びて議論され始めている。

 ぼくは、19日の「県民大会」に行ってきます。この目で「いまの沖縄」を確かめて来ようと思っています。

 

  

※コメントは承認制です。
79 沖縄へ行ってきます。」 に1件のコメント

  1. 島 憲治 より:

    「『基地反対』怒りの沖縄 県民大会」。若い世代を代表してスピーチした女子大4年生。以下は新聞報道から引用したものだ。
    安倍首相と本土に向けて「今回の事件の第二の加害者」はあなたたちだ」と涙ながら訴えた。             「パトカーを増やして護身術を学べば、私達の命は安全なるのか。バカにしないで下さい。再発防止や綱紀粛正等 という、使い古された幼稚で安易な提案は意味を持たない」と批判した。                       「同じ世代の女性の命が奪われる。信頼している社会に裏切られる。もしかしたら私だったかもしれない」とハンカチで目元をぬぐいながら言葉を継いだ。                                       スピーチする表情、そして、訴え、批判、想像力、これから生きていかなければならい人間の魂の叫びに映った。沖縄の常態を見れば民主主義など絵空事である。しかし、彼女のスピーチに民主主義の萌芽を見る思いだ。第二の加害者と名指しされた本土。理不尽なことに声を挙げることを習慣化しければ民主主義は死ぬ。                                                                      

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すずき こう

すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)など。マガジン9では「風塵だより」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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