大型連休も終わった。ぼくは人混みが嫌いなので、あまり出歩かなかった。でも、5月3日の東京都江東区有明で行われた「憲法集会」には参加した。ものすごい人数だった。昨年の集会よりも1万3千人も増えて、5万人を超える参加者数だったという。それだけ「アベ改憲」への危機感が高まっているのだろう。
なんとしてでも、自分の手で改憲をしたい安倍首相。熊本の大地震さえ利用して「緊急事態条項」を憲法に書き込もうというのが「アベ改憲戦略」だ。内閣の大番頭・菅義偉官房長官は、震災の直後(4月15日)に早くも記者会見で「緊急事態条項は極めて重く大切な課題。慎重に議論する必要がある」と述べた。改憲して、この条項を新設しようというわけだ。むろん、安倍首相と打ち合わせた上での発言だろう。
少し前まで、安倍首相は、7月予定の参院選に合わせて衆院解散に踏み切り「衆参同時選挙」を目論んでいる、との観測がしきりに流されていた。自民党幹部も、かなりそれを煽っていたフシがある。
ところが、熊本大地震でダブル選の芽は消えたと、今度はマスメディアがそろって書き始めた。災害復興対策に力を注がなければならないので、ダブル選の余裕はなくなったというのだ。
ほんとうだろうか? どうもキナ臭い…。
安倍首相が自分の任期中に、悲願の“憲法改正”を実現するためには、今度の参院選で改憲勢力が議席の3分の2を占める必要がある。そのためには、彼はどんな手でも使うだろう。
多くの大組織を抱える自民党にとっては、組織をフル回転させるにはダブル選のほうが、圧倒的に都合がいい。となれば、さまざまな理由をつけて、安倍首相がダブル選に打って出る可能性は残っていると、ぼくは思う。
では、もし参院選に併せて衆院解散をやるなら、安倍首相は有権者ウケのいいどんな策を用いるだろうか。それは多分、以下のようなことだろう。
「消費増税」「TPP」「沖縄・辺野古埋め立て工事」…。
いずれもこれまで安倍政権が強権的に推し進めてきたものばかりだが、選挙のための「国民への優しい政治」を演出するために、一旦、これらを延期か先送りという形でストップさせる。その上で、高齢者への給付金、介護士や保育士の待遇改善などという口当たりのいい政策を打ち出すだろう。
「消費増税の先送り」は、実は安倍政権の一枚看板であるアベノミクスの完全なる失敗のツケでしかないが、これを「国民のみなさまのために、民主党が決めていた消費増税を回避する」と、例によって言葉巧みに自分の都合のいいように説明するだろう。
稼働40年超の「老朽原発の廃炉」という当然のことさえ、まるで政府主導で行うというような言い方をするかもしれない。
また、ロシアとの平和友好条約交渉の進展なども、選挙の材料にするだろう。強権政治家同士という親近感のせいか、安倍首相はプーチン大統領と妙に仲がいいらしい。
すべて「国民のみなさまのために…」との惹句付きである。
このような選挙対策としての政策がもし功を奏すれば、安倍悲願の改憲発議のための議会の3分の2の議席獲得もないとは言えない。そうなれば「憲法改正国民投票」というものが現実味を帯びてくる。
実はこの「憲法改正国民投票法」という法律は、考えようによってはかなり危険な内容を含んでいる。そんな危惧を、きちんと表現してくれていたのが、新聞や雑誌、テレビなどのマスメディアではなく、なんと『通販生活』という通販カタログ雑誌である。通販カタログではあるけれど、この雑誌、ただものじゃない。毎号、そうとう政治や社会に踏み込んだ、中身の濃い特集を掲げることで、評価の高い雑誌なのだ。
ことに『通販生活』(2016年夏号)は、表紙からしてスゴイ。
「【声明】私たちは怒っている。」
高市早苗総務大臣の「電波停止」発言に猛抗議する、主にテレビで活躍するジャーナリストたち(青木理、大谷昭宏、金平茂紀、岸井成格、田勢康弘、田原総一朗、鳥越俊太郎)の声明文全文を表紙に刷り込んでいるのだ。
この雑誌が「憲法改正国民投票法」について、以下のような小特集を組んでいた。
ちょっと待て、憲法改正国民投票
通販生活の主張
安倍首相は在任中の憲法改正国民投票の実施を口にしましたが、おそらくその改正案には「憲法九条」が含まれていることでしょう。
いいじゃないですか。安倍政権がおよそ民主主義国とは思えない横暴な手法で通してしまった「集団的自衛権の行使容認」を白紙に戻せるチャンスじゃないですか。
通販生活は以前から「憲法九条国民投票はやるべきだ」と主張してきました。(略)しかし、9年前の07年5月に成立した「憲法改正国民投票法」には重大な欠陥があります。ゆえにこの欠陥を直さないかぎり、通販生活は憲法改正国民投票には断固反対します。その欠陥とは、
憲法改正国民投票法で
あいまいなままに放置されてしまった
「民間団体によるテレビ意見広告」問題。
迫力の太ゴチック文字で示された「テレビ意見広告」こそが、ぼくがかねてから危惧していた問題なのだ。
この記事では、国民投票法に詳しい南部義典さんが解説してくれている。長くなるけれど、大切なことなので抜粋しながら引用する。
今の「憲法改正国民投票法」では、
改正賛成ないし反対のテレビCMは、
おカネがあれば好きなだけ流せます。
これって、とても不公平です。
(略)現行の国民投票法では、誰でも広告主となって、テレビ・ラジオなどの放送媒体、新聞・雑誌などの活字媒体に投票を呼びかける広告を出すことができます。
この「誰でも」を、最も影響力の大きいテレビCMに適用して考えてみましょう。広告主は「九条改正案に賛成の投票をしよう!」「みんなで反対の投票をして否決に追い込もう!」といった内容で、15秒ないし30秒のCMを制作し、放送枠をどんどん買い取って、流していくことができます。(略)
もし、一方の陣営が自分たちへの投票を呼びかけるCMを大量に流し続けた場合、多くの有権者がそのCMの強烈なイメージに影響されて、改正案の内容を熟慮することなく投票してしまう恐れがあります。テレビCMになかば「洗脳」された状態で軽率な投票をしてしまう危険性が生じます。(略)
そこで9年前に制定された国民投票法では、「投票日の15日前までは投票を呼びかけるテレビCMは流せるが、投票14日前から投票日まではテレビCMは一切禁止」と定めました。(略)
しかし、私は次の2点から、現行の国民投票法には問題があると考えています。
第1の問題は、投票を呼びかける「テレビCMの総量、回数」に関して、何の制限も設けていないことです。
つまり、お金のある陣営はいくらでもテレビCMを買って自分たちの主張を流せますが、お金のない陣営はテレビCMを買うことができず、資金に恵まれる陣営が終始優位に立つことになるでしょう。よく「言論には言論で対抗すべき」と言われますが、CMに限っては最初から資金力で差がついてしまうので対抗のしようがありません。
前述したように、国民投票法では期日前投票に合わせて投票日の14日前からはテレビCMを禁止しました。しかし、最大180日ひく14日の166日間(注:発議された日から60日~180日までの間に憲法改正国民投票が実施できます。発議から投票日までの間は「国民投票運動期間」といい、賛否両派のキャンペーンが展開されます)、大量のテレビCMが流し続けられれば、14日前からの2週間だけ禁止したところで、すでに「勝負あり」でしょう。(略)
第2の問題は、国民投票法が規制する「テレビCM」の対象が狭いため、「2週間禁止ルール」すら適用されないテレビCMが流されてしまう可能性があることです。
国民投票法でテレビCMの規制に関して定めているのは第105条ですが、条文上、テレビCMのことを「国民投票運動のための広告放送」と明記しています。「国民投票運動のため」とは?
国民投票法では、国民投票運動とは「憲法改正案に対し賛成又は反対の投票をし又はしないように勧誘する行為」と定義しています(第100条の2)。
「勧誘」がキイワードです。つまり、投票2週間前から禁止されるのは、憲法改正案に対して賛成・反対を「勧誘する」テレビCMで、賛成・反対を「勧誘しない」テレビCMは放送してもよいことになるのです。
「私は九条改正に賛成します」「私は九条改正に反対します」という「自らの意見を表明するだけのテレビCM」は「賛成・反対を勧誘するテレビCM」ではないので、期間を問わず、放送可能となるのです。
たとえば、投票日の数日前から好感度の高いタレントたちに「私は改正案に賛成です」、または「反対です」と意見表明させるCMを大量に流せば、その効果は絶大です。
現行の国民投票法のままでは、資金力に恵まれた陣営は投票日直前まで「意見表明型テレビCM」を流すことができるのです。
以上2つの問題を解決するには、
国会が憲法改正を発議してから投票日まで、民間団体によるテレビCMの放送を全面禁止する。
これしかありません。そのためには、国民投票法を改正する必要があります。(以下略)
どうだろうか。南部さんが指摘している問題点は、少し考えれば誰にでも分かることだ。現在、ほとんどの“財界人”と呼ばれるような大企業経営者たちは、安倍改憲に賛成ないし理解を示す、という態度だ。彼らは今も、膨大な政治献金を主に自民党につぎ込んでいる。それを考えれば、テレビCMでの勝負は結果がすでに見えている。
ここで、その典型的な例として「原発安全神話」がなぜ作られたのかを思い起こしてほしい。それは「原発広告」に、湯水のように注ぎ込まれた膨大なカネの力によるものではなかったか。
原発と広告の黒い関係を追い続ける本間龍さんの最新刊『原発プロパガンダ』(岩波新書)を読んでみれば、その凄まじさがよく分かる。しかも、福島原発事故以降、控えられてきた原発広告がまたも復活して、原発立地県のテレビ局や、雑誌新聞などで流され始めた。上記の記事で南部さんが指摘した通り“好感度タレント”たちがカネで買われた鳥のように、またも“原発の安全”をさえずり始めたのだ。
つまり、電力会社や財界は、あれだけの事故にもかかわらず、巨大な広告費を今でも費やすことができるわけだ。
これが「憲法改正国民投票」となったら、多分、その何倍ものカネが財界筋から改憲派団体へ流れ、そこから凄まじい量の“改憲賛成テレビCM”が垂れ流されるのは間違いない。南部さんの言うように、反対派は「対抗のしようがない」だろう。だからこそ、最低でも「憲法改正国民投票法第105条」は“改正”する必要があるのだ。
ぼくは、この「通販生活の主張」に完全に賛成だ。
だが、この意見に対しては「表現の自由を奪うものだ」などとリクツをつけて反対する輩が必ず出てくるだろう。
ならばと、ぼくはこんな夢想的な対案を考えてみた。下記のような一項を付け加えるという案だ。笑読してほしい。
憲法改正国民投票についてのテレビCMに関しては、それを流そうとする団体は、通常のCMの2倍の料金を負担しなければならない。そうすることで、対立する側のCMも同じ分量だけ確保できるようにしなければならない。
つまり、賛成派も反対派も、テレビCMを流そうとするならば、相手側のCM料金まで負担しなければならない、という縛りをかけるということだ。こうすれば、カネのない反対派でも、賛成派と同じ回数だけテレビCMを流すことができる。意見表明の機会均等も担保される。
もし、テレビ局や広告代理店が「せっかくの大量のCM料金収入獲得の機会を奪うのか」と、テレビCM規制に反対したとしても、これなら文句はないはずだ。
まあ、これはジョークの類いの案だけれど、確かに現行のままで「憲法改正国民投票」が実施されるとなれば、一方に完全に有利であり、結果がカネで左右されかねない。
安倍改憲路線が暴走特急となりかねない今、もう一度この「憲法改正国民投票法」の中身をじっくり検討する必要があると思う。
そんな材料を提供してくれた『通販生活』に、お礼を言いたい…。
いつも貴重な情報ありがとうございます。 さて、大企業を巻き込んで民主主義を金で買収する構造。加担する大企業は歴史の検証に耐えられるのだろうか。歴史に刻まれる覚悟の上だろうか。彼等はそんなことはどうでも良いことなのだろう。それに抗う一般市民。歴史の検証に耐えられる姿勢をきちんと残さなければならない。ネットは瞬時に世界を繋ぐ。「仕方がない」では通じない。