風塵だより

 あまり気分のいい書き出しじゃないけれど、やっぱり忘れてはならないことだから、書いておこう。本気で頭にきたこと、ふたつ。ツイッターでも書いたことだけれど、再度。

1. 田中俊一・原子力規制委員会委員長

 この人の態度が、いまや傲慢そのもの。温厚そうな顔つきで、口調もボソボソと優しげだが、言っていることは科学者の風上にも(風下にだって)置けないようなデタラメぶり。一応は工学博士号を持ち原子力研究開発機構(例の「もんじゅ」の運営主体)などにもかかわる原子力分野の科学者ということで、原子力規制委員会の初代委員長に就任。
 規制委は独立委員会で、政府の干渉を一切受け付けないという触れ込みで創設されたのだが、このところの政府寄り、電力会社寄りの動きはさすがに目に余る。とくに川内原発(九州電力、鹿児島)の稼働についての田中委員長の発言は、ひどいものだった。
 熊本大地震はいまだに収束の気配さえ見せず、気象庁は「こんな地震の例はこれまでの観測史上初めて。想定外の事象ばかりです」と驚きを隠さず、そのため「これから何が起こるか予測は不可能」と、考えようによってはサジを投げたかっこうだ。
 多くの地震学者や火山学者も「これからどんな地殻変動や火山活動があるか、現在の科学水準では予知は困難」と言っている。
 現在起きている熊本中心の地震が、北東へ延びれば伊方原発(四国電力・愛媛県)のそばの活断層を揺らすだろうし、南西へ下れば川内原発直撃となりかねない。予知は不可能だが、その危険性は指摘せざるを得ないということらしい。断層帯は、実際にそういう方向へ延びていると、多くの学者たちは警告している。
 だが、田中委員長は18日の記者会見で、概略次のように述べた。

 いまの熊本地震がどういう進展をするかについて不確実性があるということは承知していますが、その範囲でどういう状況が起こっても、いまの川内原発については、想定外の事故が起こるというふうには判断していません。
 いまは安全上の問題はない。科学的根拠がなければ、国民や政治家が止めてほしいと言っても、そうするつもりはありません。

 これはもはや、科学者の言葉ではない。まるで「神のお告げ」である。いや、悪しき官僚答弁そのものというべきか。熊本地震がこれからどう進展するか分からないという「不確実性」は承知しながら「その範囲内でどんな状況が起きても、想定外の事故が起こるとは判断していない」と言う。こんな矛盾したリクツがあるだろうか?
 「どうなるかは不確実だが、想定外の事故だけは起こらない…」
 どうなるか不確実なら、想定外の事故だって起こるかどうか不確実なはずではないか。なぜ、起こらないと判断できるのか? このリクツを、論理的に説明できる人がいたら、ぜひ教えていただきたい。
 さらにもうひとつ、よく分からない田中委員長のリクツ。
 「科学的根拠がなければ、川内原発を止めるつもりはない」
 この言い方が正しいのなら、ぼくは田中委員長に、こう問い返したい。
 「では、川内原発周辺では絶対に大地震が起きない、という科学的根拠をお教えいただきたい」
 もし田中委員長が科学者を自認しておられるならば、この問いには絶対の自信を持ってお答えいただけるはずだ。「川内原発周辺で、想定外の大地震など絶対に起きないという『科学的根拠』はこれだ!」と。
 しかし、気象学者でも地震学者でも、ましてや火山学者でもない田中委員長が、果たしてそれほどの絶対的自信を持って答えられるほどの「想定外の地震が起きないという科学的根拠」をお持ちだとは、残念ながらとても思えない。   
 ではなぜ、こんないい加減な意見を記者会見という公の場で述べられるのだろうか。
 それは、規制委員会そのものが「規制」ではなく「推進」の立場を鮮明にしたという証拠なのだと思う。
 「免震重要棟」など知ったことかとばかりに、この建設を無視した九州電力に対して規制委は、苦言を呈するポーズだけは見せたものの、結局は再稼働を認めてしまったし、それに便乗するかのように、東北電力や中国電力も「免震重要棟は造らない」と言い始めた。各電力会社も政府も、もう「規制委は我々の側」と安心してしまったわけだ。さらに、稼働から40年超の老朽原発に、次々に認可を与えようとする現在の規制委は、もう規制という衣を完全に脱ぎ捨ててしまったといっていい。
 はっきり言う。原子力規制委員会は「規制」という言葉を、会の名称から外したほうがいい。「原子力協力委員会」辺りが妥当なところだ。もしくは「安倍内閣原発諮問委員会」ってのでもいいかもしれない。

2. 籾井勝人・NHK会長

 彼のことを書くと、なんだかこちらまで薄汚れていくような気がするので、あまり言及したくないのだが、そうは言ってもNHKはこの国の最大の「報道機関」(むろん、カッコつきだが)なのだから、その組織のトップの言動は、やはりチェックし続けなければならない。
 NHK会長とは、巨大な権力を持つ存在である。いつでも批判の的になるのは仕方ない。
 かつても、島桂次会長(15代)は自民党幹部との癒着ぶりを指摘され、そのアクの強さで「シマゲジ」と呼ばれたし、海老沢勝二会長(17代)もまた、独善的な経営で「エビジョンイル」などと揶揄されたほどだった。だが、それらの会長たちに比しても、現在の籾井会長の悪評は群を抜いている。言動のいちいちが卑しいのだ。
 ハイヤーを私用に使うというような小狡い卑しさと、安倍という権力者に揉み手で擦り寄る虎の威を借るキツネのような卑しさを、これほどあからさまに体現する人も珍しい。
 その籾井会長が、またも恐るべき発言。これも原発絡みだが、毎日新聞(4月23日付)によればこうだ。

 NHKが熊本地震発生を受けて開いた災害対策本部会議で籾井勝人会長が「原発については、住民の不安をいたずらにかき立てないよう、公式発表をベースに伝えることを続けてほしい」と指示していたことが22日、関係者の話で分かった。識者は「事実なら、報道現場に委縮効果をもたらす発言だ」と指摘している。(略)
 籾井会長は会議の最後に発言。「食糧などは地元自治体に配分の力が伴わないなどの問題があったが、自衛隊が入ってきて届くようになってきているので、そうした状況も含めて物資の供給などをきめ細かく報じてもらいたい」とも述べた。出席した理事や局長らから異論は出なかったという。(略)

 まさにNHKが「公共放送局」であることをやめ「安倍放送局」になっている実態が、ここに浮き彫りになっている。
 原発に関しては、福島事故の例だけではなく、それ以前の事故も含めて、電力会社がどれほど情報の改竄や隠蔽を行ってきたか、もはや説明するまでもないだろう。その隠された情報を掘り起こし、住民国民に事実を伝えることこそが「報道機関」の使命ではないのか。
 それを「公式発表をベースに伝えろ」と籾井会長は言う。少なくとも、NHKが「ジャーナリズム」を標榜するならば「まず、その公式発表を疑え、裏を取れ」と指示するのが、報道機関のトップの出すべき指示ではないのか。こんな、あまりに当たり前のことを書かなければならないほどに、籾井という男は腐り切っている。
 しかも、このジャーナリズム否定ともいえる籾井発言に対し、理事や局長らからは何の異論も出なかったという。ケンシロウのセリフではないけれど、NHKよ、お前はもう死んでいる!

付・憲法改正国民投票法について

 話題を変える。
 ほんとうに残念ながら、24日に投開票が行われた、北海道5区の衆院補欠選挙では、野党共闘のトップバッターともいえる池田真紀さんが、僅差で敗れた。ここは、故町村信孝氏が圧倒的に強かった選挙区である。その娘婿で町村氏の弔い合戦(この言葉に人はどうも弱いらしい)を掲げた和田義明氏が、当初は圧勝と思われていた。それがこの僅差。
 負けは負け。だが、接戦に持ち込んだという実績は、今夏の参院選に十分な参考になるだろう。
 それにしても、熊本大地震の影響は、確かにこの選挙にも及んだと見ていい。自衛隊の活躍ぶりが、ある種の「強いもの頼み」効果を生み出したのだ。それを最大限に利用したのが自民党だったと言える。その心理は、あの片山虎之助おおさか維新共同代表の「たいへんタイミングのいい地震だった」という、聞くもおぞましい妄言によく表れている。

 25日の朝日新聞は、一面トップで「衆参同日選、首相見送り、熊本地震の対応優先」と伝えた。
 これは、ほんとうだろうか?
 北海道補欠選の結果を見て自信を深め、逆に同時選に打って出る…という可能性もある、と指摘するジャーナリストもいる。「政界は一寸先は闇」であるし「首相は解散についてはウソを言っても許される」という言い方もある。どうなるかは分からない。
 もし同時選になれば、それこそ「改憲」が大きな争点になる。そこでもし、自民公明やおおさか維新などの改憲勢力が議会の3分の2を超えるようなことになれば、安倍首相は「悲願の改憲」の発議に踏み込むだろう。
 その際には、「日本国憲法の改正手続きに関する法律」、いわゆる「国民投票法」が効力を発揮することになる。
 ところがこの法律の中身は、まだ国民のほとんどに知られていない。この法律に関しては、ある種の危惧が指摘されている部分もあるが、それも知られていないわけだ。
 ある方は、次のような指摘をしている。

 とくに問題なのは、この法律の第105条、投票日前の国民投票運動のための広告放送の制限、という条項です。『何人も』、投票日の15日以前であればひと月であろうとふた月であろうと、上限なしにテレビスポット広告を出しつづけられる、財界の応援を受ける改憲派の民間団体が百億、二百億円のテレビ広告費を投入してもかまいませんという、実に不公平な条文です。

 かなり恐ろしい話である。黙過できない。
 この問題については、次回にもう一度触れようと思う。

 

  

※コメントは承認制です。
73 本気で腹が立つふたりの人物」 に1件のコメント

  1. GT より:

    ああ、勉強になるし、読んでて楽しいですよ!
    日本のジャーナリズム記事はあまり面白いもの少なくて問題だと思います。こういうのもっと人々の目に晒されてほしいな。
    書く者や引用先などの名前や情報をあまり重要視しないのは日本の良くないとこだと思います。それすると、もっとペンの力が強くなると思います。

    日本は変わらなくちゃならない。
    報道と出版、言論を司る業界の変化の必要は重い、ですよね。

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すずき こう

すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)など。マガジン9では「風塵だより」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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