風塵だより

 パリで起きた惨劇、血なまぐさいテロ。パリのこの事件は、世界中を震撼させている。だが同じころ、実はレバノンのベイルートでも、40人もが亡くなる凄惨な自爆テロが発生していたのだ。
 「圧倒的な非対称」という言葉がある。先進国といわれる場所で起きた事件の報は、即座に世界中を駆け巡る。そして各国首脳たちから哀悼の意が表される。だが、連日のように繰り返される中東でのテロや、有志国と称する国々による空爆での死者については、もはや報道は新聞の片隅の数行のベタ記事でしかない。まさに「非対称」。
 人間の命にも軽重がある。残念ながら、これは事実だ。

 パレスチナ紛争における死者や負傷者の数は、それこそ「圧倒的な非対称」だ。例えば、パレスチナ側の死者数は、イスラエルと比較するとほぼ20倍だといわれている。つまり、圧倒的な武力の差がそのまま死者数につながっているということだ。
 「インテファーダ」と呼ばれるパレスチナ側のイスラエルへの抵抗運動がある。その形態こそ、切ないほどの非対称。完全武装したイスラエル兵士に向かって、石つぶてを投げて抵抗するパレスチナの若者たち。これが現実なのだ。
 そこに、どんな憎悪が生まれるか…。

 今回のパリのテロ攻撃は、いわゆるISが敢行したと声明を出した。それは、フランスがシリア国内のIS支配地域への空爆に参加したことへの報復だとされている。
 テロ→報復→テロ→報復……という地獄の連鎖。だが、果たして最初にあったのをテロと呼んでいいのかどうか、テロの前にテロを誘発する何かがなかったか。報復といわれるものが正しかったかどうか。
 アメリカがイラク戦争を始めるときに、ブッシュ米大統領がぶち上げた「イラクにおける大量破壊兵器」がまったくのデタラメだったことは、いまや完全に歴史が証明している。ブッシュ大統領のアメリカは、偽りの理由をでっち上げてイラクへ攻め込んだのだった。
 いかにイラクのフセイン政権が独裁的だったとしても、それを武力で打倒するために虚偽の情報をもとに戦争を仕掛けるなど、許されていいはずがない。だが、それを行ったのが世界最強国アメリカであり、その「仁義なき戦争」に、世界でもっとも早く支持を表明したのが日本(小泉首相)だった。しかもその後、参戦した各国さえ「間違った戦争」と自己批判したのに、日本だけは検証しようとすらしていない。
 いつか近い将来、歴史修正主義者(リビジョニスト)どもが、「やっぱり大量破壊兵器はあった。実は、発見されていたのだが、誰かによって隠蔽された。ブッシュ大統領は正しかったのだ」などと「陰謀説」を言い出すかもしれないが、それは戦争を正当化したい連中のたわごとだ。
 つまり、戦争を仕掛けた側はいつだって「我々が正義だ」とこぶしを振り上げ「いまやらなければ、我が国が危ない。愛国者よ、立ち上がれ!」と、ナショナリズムを煽り立てるのだ。
 そういう側に与してはならない。
 
 日本だって、かなりキナ臭い。
 安倍首相が本年1月の中東歴訪の際、エジプトで開かれた「日エジプト経済合同委員会」で次のように演説したことは記憶に新しい。

 ISIL(イスラム国)がもたらす脅威を少しでも食い止めるため、地道な人材開発、インフラ整備も含め、ISILと戦う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します。

 つまり、「人材開発やインフラ整備も含め」とは言っているが、結局、イスラム国との戦費(軍事費)に使われる金を、日本国民の税金から200億円以上も拠出すると言ったのだ。エジプトやトルコなど周辺諸国の歓心を買い、常任理事国入りの支持を得るための支出だったことはミエミエだった。
 しかも、イスラエルでは右翼ネタニヤフ首相と、あろうことかイスラエル国旗の前で握手するというパフォーマンスまでしてのけた。これがどれほどパレスチナの人々の憤激を買ったことか。ついにイスラム国は、日本を名指しで「十字軍」扱いにしてしまった。「十字軍」とは、イスラム国にとっては最大の敵を意味する。結果、何が起こったか。
 ジャーナリスト後藤健二さんの非業の死の責任の一端は、明らかに安倍首相にある。

 折も折、安倍首相がついに言い出したのが「緊急事態条項を書き込むための改憲論」である。今回のパリのテロ事件をも「改憲」の理由づけに利用しようとするかもしれない。ほんとうに、キナ臭い。
 自民党が公表している「日本国憲法改正草案」(平成二十四年四月二十七日決定)というものがある。
 これが、世にも恐ろしい代物なのだ。
 必要があってこの文書をめくるたびに、ぼくは怒りと恐れで肌が粟立つ。それほどの「悪書」だ。かつて街角でときどき見かけた「悪書ポスト」にぶち込んでしまいたいほどの最悪の文書だ。その草案の中に、以下の条項が出てくる。独裁国家が出現する過程が、詳しく書かれている。それが前述した「緊急事態条項」なのである。こんな具合だ。

第九章 緊急事態
 (緊急事態の宣言)
第九十八条 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。
2 緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない。
3 内閣総理大臣は、前項の場合において不承認の決議があったとき、国会が緊急事態の宣言を解除すべき旨を議決したとき、又は事態の推移により当該宣言を継続する必要がないと認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない。また、百日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは、百日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない。
(4略)
 (緊急事態の宣言の効果)
第九十九条 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。
2 前項の政令及び処分については、法律の定めるところにより、事後に国会の承認を得なければならない。
3 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない、この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。
4 緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。

 冗長で読みにくい文章である。日本国憲法を「翻訳調で日本語としては悪文の典型だ」と石原慎太郎氏(あ、あの人の顔を見なくなって、少しはホッとしている)などは口を極めて罵っていたけれど、少なくともこんなキナ臭い文章と比べれば、そうとう上等だとぼくは思う。
 それはさておき、この「自民案」の恐ろしさがお分かりだろうか。

 まず「緊急事態宣言を発する根拠」が極めて幅広く、曖昧である。外部からの武力攻撃とはどんな場合を指すのか。例えばテロ攻撃などはどうか。そのテロ攻撃のどれだけの度合いで「宣言」が発せられるのか。首相が判断し閣議決定すればそれで済んでしまうのか。
 ここには「内乱」と書かれているが、大規模なデモなどを、やはり首相が「緊急事態」だと判断すれば、それで宣言できるのか。
 大規模な自然災害とは、どのような状況を指すのか。例えば東日本大震災などの場合はどうか。それに伴って起きた福島原発事故については「自然災害」に含まれるのか。そうだとすれば、あのときの住民避難などは、すべて国家の管制下におかれることになるのか…。
 さらに恐ろしいのは、首相は「支出その他の処分を行い、地方自治体の長に必要な指示を出せる」と規定していること。すなわち、日本国のすべての権限を内閣総理大臣という名の一個人が掌握することになるではないか。
 しかも緊急事態宣言下では「何人も(つまり全国民は)国その他の公の機関の指示に従わなければならない」と定められている。首相が地方自治体の長に指示を出せる上に公の機関も掌握しているのだから、これはもはや「戒厳令」に等しい。どう読んでも「独裁国家」容認である。こんなものが、自民党の憲法草案なのだ。しかも安倍は、これを振りかざして「改憲」に打って出ようというのだ。
 一応「国会の承認」という条項を入れてはいるけれど、現在の国会の有り様を見れば、そんなものが何の担保にもならないこと自明だ。
 安倍首相がヘルメットをかぶり、戦車に乗って嬉々としてはしゃいでいた写真が目に浮かぶ。冗談じゃない。

 だが、残念なことに、これに対し自民党内からは諫める声ひとつ聞こえてこない。自民党リベラル派など、もはや死に絶えたか。いや、最大野党である民主党すら「解党して橋下維新と手を結ぼう」との、もはや矜持の欠片さえ感じられない主張が飛び出すなど、「安倍改憲」に歯止めをかけられそうな気配はない。
 安倍の憲法無視、すなわち「違憲」ぶりは、もはやとどまるところを知らない。日本国憲法第五十三条にはこうある。安倍は読んだこともないらしい。

第五十三条 内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。

 だが安倍は、野党側から要求を突きつけられたにもかかわらず、臨時国会開会を拒否している。その理由が「外遊日程がつまっている」からだという。ふざけるにもほどがある。何のために副総理や官房長官がいるのか。首相不在のときに、彼らが代理を務めるためではないか。
 閣僚の半分を代えておきながら、それら新大臣の所信表明すら行われていない。改憲、沖縄、TPP、原発再稼働、閣僚のカネの問題、新3本の矢(アベノミクス)、一億総活躍、さらには閣僚の下ネタスキャンダルまで、国会で議論しなければならない問題が山積みであるにもかかわらず、安倍はまともな答弁ができそうもないから逃げの一手なのだろう。そうでないというなら、堂々と臨時国会を開けばいい。
 批判されると「通常国会を前倒しして、新年早々に開会するので、臨時国会を開く必然的な理由はない」と、苦しい言い訳をする。
 しかし、憲法53条には「4分の1以上の要求があれば召集しなければならない」と明記されているのだ。もし通常国会の前に臨時国会を開かないとすれば、明らかに憲法違反となる。「召集しなければならない」とされているものを、「召集しない」ままで終わるのだから、誰が見たって「憲法違反」だ。
 なぜこのことを、野党議員はもっと訴えないのだろう? これほどあからさまな「憲法違反」の事例が目の前に転がっているのに、なぜたった2日の「閉会中審議」などというまやかしで終わってしまえるのか? 
 「これは国会議員としての義務を果たさせない安倍内閣の不作為である。私は議員として不利益を被った。憲法違反は明白だから裁判所は『違憲判決』を出すべき」として、なぜ司法に訴えないのだろう?
 
 これほど「違憲」を重ねる首相は前代未聞だろう。こんな首相に「改憲」などさせてはならない。「緊急事態条項」などを成立させてはならない。この国が独裁国家になってしまう…。

 朝日新聞(11月15日付)に、小さいが面白い記事があった。

「いけんの日」
 安保法成立 記念日協会決定

 安全保障関連法が成立した9月19日について、記念日の名付けを検討していた一般社団法人「日本記念日協会」(長野県)は、「9月19日いけんの日(平和への思いを忘れない日)」と決めた。
 協会に寄せられた約50案をもとに審査。法案を「違憲」とする声、自分の「意見」を持ち、「異見」を聞く大切さを訴える声が多く、「いけんの日」と名付けた。法律の賛否は分かれても平和を願う気持ちは同じと考え、「平和への思いを忘れない日」と付記したという。

 なるほど…。ぼくも9月19日を忘れない。
 11月19日には、その「19日」を忘れまいとする人たちが、また国会議事堂前へ終結するという。

私たちはあきらめない!
戦争法廃止!安倍内閣退陣! 国会正門前集会

11月19日(木)18:30~国会正門前
呼びかけ:戦争させない・9条壊すな! 総がかり行動実行委員会
→詳細はこちら

 多数の人たちが声を挙げる。ぼくも参加しようと思っている。
 「安倍“違憲”首相」を許さない……。

 

  

※コメントは承認制です。
54 独裁への道「緊急事態条項」」 に1件のコメント

  1. 早川 より:

    99%同意。それ以外にも自民の改憲案その2は、めちゃくちゃらしいと信頼すべき情報を得た。参院選で与党や改憲勢力が3分の1以上を占めたら、どさくさまぎれに、緊急事態条項あたりから改憲するのは目に見えている。

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すずき こう

すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)など。マガジン9では「風塵だより」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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