安倍政権批判をすると、必ずたくさんの反論が来る。その中でも多いのは、次のようなもの。
「安倍政権は選挙で選ばれた正当な政権。安倍政権を批判するなら、選挙で圧倒的多数を自民党に与えた国民を批判するのが筋。選挙で多数を得た側が、民意を代表しているのは当然だ」
つまり、選挙で多くの国民が自民党を支持したのだから、責任は国民にあるはず。したがって、ぼくのように安倍批判をするのは、実は国民をバカにすることになる、という論旨だ。むろん、国民の中にはぼくも含まれているから、ぼくの批判は、結局は天に唾する(自分自身に降りかかる)ことになる、と言いたいのだろう。
だけど、ちょっと待った。
国民の大多数が安倍自民党を支持して投票したというのは、事実とは違う。確かに圧倒的多数を安倍自民党は獲得した。では、圧倒的多数の票を得たのか。そこが問題なのだ。
2014年の衆院選で自民党が小選挙区で獲得した票は約2546万票。全体の約48%である。比例代表では約1765万票。これは全体の約33%。有権者全体でみれば、自民党の得票割合はほぼ25%にすぎない。ところが小選挙区では48%の得票で76%の議席(223議席)、比例代表では33%の得票で38%の議席(68議席)を得た。
ぼくは安倍自民党になんか投票していないし、実は多くの有権者も自民党には投票していなかったのだ。自民党は、小選挙区では投票者の半数以下、比例代表にいたっては投票者の3分の1の得票しかしていない。それなのに、圧倒的多数の議席を獲得した。
国民が圧倒的多数を自民党に与えたのだから、責任は国民にある、という批判はあたらないのだ。責任は別のところにある。
では、なぜこんなことになったのか。それは、現行の選挙制度のせいだ。現行制度では、小選挙区が295、比例代表が180、計475の議席が割り振られている。このうちの小選挙区が問題なのだ。この制度では、膨大な「死に票」が出てしまうという欠陥がある。
小選挙区では1人しか当選しない。何人の候補者がいようと、当選者はたったひとり。例えば、4人の有力候補が1議席を争うとすれば、理論的には26%の得票でも当選することがあり得る。つまり、74%の票がいわゆる「死に票」となる可能性だってあるのだ。
2014年の衆院選で見てみれば、小選挙区では実に2540万票もの「死に票」が出ている。これは投票者の48%に当たる。ほぼ2人に1人の票が「無駄」になってしまったわけだ。
しかし、比例代表だけで見てみれば、自民党は33%の得票で68議席(38%)を獲得。つまり、獲得票と獲得議席数がかなり近いことが分かる。簡単に言えば、もし全体が比例代表制の選挙であれば、自民党は全体の38%=180議席。つまり、その程度の議席しか獲得できなかったということになる。圧倒的多数どころか過半数にも満たない。しかし現実の結果は291議席。ほぼ110議席も上積みできたことになる。
これが果たして正しい選挙制度と言えるだろうか。
安倍政権は、たかだか国民の半数以下の支持で成り立っているのだが、実際の国会では圧倒的多数を占め、ほとんどやりたい放題の強権政治を繰り広げている。半数以上の国民が投票した覚えのない内閣が、なぜこんなことができるのか。
繰り返すが、現行の選挙制度のせいなのだ。
小選挙区で強みを発揮するのは、いわゆる「3バン」と称される地盤・看板・カバンである。すなわち地盤(強固な後援会等の組織)、看板(親の代からの知名度など)、カバン(要するにカネ)だ。したがって、これらを持つ2世3世の議員が圧倒的に有利なのだ。何代にもわたる政治家の家系というのが出現してしまう。現在の自民党議員の多くが、これら世襲議員である。ある意味で、彼らは「政治」を「職業」としている人たちだ。
だから「3バン」を持った候補者が多い自民党が、小選挙区では有利になる。しかも、強いといわれれば他の候補者が出にくくなる。そうなれば、小選挙区では「入れたい候補がいない」という状況になりやすい。
小選挙区では自民党が48%の得票率なのに、比例代表では同じ自民党が33%しか獲得できていないというのは、有権者が「小選挙区では仕方なく自民党候補者に入れたが、比例区では自民党以外の他の党に投票した」というケースがかなりあることを示している。
世論調査では、安倍首相の支持理由に「ほかに代わる人がいない」というのが常に上位に来ている。同じことが小選挙区という制度では起きているのではないか。
「ほかに適当な候補者がいないから、まあ、見覚えのある候補者に入れとくか…」というような投票行動が多いと考えれば、候補者名ではなく政党名を書く比例代表選挙では、自民党の得票数がこれほど減ってしまうという現象に納得がいく。
実は、このような雪崩現象的な傾向は、小選挙区制度が導入されてから、何度も起きているのだ。
2005年には、やはり自民党が小選挙区で48%の得票で73%の議席、2009年には民主党が47%の得票で73%の議席、2012年はまたも自民党が43%で79%の議席、2014年には前述したように自民党が48%で76%の議席を獲得している。確かに「政権交代」が起きやすい制度ではあるけれど、民意を正確に反映できる制度とはとても言えないのだ。
何度か同じことを書いてきたが、やはりこの選挙制度はおかしい。こんなに民意を反映しない制度は、早急に見直すべきだと思う。少なくとも、小選挙区制度は廃止もしくは縮小して、比例代表制を主にした制度に改めるべきだと強く思う。
むろん、比例代表制では「小党分立」が起きやすく、安定した政治ができにくいという批判もある。しかし、わずか33%の得票しかなかった党が独裁的な強権政治を行うことだけは防げるだろう。
小選挙区制度に代わるどのような選挙制度を作るかに関して、早急に「国民委員会」的なものを立ち上げ、新たな制度構築に向けて真摯に議論を開始する時期に来ているのではないか。
繰り返すが、ぼくは小選挙区では自民党候補に投票していないし、比例代表でも自民党に入れていない。ぼくと同じ投票行動をとった有権者がとても多い。小選挙区では、少なくとも有効投票者の48%しか自民党候補者には投票していない。比例代表では、実に67%もの人が、自民党以外の党に投票しているのだ。
それなのに、自民党が圧勝した。
おかしいじゃないか。
SEALDsの諸君は「民主主義って何だ!」と問いかける。ぼくらはそれに対し「これだ!」という答えを示さなければならない。
その第一歩が「選挙制度の見直し」だと、ぼくは強く思うのだ。
民主選挙制度の見直しは急がねばならない。国会議員主権から国権へ引き戻さねばならない。そして、主権者の意識改革だ。権力を監視し、批判し、改善を要求する意識の涵養だ。これは民主主義の前提だからだ。ところが逆に「思考停止状態」の光景が広がっているのだ。 幼少の頃から従順さを叩き込まれ、学校で「素直な子」が奨励され、「意見を言うと後でどうなるか」という不安や失敗恐怖が渦巻いている、と教育専門家が指摘する。これは多様性認める精神が醸成されにくい価値観の同質性を強いる土壌である。つまり、民主主義を支える意識は、子ども達が知らない内にどんどん浸食されているのだ。学校の中では私達が想像する以上に「価値観の同質性」が進んでいると見ている。とすれば、民主主義基盤の崩壊は低学年から進行しているということだ。「空気を読む」等は表層の一部である。空気は読むもではない。作るものである。