風塵だより

 安倍首相が、安保法制をむりやり強行成立させてしまった。まさに憲法破壊、独裁的手法というしかない無惨な国会の幕切れだった。これを民主主義だというのであれば、民主主義が泣く。

 この強行採決等に関して、ぼくのツイートへの反論として、次のような意見が、かなりたくさん寄せられた。
 「今回の安保法制は、議会制民主主義のルールにのっとった方法だ。選挙で選ばれた数の多いほうが、その数に応じて採決し成立させたもので、民主主義そのもの。少しは国会のルールを勉強したらどうですか」
 皮肉まじり、一見もっともなリクツだが、この意見が正しいとしたら、選挙が終わった瞬間に、すべては決まってしまう。国会で議論する必要などない。多数を占めた側が、どんな法案でも数の力で押し切っていいというリクツになる。国会そのものが必要なくなるではないか。
 選挙というものは、あるひとつの問題の黒白をつけるための「国民投票」とは違う。それを理解していないから、こんなメチャクチャな意見を吐いて「オレは頭いいだろう的自己満足」に陥ってしまうのだ。

 日本は、議会制民主主義というシステムを採っている。代議制ということだ。つまり、国民全員が集まって議論し決定する、という直接民主制は事実上不可能だから、選挙によって代表を選び、その代表者たちが集まって議論し、物事を決定していく、というシステムである。だから選ばれた代表者を代議士と呼ぶこともある。
 しかし、選ばれた議員が、その議員への投票者すべての考えを代表しているなどということは、絶対にありえない。十人十色という。投票者が100人いれば、100通りの考えがあって当然だろう。

 安倍自民党は、前回の選挙で「アベノミクス」とやらを最大の公約として掲げ、それによって勝利したといっていいだろう。その際の公約集に「安保法制」はほんの数行。ほとんどが経済政策で占められていたのだ。だからこそ、安保法制をめぐって、あれほどの大議論が巻き起こったのだ。「そんなこと、聞いてないぞっ!」というわけだ。
 民主主義とは「少数者の意見をどれだけ尊重できるか」にかかっているといっていい。少数者の声を聞く気がないのであれば、それは独裁政治である。安倍首相が今回強引に推し進めたやり方は、まさに「独裁」であり、権力者による「クーデター」だった。
 安倍本人でさえ、最後まで「国民のみなさんの理解が十分に進んでいるとは、残念ながら言えない状況であることは分かっています。だからこそ、成立後も丁寧な説明を続けて行かなければならない、と思っているわけでございます」と、くどくどと言い訳していたではないか。
 だが、その後、どんな「丁寧な説明」をしたか?
 それに関しては、もうすべて忘れてしまったように口を閉ざし、一方では自衛隊の海外任務の中身の変更が、国民にきちんと知らされることもなく、着々と進行している。ここに、例の「特定秘密保護法」がチラチラする。ぼくらはすでに闇の中へ置き去りだ。

 今国会で安倍内閣がやったのは、先週のこのコラムで触れたけれど、筑紫哲也さんが遺著『若き友人たちへ』で指摘していた通りのことだった。筑紫さんは「権力者が勝手なことをやることを許す国家を民主主義で造ると、極限形はファシズム、全体主義…。そのさらに極限形は戦争…」と言っていたが、安倍がやろうとしていることは、まさにこの「極限形」である。
 自衛隊は来年早々にも、南スーダンでの「駆け付け警護」の準備を始めているという。戦闘状態にある他国軍や襲撃されているNPOや国際団体のもとへ駆け付けて警護するというのだから、これは極限形であり戦争だ。
 ほんとうに、ぼくらはそんなことまで、安倍首相に権限を与えたのだろうか。民主主義の逸脱というしかない。

 安倍本人は、これで一段落だと思っているようだ。だが、国会の中は静まり返ったかもしれないけれど、全国各地で「安保反対」の声は鎮まるどころか、むしろ燃え広がっている。
 強面ぶりを隠すためなのだろう、安倍はまた妙なキャッチフレーズを掲げ始めた。
 曰く「一億総活躍社会」。
 こんなスローガンの下、「新3本の矢」とかいうヤツを、結局は失敗以外の何ものでもなかった「アベノミクス」のボロのつぎ当てにするつもりらしい。しかし、この内閣のキャッチフレーズの空疎さは、いまに始まったことではない。
 例えば「女性が輝ける社会づくり」というのがあった。安倍の腰巾着のひとり、有村治子参院議員を女性活躍担当相という新設ポストに抜擢。で、有村大臣、「女性活躍社会」の実現を目指し、「女性の社会進出には女性用トイレの増設が重要」と大真面目でぶち上げた。えっ、それがメインなの? と腰が砕けちまった女性たちも多かったろう。
 結局、女性が活躍できるような根本的な政策、パート従業員の正社員化も、子育て支援のための保育園等の充実も、何の成果も上げられなかった。これもまた、その場しのぎの口当たりいいリップサービスでしかなかった。

 東京新聞(9月28日付)にこんな記事があった。

 企業が女性の管理職登用などで数値目標を設定、達成した場合に助成金を支給する厚生労働省の2014年度の事業に、企業からの申請が1件もなく、予算約1億2000万円が全く執行されなかったことが27日、厚労省への取材で分かった。
 当初、14年度の対象は500社に上ると見込んでいた。厚労省は「助成金支給を数値目標達成時に限定したため」と分析。大企業などに数値目標設定を義務付ける女性活躍推進法施行を来年4月に控え、本年度から要件を一部緩和し、助成額も増やすことを決めた。(略)

 どれほど安倍内閣のキャッチフレーズが空疎なものか、よく分かる典型的な事例だ。言葉だけが上滑りし、中身が伴わないからこんなことになる。
 女性が働きやすい環境を作ることをないがしろにしておいて、女性管理職を増やせばそれが「女性活躍社会」だとアピールできると思っているらしい。だが、企業側でさえまったく評価していない。「助成金申請ゼロ」が、それを示している。
 当然のことながら、働く(ないしは働き口を探している)女性たちにとって、まるで意味のない政策だったのだ。

 そこへ、またしてもおかしなフレーズ「一億総活躍社会」を振りかざす安倍首相。
 まったく、安倍側近にはどんな“優秀な”ブレーンが揃っているのか。少し年配の方なら「一億総…」などと言われたら、とたんにその言葉にキナ臭さを嗅ぎ取るだろう。それを想像もできなかったのか。恵まれて育ったお坊ちゃん集団で、戦争の惨禍なんか考えたこともない茶坊主連中。
 「進め一億火の玉だ!」「一億一心」などの戦争中の標語、「一億玉砕本土決戦」というハチャメチャな開き直り、敗戦後は一転して「一億総懺悔(ざんげ)」で戦争責任をウヤムヤにし、やがて「一億総白痴化」でアッケラカン。それが「一億…」という標語の墓場だった。
 そんな墓場行きの言葉をまたもや持ち出した。それが「一億総活躍社会」。中身がすごい(というより、ひどい)。毎日新聞(9月25日付)で見てみよう。

 安倍晋三首相が24日、名目国内総生産(GDP)を足元より2割多い600兆円に拡大する目標を表明した。具体策として ▷強い経済 ▷子育て支援 ▷社会保障―の「新三本の矢」を打ち出したが、市場では「万人受けを狙った施策で、真に経済成長の起爆剤になるかは未知数」(民間エコノミスト)との声が多い。海外景気も中国経済の変調などで不透明感を増しており、GDP600兆円は単なるスローガンに終わる可能性がある。

 なにしろ、政府が9月8日に発表した4~6月期の実質GDP改定値は年率換算で1.2%減とマイナス成長だったのだ。そんな経済情勢下で、現在のGDP488兆円を、どうやって600兆円まで成長させることができるのか? その具体策が「新3本の矢」というわけだが、これも言葉が躍るだけ。
 「子育て支援」では「待機児童ゼロ」とか「子どもの貧困問題の解決」などを並べているが、子どもの貧困は親の貧困を解決しない限りどうにもならないはずだ。それへの対策は示されない。
 「社会保障」に至っては、切りつめ切り捨て減額ばかりが目立つではないか。「介護離職ゼロ」を目指すとしているが、親の介護のために仕事を辞めざるを得ない人が年間10万人を超えているという現状を、どう改善するのかも見えていない。
 「強い経済」とは、労働者派遣法の改悪で、大企業が儲かる仕組みを作ることらしい。それに呼応するように、財界からは「死の商人」路線が聞こえてくる。朝日新聞(9月29日付)だ。

 経団連の榊原定征会長は28日の記者会見で、武器を含む防衛装備品の輸出や他国との共同開発について、「国家間の安全保障関係の強化に資する」と述べ、国家戦略として推進していくことの必要性を訴えた。(略)

 儲かりゃ何でもいいのかっ! と思わずどついてやりたくなるけれど、これが日本の財界人なるものの本音なのだろう。働く者のことなど、ちっとも考えちゃいない。安倍とスクラムを組んで、戦争すらも儲けのタネにしようというのだ。これが安倍の言う「強い経済」の実態だ。

 やがて安倍晋三首相の口から「一億総動員」という悪夢の言葉が発せられる日が来るかもしれない。そうなる前に、なんとしてでも「安倍退陣」を実現しなければならない。

 ぼくは、またデモへ行く。
 安保法制に賛成した議員たちに目のもの見せるための「落選運動」が始まった。来年の参院選、そしてその後の衆院選。
 民主主義って何だ! これだ!

 

  

※コメントは承認制です。
47 「一億総動員」が叫ばれる日」 に1件のコメント

  1. うまれつきおうな より:

    まるで国家総動員法が戦後から今まで眠っていたかの様なおっしゃりようですが本当にそうでしょうか?少なくとも私は今まで政治、教育、経済、福祉等が、総動員法、防空法、受忍論以外の論理で話されているのをほとんど見たことがないのですが。一般市民に武器を持たせて「逃げるな」とブン殴るような作品ですら一言反戦的セリフを
    言わせれば「感動的成長物語」「反戦作品」で通るほど戦前の価値観は<責任感、献身、団結>などに姿を似せて日本人に染みついているのだと思います。つまり今回の法案が通った以上たとえ明日安倍首相がポックリ逝こうが、いつでも国家総動員法を出す準備は整ったということだと思います。やはり本当の敵は安倍さんのようなわかりやすい悪ではなく、一見<美徳>や<当たり前>とされていることではないでしょうか。

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すずき こう

すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)など。マガジン9では「風塵だより」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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