風塵だより

 前回のこのコラム(28回)で、ぼくは日本の選挙制度のいびつさに疑問を呈した。選挙における得票率と実際の獲得議席数に、あまりにも大きな乖離があるのではないか、と思ったからだ。
 新聞を見ていたら、これが日本だけの話ではないことが分かった。こんな記事だ(東京新聞5月10日付)。

‘15年 英総選挙
「400万票…わずか1議席」 独立党党首「制度破綻」と批判
 単純小選挙区制ひずみ鮮明

 七日の英下院(定数六五〇)選挙では、保守党が単独過半数の三百三十一議席を獲得したが、得票率では第三位となった英独立党が一議席しか得られないなど、単純小選挙区制のひずみが鮮明となった。多党化が進む中で、現行制度に疑問の声は高まっている。
 
党名        獲得議席数 得票率
保守党        331議席 36.9%
労働党        232議席 30.4%
スコットランド民族党  56議席  4.7%
自由民主党       8議席  7.9%
民主統一党       8議席  0.6%
シン・フェイン党    4議席  0.6%
ウェールズ民族党    3議席  0.6%
社会民主労働党     3議席  0.3%
アルスター統一党    2議席  0.4%
英独立党        1議席 12.6%
緑の党         1議席  3.8%
無所属・その他     1議席  0.5% 

 (略)一部の地域にしか候補を擁立しない地域政党の場合は、全国の得票率が低い割に議席数が比較的多くなる傾向があり、スコットランド民族党は議席数で第三党に躍り出た。(略)
 民族党はスコットランドでの得票率が50%だったのに域内五十九議席のうち九割超の五十六議席獲得し、得票率と獲得議席数は大きくかけ離れている。
 自身も落選した英独立党とファラージ党首は八日、「わが党は約四百万票を獲得したのにわずか一議席。小選挙区制度は破綻している」と不満を述べた。(略)

 スコットランド地域では、なんと50%もの票が、いわゆる「死に票」になってしまったわけだ。つまり、投票者の半分の人の意思は選挙結果には反映されなかったことになる。
 
 イギリスは2大政党制の先進国といわれる。下院の選挙制度は単純小選挙区制。すなわち、すべての議員は1人しか当選しない小選挙区で選ばれる。これまでイギリスでは、それなりに機能してきた制度だ。大雑把にいえば、富裕層が保守党支持、労働者階級が労働党支持と、かなり明確な住み分けがなされてきたからだ。
 保守党が資本家階級の優遇策をとって経済発展を第一の政策に掲げてきたのに対し、それに不満を持つ中・低所得階層への社会保障制度などを推進する立場が労働党だった。
 したがって、この2大政党が政権交代を繰り返すことで、両階層の不満を吸収し、それなりの政策を実現してきたという歴史がある。だが近年、EU参加などにより、移民労働者が増加、そのことへの風当たりが強まり、中間層の意識はこの2大政党では吸収しきれなくなった。そこで、さまざまな政党が割拠する状態が生まれ始めた。
 人々の意識が急激に変化しつつある時代、しかもインターネットの爆発的な普及により、これまでは得られなかった情報が、豪雨のように降り注ぐ。そうなれば、ふたつの大きな流れに人々を束ねていくことなど不可能になる。さまざまな政治意思を持った集団が出現するのは当然のことだ。
 イギリスという小選挙区制のお手本のような国でも、これほどのひずみが生まれているのだ。それらを参考にして出来上がった日本の選挙制度が歪むのは当たり前の話かもしれない。

 日本でも、かつては2大政党制的な政治状況があった。いや、2大政党というよりは、1対0.5程度の割合だった。自民党が多数を占めてはいたが、社会党がある程度の議席を持って、自民党に対抗していた。いわゆる「55年体制」である。
 イギリス風に言えば、自民党が保守党、社会党が労働党、といったところか。背景には東西冷戦という地球規模の対立構造があった。社会主義に親近感を抱く社会党と、アメリカ流資本主義体制を信奉する自民党という、分かりやすい構図だったわけだ。
 だが、社会主義ソ連の崩壊と、東西和解・雪融けの進展の中で、社会主義への幻想は崩れ、それに伴って社会党は力を失っていく。その結果が現在の社民党という弱小政党である。
 では、自民党は一人勝ちしたのか。そうはいかない。何度となく繰り返される「カネと腐敗」は、自民党に何度も危機をもたらした。その金銭疑惑を取り除こうとして出来上がったのが「政党助成金制度」だった(注・共産党だけは、この助成金を拒否している)。
 だがこれも、腐敗一掃の妙薬とはならなかった。現在も、小渕優子議員や下村博文文科相のように、カネにまつわる疑惑は尽きない。
 その自民党への批判を背景に政権交代を成し遂げたのが民主党だった(2009年)。まさに地滑り的な民主党の圧勝、309議席を獲得したのだ。日本における小選挙区制の威力をまざまざと見せつけた最初の例となった。
 しかし、逆に言えば、これが悪しき例となってしまった。実は、イギリスのように、日本の政権交代がある意味での「思想の交代」ではなかったからだ。民主党は寄せ集め政党。先日まで自民党にいた政治家が、人気凋落の自民党を見限って民主党に移って立候補…などという例が続出した。現在の民主党議員の最初の所属政党を調べてみるがいい。自民党出身者がいかに多いことか。
 このころの政治川柳の傑作に、次のような句がある。

わしは今 どこの党かと 秘書に聞き

 つまり、思想信条にしたがって党を選択したのではなく、どの党に所属すれば選挙で有利か、ということだけを優先した人物が民主党の風に乗ったのが、民主党の政権奪取の実態だったのだ。これではうまくいくはずがない。現在でも、憲法観、原発対応、安全保障政策、農業政策などで、民主党内はバラバラのまま。そこに確固とした「政治思想」はない。

 各種の世論調査では、憲法改定(特に9条)に反対する人が賛成よりも多いし、原発再稼働反対も賛成を圧倒している。集団的自衛権行使にも反対が多数、沖縄の米軍基地建設反対も調査の回が進むにつれて多数になった。アベノミクスに至っては恩恵を受けていないという人が大多数のままだ。
 ならば、なぜ安倍内閣の支持率が高止まりしたままなのか。
 安倍支持の中身を問うと、ほかに任せられる人(党)がいないから、という答えがいちばん多い。そんな首相が、支持率が高いという勘違いに乗って「戦争法案」に驀進する。
 繰り返すが、安倍個人の支持率が高いのではない。「ほかにいい人がいない」「ほかの内閣よりはよさそう」という漠然とした「まあ、しゃあないか支持」なのだ。
 暗然たる気持ちになる。

 確かに、イギリス流の単純小選挙区制では「死に票」が多すぎる、ということで、日本の場合は「小選挙区比例代表並立制」という仕組みを作り上げた。小選挙区と比例区の“いいとこどり”のつもりだった。
 現在、衆議院の議員定数は475である。これまでは、定数は480だったが、1票の格差是正のため0増5減という小手先の手直しをした結果、475となった。そのうち、小選挙区は295、比例区は180である。圧倒的に小選挙区の比率が高い。
 前回コラムでも触れたように、比例区での自民党の得票率は33%に過ぎない。もし比例区と小選挙区の割合が現行と違っていたら、自民党圧勝という結果は生まれなかったはずだ。
 しかし、では自民党に代わる政党が確立されているかといえば、前述したように、第2党である民主党など、とてもその役目を果たせそうもない。だから投票率は史上最低を記録する。共産党が伸びているとはいっても、昨年の比例区では11.37%しか得票していない。

 ぼくは、早急に選挙制度の改革をしなければならないと考えている。それは前回も書いたように、「比例区を主、選挙区を従」にするという改革だ。
 ほんとうは、完全比例代表制がもっとも民意を反映する制度であることは間違いないけれど、そうすれば、地方の意見を中央へ届けられなくなる、という側面も配慮して、「比例区が主、選挙区が従」という妥協案を、一応は考えているわけだ。
 個人ではなく、政党への投票を重視するという制度だ。そうすれば、現在よりも政党が前面に出て戦わなければならないことになる。つまり、政党としての「思想性」が、少なくとも現在よりは重く問われる選挙戦にならざるを得ない。
 憲法観、原発対応、沖縄米軍基地問題、戦争法案…。
 それくらいは党内での意思一致を前提にして公約に掲げなければ、政党としての存在意義が問われることになる。
 むろん、「政治は駆け引きと力だ。そんなにうまく色分けできるはずがない」と批判されるのは分かっている。しかし、せめてそこへ近づけるための第一歩としての選挙制度改革が、どうしても必要だと思うのだ。

 「比例代表制にすれば、小党乱立で政治の安定性が失われる」というのが、比例制に反対する人たちに多い意見だ。だが、それでもいいと、ぼくは考えている。
 ほとんど一党独裁(というより、安倍の個人独裁)に近い強引なやり方で、次々に「戦争法案」が押し進められていく。それに対抗するには、さまざまな意見が必要だ。賛成・反対の2色ではなく中間もあり得るし、まったく別のハッとするような意見も出てくるかもしれない。さまざまな意見を持つ政党が現れれば、ぼくらの選択の幅も広がる。
 史上最低の投票率を嘆く前に、まず投票所へ行きたくなるような政党がどんどん生まれなくてはならない。そのためには、比例代表制で明確な思想を掲げる政党の出現を期待するしかないのではないか。
 伊藤真さんらが言うように「違憲状態の選挙で生まれた議員たちに、憲法を改定する資格はない」のだ。ならば「違憲状態ではない選挙制度」を早急に作るのが、もっとも大切なことだとぼくは思うのだ。
 
 ぼくは、自分の1票を「死に票」にはしたくない。

 

  

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すずき こう

すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)など。マガジン9では「風塵だより」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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