風塵だより

 世の中、目まぐるしく動いている。
 だから「マガジン9」も忙しい。

 沖縄では、いよいよ県知事選が大詰めを迎えようとしている(16日投開票)。しかし本土(!)の関心は、あまり大きいとは言えない。
 例えば11月1日(土)、那覇市のセルラースタジアム(野球場)で、稀に見る大きな集会が開かれた。県知事選へ向けた「翁長雄志うまんちゅ1万人大集会」と銘打った、辺野古新基地建設反対を訴える翁長雄志候補の支援集会である。当初は「1万人は無理ではないか」と不安視する声もあったらしいが、なんと主催者発表で14800人という大集会となった。
 この集会には、菅原文太さんも応援に駆けつけた。また、元自民党幹事長で沖縄開発庁長官だった野中広務さんも、応援メッセージを寄せたそうだ。従来の保守革新の枠を越え「新米軍基地建設の是非」が焦点になった。結果は日本の今後の安全保障政策に大きな影響を及ぼすことになる。それほど重要な選挙なのだ。
 沖縄ではこれまで、米兵による少女暴行事件抗議、教科書問題、基地撤廃、オスプレイ配備反対などの大きなテーマの際には、10万人規模の大集会が、何度か開かれている。けれど、個人の支援集会でのこの人数はほとんど例がない。それほど、沖縄での熱気はすごいことになっているらしい。
 沖縄タイムスや琉球朝日放送などの現地メディアは懸命な報道ぶりだが、本土(!)のマスメディアではほぼ黙殺されている。この温度差は、やはり縮まらない。東京都知事選ではTVも新聞も、各陣営の動員数まであれほど克明に報じていたのに…。
 いま、この国にとって、もっとも大きな争点は「原発再稼働」と「沖縄米軍基地新設」ではないか。それは、安倍政権の深いところとつながっている問題だ。アベノミクス破綻を糊塗するためのひとつの手段としての「原発再稼働」、アメリカとの軍事同盟に関わる「沖縄米軍基地新設」。これらにあまり触れず、深層を掘り起こそうともせず、政界の動きに振り回されてばかりいるマスメディアの報道には、いささかうんざりしている。
 
 一方の原発問題についても、報道は減少気味である。
 福島県知事選では本来の自民党候補を引きずり降ろし、民主党系の候補に相乗りするという「目眩まし戦法」で、見事に原発問題をスルーしてしまった自民党。こうなれば、また好き勝手か。
 だが、福島県の被災者支援の実態は、ますますひどくなるばかり。とくに、子どもたちへの健康対策などは、まるですべてが暗闇の中へ葬られかねない、というような恐れさえ感じる。
 『福島原発事故 県民健康管理調査の闇』(岩波新書、780円+税)で、福島県における健康調査の闇を暴いた日野行介さん(毎日新聞記者)が、今度は被災者救済策の裏面を追及した本『福島原発事故 被災者支援政策の欺瞞』(岩波新書、780円+税)を出版した。
 このままの「被災者支援政策」が続いた場合、どうなるのか。とくに、第2章「子ども・被災者生活支援法とは」を読んでいくと、福島県のみならず、この国の行く末に暗然とする。
 ここで、本書の詳細にまで分け入ることはできないけれど、ぜひ一読をお薦めしたい。

 先週の「風塵だより」では、川内原発再稼働のデタラメさについて触れた。中でも、火山地帯にある川内原発の巨大噴火対策は、この原発の大きな弱点になっている。なにしろ、九州電力も原子力規制委員会も、噴火のリスクについては「この30年間は起こらないだろう」という、世にも不思議な楽観論(というより、な~んも考えてないも~ん)で押し通してしまった。
 さすがに、黙っていられなくなった火山学者たちが声を挙げた。
 日本火山学会の原子力問題対応委員会は11月2日、規制委に対し審査基準を見直すよう求める提言をまとめた。噴火予知の限界を示し、曖昧さが残ることを踏まえた基準に見直すべき、ということだ。
 要するに、火山学会としては、九電や規制委の「巨大噴火が稼働期間中には起こる可能性が十分に低いし、起こるとしても、その前兆を捉え事前に核燃料を運び出せる」という言い分は、いまの火山学の水準ではとても納得できないとしたのだ。
 専門家が「できない」と言っていることを、九電も規制委も安倍内閣もまるで聞こうという姿勢がない。彼らの辞書の原発の項目に「再稼働」以外の言葉は載っていないらしい。

 どこで見つけるのか知らないが、ぼくのアドレスに「じゃあ、石油輸入費の増大で日本経済が潰れてしまってもいいのか。お前はバカか!」というような罵倒メールが来た。もうこの手の罵倒には馴れてしまったけれど、まだこんなことを言う人がいる、ということには驚いてしまう。
 原発が止まっているから石油の輸入が増えて、日本経済が危うくなる? 
 「お前の言うことなど信用できない」と再罵倒されるかもしれないので、信用できる専門家の意見を引用しておこう。

 『週刊金曜日』(10月31日号)で、ライターの横田一さんが「安倍首相から名指しされた藻谷浩介氏のアベノミクス批判 “経済的反日”政権の幻想から目覚めよ」という記事で、藻谷氏(ベストセラー『里山資本主義』の著者)の講演内容を紹介している。その講演で、藻谷氏は明快に「石油輸入増加による日本経済への悪影響」論を切り捨てている。
 要約すると、以下のようになる。

◎日本の輸入は、野田政権時に66兆円、安倍政権時に77兆円と、1年間で11兆円増えている。

◎だが、石油・天然ガス・石炭は、11兆円のうち3兆3千億円(約3割)。

◎ほかの7割は食品、スマホ、雑貨など。燃料費以外の商品の輸入額の増加はほとんど円安によるもの。

◎石油や天然ガスの輸入量は、原発事故前の2010年も事故後の2013年も2億5千万キロリットルで横這いのまま。

◎つまり、燃料代増加も円安が主な要因ということは明白。

◎全原発を再稼働すれば、燃料輸入代を1兆6千億円減らせるという経産省試算。しかし、2013年の貿易赤字は8兆5千億なので焼け石に水…。

 これらの数字を突きつけられてもなお「原発を再稼働しなければ日本経済が危うい」などと言う人がいるだろうか。日本経済を危うくしているのは、原発停止ではなく、むしろアベノミクスによる「円安誘導」を主とする経済政策ではないか。
 そして、先週のこのコラムでも触れたように、イギリスでは原発建設に、いまや1基2兆円もの金がかかるとされている。日本での原発建設費の数倍だ。それだけの安全対策をしなければ建設許可は下りないというのに、川内原発再稼働については、フィルター付きベントも免震重要棟も先送りのままだし、欧米では必須となっているコア・キャッチャー(過酷事故でメルトダウンした場合の溶けだした核燃料の受け皿)の設置も義務付けられてはいない。イギリスの原発の安全対策基準を適用すれば、日本の原発はほとんど動かすことなどできないのだ。
 安倍首相の言う「世界最高水準の“安全”基準」などという戯言(ざれごと)は、いったいどういう根拠に基づいているのか? 一遍、彼の頭の中を覗いてみたいと思う。粗雑さに呆れるかもしれないが。

 さらに問題なのは、日本の原発維持のための切り札ともいうべき「核燃料サイクル・システム」が、完全に不能状況に陥っているということだ。
 青森県の六ヶ所村に「使用済み核燃料再処理工場」というものがある。いや、いまだに“ある”とは言えない状態だ。動いたことがないのだから。
 これは、原発で生じた使用済み核燃料の中のプルトニウム(地上最凶の猛毒といわれる)を燃料として再使用するために取り出すという、いわゆる「核燃サイクル」の最も重要な工程だ。プルトニウムを取り出した後の高レベル放射性廃棄物は、ガラスで固めて(ガラス固化体)保管する。ところがこの工場、まったく動かない。
 実はこの工場は1997年の完成を目指していた。だが今年10月30日、経営体の日本原燃は「2016年3月まで完成を延期する」と発表。実にこれが21回目の完成延期ということになった。
 これはもう、ジョークの域だろう。ほぼ20年間、完成が遅れてもまだしぶとくやり続ける。「エライ」と言おうか「ええ加減にせえ」と言うべきか…。一般企業なら責任者はとっくにクビ、株主代表訴訟で莫大な賠償金を課せられていてもおかしくない。それがまあ、のうのうと…。「ジョークの域」という意味がお分かりだろう。
 しかも、当初予算は7600億円といわれていたものが、いまや11兆円超(電気事業連合会発表)となり、それとは別に原発そのもののバックエンド費用が19兆円に達するという試算もある。むろん、これらはすべて我々の税金と電気料金から負担されるわけだ。

 原発に関するカネの問題は、残念ながらこれでは収まらない。
 「核燃サイクル」の一端を担うのが、高速増殖炉「もんじゅ」だ。ところがこいつが曲者。これもまた、凄まじい金食い虫だ。
 「もんじゅ」は1983年に着工、1994年に臨界に達したが、翌95年にナトリウム火災事故を起こし停止、ようやく再稼働のめどがついた2010年、今度はクレーン落脱事故でまた停止。以来、停止したままだ。ここへつぎ込まれた費用はすでに1兆1千億を超えているというが、停止中の現在でも1日あたりの維持費が5500万円、つまり年間で200億円以上がつぎ込まれている。動いていないものに、そしてこれから動く可能性も疑問視される施設に、これほどのカネが投入されているのだ。
 この「もんじゅ」の危うさは、1万カ所以上に検査漏れが見つかるなど、まったく改善の兆しがない。それでもこれだけのカネを食う。

 福島事故原発では、メルトダウンした核燃料の取り出し時期が、あっさりと延期された。当初の予定より5年遅れ、2025年に作業開始という。これは1号機の話、2号機もずれ込むのは確実。原子炉の中がどうなっているのか、まったく分からない状況ではそれも当然だろう。
 開始時期が延期であれば、終了時期(事故の完全収束)などいつのことになるのか、見当もつかない。「いま生きている日本人で、完全収束に立ち会える人などいないだろう」という研究者もいるほどだ。
 時期が延びれば延びるほど、費用も大きくなる。いったいどれくらいの積算費用になるか、これがほんとうの天文学的数字というやつだ。だから、そのカネに群がる人たちも出てくる。

 これほどの物理的リスクと健康リスク、さらには金額的リスクまで抱えながら原発再稼働へ突き進むという人たちの、ほんとうの気持ちをぼくは聞いてみたい。
 「天文学的数字」のカネの恩恵にあずかりたい…、自分の生きているうちには、もうあんな事故は起こらないだろうから…。
 原子力ムラの住民たちの本音がそんなところにないことを、せめて祈りたいけれど。

 

  

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すずき こう

すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)など。マガジン9では「風塵だより」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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