秘密保全法(特定秘密保護法)が成立した。法律の内容といい、国会審議のありようといい、本当にひどいものだ。ここまでの経緯を振り返ったり、これから起こりかねない事態に思いを致したりすると、暗澹たる気持ちになる。私のようなB級ライターは、今まで通りのスタンスとスタイルで粛々と取材し、原稿を書くしかないのだけれど。
この局面で、考えていることが2点ある。それを綴ってみたい。
1つは、この悪法の成立を本当に阻止することができなかったのだろうか、ということだ。私にはどうしても、反対運動の立ち上がりの遅れが悔やまれてならない。
「マガジン9」が最初にこの法律のことを取り上げたのは、昨年2月だった。法案が国会に提出される1年半以上前のことだ。どん・わんたろう氏が「ネットやフリー記者を標的にしそうな秘密保全法」というタイトルで、法律の土台になった「有識者会議」の報告書(2011年8月)の内容を紹介した。文書を作った当の政府機関が秘密を指定するため、恣意的にその範囲が広がりかねないことと、「取材・報道の自由」が制約されかねないことを強く批判していた。
当時の民主党政権は昨年3月、通常国会への法案提出の見送りを決める。これを受けて、どん氏はさらに「油断は禁物の秘密保全法」という記事を載せている。その中で「政府は決して法制化をあきらめてなんかいない」と警鐘を鳴らし、「一気に法制化そのものを断念させる取り組みが必要なのだと思う」と呼びかけていた。
しかし、この2本の記事への反響は、今国会での反対運動の盛り上がりに比べればとても小さいものだった。それはともかくとしても、当時、新聞・テレビの多くが、全くと言っていいほど報告書や法律の内容をきちんと報じていなかった。法案の国会提出が先送りされたあの段階で一気に潰しておくべきだったと、今さらながら残念でならない。
その後、私は今年3月に当コラム「法浪記」を始めたが、9月にパブリックコメント(意見公募)の実施に合わせて「やっぱり油断は禁物だった秘密保全法」を書くまで取り上げなかった。「マガジン9」でも伊藤真・弁護士らが秘密保全法の問題点を提起し、私もスタッフとこのテーマで「マガ9学校」を企画しようという話をしていたものの、実現できなかった。ともに深く反省している。
改めて肝に銘じなければならないのは、与党、とくに自民党に巨大な数を持たせてしまった今の国会の情勢では、法案を国会に出されたらおしまい、ということだ。あるいは、その前段階で閣議決定されたらダメかもしれない。パブリックコメントにしても、全くと言っていいほど顧みられないことが分かった。危険な法律の芽が出た段階で、とにかく素早く動いて、徹底して摘み取らなければいけないのだ。
これまで以上に、ヘンテコな兆候に目を凝らさなければならない。そして、自民党に影響力を持つ公明党をはじめ、みんなの党でも維新の会でも、利用できるところはすべて利用する必要がある。大変だけど。
メディアの発信の方法も見直したい。ネットで書いている身で恐縮だが、私の体験で言えば「ネットだけ」では運動は広がらない。どこかの段階で新聞やテレビが報じないと、国民全体に浸透しない。ネットが火を着けた時点で、新聞やテレビが取り上げざるを得ないような仕掛けを考えていかなければならないのだろう。
もう1点は「民主主義の仕組み」についてだ。
秘密保全法は衆議院でも参議院でも、強行採決で可決された。選挙の方式や定数の問題はあるにせよ、結果として自民党にあれだけの多数を与えたのは私たち有権者だ。だから、間接民主制を取る以上、最終的に多数決になれば、彼らの意のままに決められてしまうことは分かっていた。安倍晋三氏が首相になった時点で、かなり滅茶苦茶なことをやってくることも予想できた。
もちろん、私たちはすべての政策を国会議員に「白紙委任」しているわけではない。国会で多数を占めていれば、公約もしていないようなことをやっても許されるということにはならない。それにしても、大事な政策が国会議員の多数決だけで決められてしまう仕組みがある限り、今回のような事態は繰り返されるに違いない。
デモのような手段で訴えることを否定はしないが、それにも限界がある。デモへの参加者数が多いから、単純に「反対」の国民が多いとは言い切れない。デモだけで世の中が変わってしまえば、むしろ怖いとも言える。権力側に逆に利用される可能性もあるからだ。
重要な案件については、国会議員がすべて決めてしまうのではなく、国民が自らの意思を表明でき、賛否が数字で表される「仕組み」が不可欠なのだと、改めて感じている。そう、国民投票である。投票結果が必ずしも自分の望む結論と同じにはならないリスクは当然あるけれど、国会議員に勝手に決められるよりは余程良い。
2010年に施行された憲法改正国民投票法の「3つの宿題」の中に、一般的な政策事項(たとえば「原発」など)をテーマにした国民投票制度の導入があることは、あまり知られていない。実は、国会での議論は進んでいるのだ。国民の側から国民投票の制度化を求める運動を強めていけば、実現し得る状況にある。
秘密保全法の成立に隠れるように、武器輸出3原則の見直しが打ち出され、エネルギー基本計画には原発維持が盛り込まれそうになっている。そして、海外での戦争を前提にした集団的自衛権の行使容認へ向けた動きが本格化してくる。国民の声を政治に正しく反映させるにはどうしたら良いのか。民主主義の「仕組み」の問題と真剣に向き合う必要があるのではないだろうか。
橋下徹・大阪市長が「選挙はある種の白紙委任だ」と発言したときには、背筋がぞっとするような思いがしたものですが、いまやそれと似たような感覚が、国政の場をも覆っているような気がします。選挙での判断が重要なのはもちろんですが、それによって多数派を占めた勢力にも「好き勝手」をさせないためにはどうしたらいいのか。筆者が提案する「国民投票」の導入も、有効な手段の一つといえるかもしれません。皆さんはどう考えますか。
民主主義は最終的には多数決です。少数派の意見も考慮する必要こそあれど、意見が対立しそれでも決定しないといけない場合には多数決で決めるのがルールです。
強行採決といいますが、民主党政権の時にはもっとひどい強行採決がてんこ盛りだったのにその事は無視ですか。そんなダブルスタンダードが通じる世の中ではもう無いのですよ。
「武器輸出3原則の見直し」「原発維持」「集団的自衛権」すべて私は大賛成です。
今の日本が置かれている状況を考えればすべて必要な事です。
国民投票の導入といいますが、何でもかんでも国民投票で決定するのであれば間接民主主義の意味がありません。
どうも自分が信じた様にいかなければ国民の声が反映されていないと考えているようですが、それが明らかな誤りであることを認める必要があるのではないですか。
大政党に有利な小選挙区制に疑問を感じます。
http://blogos.com/article/67040/
衆議院・参議院で過半数とられて、議会を悪用されたら、どんな違憲な法律でもとおってしまう・・
内閣がどんなに世論を裏切っても、内閣不信任を決議できない。
衆・参過半数が、民主主義の危機に直結していたとは・・・
党議拘束すること自体も問題です。こんなひどい法案、党議拘束&脅しでしか通らないからそうしたのだろうけど。
民意が目がさめるのには、時間がかかるのかもしれないです。
国会のまわりでデモをやってすごい人数が集まっているらしい→なんだろう、調べてみよう→それどころじゃない、早く仕事いかなくちゃ→ネットで、みかけた→もっとおもしろそうな記事が目に入ったからやめた→友達がブログで問題提起していた→自分でも調べてみて、問題意識をもった→自分も何か行動しよう
今の自公政権の悪法のスピード強引処理に比べたら・・・
彼らはおそらく、目先の利益(自分の議員バッジ)しか追ってないのではないか?
長期スパンでものごとを見られない。近視の人たちが、変な方向に一斉に走り始めているようにみえる。
花田さんへ
花田さんが取り上げている上記リンク先の記事ですが、コメント欄で尽く否定されているのですけど・・・。
そもそも小選挙区自体、中選挙区では自民党から政権が奪えないとのことで政権交代できる制度として導入されたはずですが? 現に民主党への政権交代を果たしているではないですか。(その結果は最悪でしたが)
民主党が政権を取って出鱈目し放題であった時には何も言わず、自民党が政権を取ったとたんにこれですか。
自分が嫌いな政党が政権を取った時だけ文句を言うのは話が通らないですよ。
長期視点でものを見られないのは自民党ではなくあなた方でしょう?
自分のことを棚に上げて物を言うのはどうかと思いますよ。
ちなみにデモを行っている人たちのみが民意だとはゆめゆめ思わない事です。
賛成している人は何も言いませんので。
花田花見さんへ
現実を直視した視点でのご意見ありがとうございます。ところで「民意が目が覚めるのには,時間が掛かるかも知れないです」という点ですが、これは教育の力を借りなければ難しいと感じています。自立心の弱い国民性からは時間の経過のみでは難しいと考えるからです。そもそも民主主義は国民が権力を監視し、批判し、改善を要求することが出来るから進歩するものと考えます。この点、理想、理念の欠けた話を聞くことは疲れます。民主主義が崩壊し、立憲民主主義的憲法が消えてからは何もかもが手遅れです。これからも鋭い視点でのコメント楽しみにしています。関心を装う無関心層に組み込まれないよう、今何が出来るか.何をすべきか、を考え行動しながら頑張ります。