憲法の大事な原則に「三権分立」があるってことは、中学校の社会科で習う。立法府(国会)と行政府(内閣)と司法府(裁判所)が設けられ、それぞれが独立しながら、相互にチェックしあう仕組みだ。
では、三権分立を習ったばかりの中学生が今回の最高裁判所の判決を学んだら、果たしてどう思うだろうか。そんな突っ込みを入れたくなるほど、「最高裁はなんでこんなに国会におもねるのだろう」という感想を持たざるを得なかった。衆議院議員選挙の「1票の格差」(1人1票)をめぐって、11月20日に出された判決である。
訴訟は、こんな内容だった。
民主党の野田首相の決断で行われた昨年12月の衆院選で、小選挙区の有権者数の差(1票の格差)は、最も少ない高知3区と最も多い千葉4区とで2.425倍にのぼった。その前、2009年8月の衆院選は2.304倍だったから拡大している。全国300の小選挙区のうち、2倍以上の格差だったのが72選挙区と4分の1近くに及び、2009年より27も増えた。
こうした格差を放置していた公職選挙法の規定は「法の下の平等」を定めた憲法14条に違反して無効だから、それに基づいて実施された選挙も無効である、と主張して2つの弁護士グループが提訴していた。
最大の問題点は、今回の選挙区割りが、2011年3月の最高裁判決で「違憲状態」と判断された2009年衆院選の区割りと同じだったことだ。選挙直前に「0増5減」の法改正は国会で成立したが、具体的な区割りの変更は間に合わなかった。最高裁判決から衆院選まで1年9カ月。この間、国会は実質的な改善策を実現できなかったわけだ。
1審の高等裁判所では「違憲」との判断が14も並び、うち2つは選挙を「無効」とする初めての判決となった。それだけに、国会の「怠慢」に対して最高裁が今回どこまで踏み込んだ判決を下すか、大いに期待していた。
ところが、最高裁は「憲法の投票価値の平等の要求に反する状態」、つまり違憲状態との結論にとどめ、選挙も有効とする判決に終わった。
中身を見てみよう。
判決はまず、「憲法は、選挙権の内容の平等、換言すれば投票価値の平等を要求している」と述べる。これはいい。しかしすぐに「他方、投票価値の平等は、選挙制度の仕組みを決定する絶対の基準ではなく」と続くあたりから雲行きはおかしくなり、「選挙制度の仕組みの決定について国会に広範な裁量が認められている」とつながる。
国会が定数配分や選挙区割りを決めるにあたっては、1票の格差だけでなく地域の面積、人口密度、住民構成、交通事情、地理的状況といった諸要素を考慮することも「合理性がある限り許容されている」とのスタンスに立っているのだ。40年近く前、1974年の最高裁判決で示された趣旨を踏襲しているそうだ。ここが変わらないと、「1人1票」、つまり徹底した人口比例の選挙区制を、との主張は受け入れられないのだろう。
今回の衆院選については、やはり、2011年3月の最高裁判決を受けて「憲法上要求される合理的期間内に是正がされなかったといえるか否か」をポイントにしている。
2011年の判決は、小選挙区の区割りを決めるにあたって、まず全都道府県に定数を「1」ずつ配分する「1人別枠方式」を問題にした。導入から10年以上経って当初の合理性が失われているとして、「できるだけ速やかに1人別枠方式を廃止し、区割り規定を改正するなど、立法的措置を講ずる必要がある」と述べていた。
ところが今回の判決は、それを受ける形で、こうした立法的な措置を取ることが「多くの議員の身分にも直接関わり」「国会における合意の形成が容易な事柄ではない」と妙な理解を示してしまう。加えて、前回判決後に国会が、選挙区割りとは直接には関係しない定数削減や選挙制度改革を併せて議論していることまで挙げて、「この問題の解決に向けての議論を収れんさせることを困難にする要因となったことも否定し難い」との温情まで見せてしまった。
そのうえで、衆院選の直前に「0増5減」が成立していたことについて、「選挙前の時点において是正の実現に向けた一定の前進と評価し得る法改正が成立に至っていた」と分析。これによって1票の格差を「2倍未満(1.998倍)に収めることを可能とする定数配分と区割り改定の枠組みが定められた」と捉えて、是正が「合理的期間を過ぎていたと断ずることはできない」と結論づけた。
判決はついでに、この「枠組み」に基づいて、衆院議員の本来の任期満了時(今年8月)までに具体的な区割りが確定(今年7月)したことにも、評価材料として触れている。「違憲」判断が相次いだ今年3月の高裁判決を変更するために、衆院選後の事情まで持ち出したわけだ。当然、原告の弁護士は批判していたが。
要するに判決は、選挙区割りを変えるだけでも対象となる議員の反対が強くて大変なのに、定数削減や選挙制度改革も一緒に議論しているから党利党略が絡んでもっと大変で、そんな中で「0増5減」を果たした国会の努力を大いに買うよ、と言いたいのだろう。国会をチェックする役割の最高裁が、自ら相手の事情を汲んであげてどうするの、という感じである。
最高裁がそんなことをわざわざ評価してあげていたら、いつまで経っても定数是正なんて進みっこない。最高裁判決が触れている通り、まさに当事者が話し合っているからだ。誰だって自分の都合の悪いようには仕組みや制度を変えたくはないからだ。今回の判決は、そうした決め方にもお墨付きを与えてしまった。
定数削減や選挙制度改革を議論することを否定しないにせよ、そもそも2011年の最高裁判決はあくまで「1票の格差」に関するものなのだから、判決が出た直後に、少なくとも「0増5減」を成立させることは可能だったはずだ。「2倍未満」が合憲の基準になるかどうかは別にしたって、市民感覚としては1年9カ月もかかるとは思えないし、そんなに時間をかけてはいけないことではないのだろうか。
現に、選挙無効を認めた3月の広島高裁岡山支部の判決は、国会議員の憲法擁護義務を根拠に、最高裁判決を踏まえて「国会は直ちに是正措置を講ずるべきだった」と指摘している。「0増5減」についても「投票価値の格差是正のための立法措置を行ったとは到底いいがたい」と切り捨てたうえで、前回と同じ区割りでの衆院選実施を「国会の怠慢であり、司法の判断に対する甚だしい軽視というほかない」と言い切っている。
むしろ、こちらの論理の方が国民の納得を得られるのではないか。そう、国会にバカにされているのは裁判所なのである。
なぜ最高裁は国会にはっきりとものを言えないのだろう。思いをめぐらせていたら、判決翌日(11月21日)の朝日新聞朝刊にこんな記事があった。「最高裁長官や判事の人事は政治に握られている。来年7月には、現在の竹崎博允長官が定年を迎える」と。「最高裁が政治との関係を気遣った」との見方である。なんだか説得力があるけれど、事実とすれば最高裁の権威はますます失墜し、政治にコケにされるだけだろうに……。
いずれにしても、衆院選の1票の格差について「違憲判決」が出るのは当分先になった。3年後と言われている次回の衆院選は「0増5減」で行われる最初の選挙になるから、今回の判決の流れが変わらなければ「違憲状態」だろう。その次の選挙がそのまま行われたとして、ようやく「違憲」になるかどうか。つまり、「努力」さえしておけば、抜本是正は「次の次の選挙まで」に実現すれば良い理屈になるから、国会にはざっと5年程度の猶予期間が与えられたことになる。
では、最高裁が国会や政府に対して毅然たる態度を示せないとしたら、私たちはお手上げなのだろうか? 忘れてはいけない。改善するための手段を持っているのは、他ならぬ私たち自身であることを。
国会議員を選ぶ方法が公平でないとはいえ、選ぶ権利(1票)は保障されているのだから、選挙の争点を明確にして、まずは「決める立場」の人たちをきちんと選ぶところから始めるしかない。選挙制度だけでなく原発にしても秘密保全法にしても、そこを他人任せにするとどんな事態になるのか、いい加減、自分の問題として認識して行動しなければ、いつまでも同じことが繰り返されるだけだ。
今回の判決を正面から受けとめるべきは、私たち自身であることだけは間違いない。
著者が最後に触れている「秘密保全法」、まさに昨日、衆院本会議で可決されました。ありえない悪法、とは思うけれど、それを押し切る国会議員を、 政権を選んでしまったのはまさに私たち。「今の選挙制度で選ばれた議員が決めるんだから、いつまでたっても選挙制度改革なんてできっこない」とは よく言われる言葉だけれど、そう言って逃げていても何も変わらない。何においても、本質的に「改善できる手段」を持っているのは私たち。どんな状況にあっても、そのことから逃げないでいたいと思います。
選挙は投票前、立候補の時点で、ほぼ結果が出ているといわれることがあります。
このあいだの衆院選の争点はアホノミクスでした。
TPP、憲法、原発を徹底無視して、メディアがつくったアホノミクスYES、NO選挙。それを下から支える宗教の組織票。改憲勢力は、宗教政党とくっついて、強大な勢力になってしまった。
安倍さんは演説がうまくないけれど、ニュースでよくできた部分だけをとりあげるので、
多くの人がこの人に任せておけば大丈夫だという幻想をいだいたかもしれません。
あまり深く考えずニュースのイメージに流される人たち、組織の命令で投票する人たち・・・
日本の悪い部分が色濃く出た選挙でした。
これを改善する大きい柱は、選挙制度と、あと、重要なもう1つは、共闘だと思います。
護憲勢力が分割ばらばらに行動しすぎた。
どんどん、くっついて、またくっついて、大きい勢力になって、票がまとまれば勝てそうな気がします。
本当は誰も、アメリカ政府の言いなりになって、人を殺したくないし、殺されたくない。
アメリカ軍はテロを取り締まる世界の警察ではなくて、戦争で憎しみを生み、テロの温床をつくっている。
アメリカ政府は戦争とテロの悪循環を経済(主に軍需産業)のためにずーっと続けていくのだろうか?
こんな国とは距離を置くべき。少なくとも、悪事を助長させるようなことはしてはいけない。
一票の格差はあるべきだと思う。
そうでないと地方は今よりもさらに荒廃していき、どんどん都会への一極集中が進んでしまう。地方では第一次産業の後継者が減っているにもかかわらず、若者は都会へ出て行ってしまう。他方都会では就職先がみつからない、
耳触りのいいことばかり言ってると、取り返しのつかないことになる。