秘密保全法(特定秘密保護法)の陰に隠れた形になっているけれど、憲法をめぐる目下最大のテーマは「集団的自衛権」だろう。安倍政権は、憲法9条のもとでこれまで政府が「権利は保有しているけれど行使はできない」と解釈してきたのを、「行使もできる」に変えようとしている。
そもそも、集団的自衛権とは何なのか。あえてここから書くけれど、「自国と密接な関係のある国が攻撃を受けた場合に、自国が直接攻撃されていなくても自国が受けた攻撃とみなして、相手に反撃する権利」。つまり行使を認めれば、アメリカや米軍が何者かから攻撃を受けた時に、日本の自衛隊が一緒になって相手に反撃することが可能になる。憲法9条で戦争放棄を謳う日本が、個別の自衛権を超えた「戦争」をできる国になるかどうかの瀬戸際、と言われるゆえんである。
でも、その割に、世の中で緊迫感を持って議論がされているようには見えない。おそらく、集団的自衛権の行使を認めると具体的にどんな事態が起きるのかが、浸透していないからではないか。自身を省みて、そんな思いを抱いている。
で、憲法公布67周年の11月3日に、この問題をテーマに据えた集会が東京で開かれたので、講演に耳を傾けてきた。講師は、「マガジン9」にも登場している東京新聞論説兼編集委員の半田滋さん。演題は「集団的自衛権のトリックと安倍改憲」だ。
半田さんは集団的自衛権を「売られてもいないケンカを買うこと」とたとえた。実際にこれまで、ベトナム戦争の時のアメリカや韓国、アフガン戦争のイギリス、アフガニスタンやチェコスロバキアに侵攻した旧ソ連など、集団的自衛権の行使を理由に参戦したケースはたくさんあるそうだ。その結果、ベトナム戦争では米軍5万8千人、韓国軍5千人が死亡している。
オバマ米大統領が前のめりになっていたにもかかわらず、アメリカやイギリスの世論や議会の反対でストップさせられた最近のシリア空爆を引き合いに、半田さんは「世界は平和を望んでいる。大国でも勝てない戦争は、逆に世界を不安定にさせるだけ」と指摘していた。
安倍政権が狙っているのは、集団的自衛権の行使容認だけではない。この問題がテーマの「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)とともに、海外で武力行使ができる「国連安全保障措置」への参加も扱う「安全保障と防衛力に関する懇談会」(安防懇)がすでに始動。報告書に基づいて、それぞれ閣議決定する方針だそうだ。そして、「国家安全保障基本法」を早ければ年明けの通常国会に提案し、これらを法制化する道筋が描かれている。
講演を聞いて、この国家安全保障基本法というのが危険な内容盛りだくさんであることも理解した。自民党の法案概要によると、集団的自衛権の行使や国連安全保障措置などへの参加が規定されているのはもちろん、秘密保全法の制定が位置づけられ、国の安全保障施策への協力が国民の責務と定められ、陸・海・空自衛隊の保有も明文化されている。
いやはや、憲法9条どこ吹く風である。安倍政権や自民党が、想像していたよりもはるかに着実に「軍事国家」への準備を進めていることがよくわかった。その象徴が、集団的自衛権の行使容認なのだ。
さて、私たちが知っておくべき最大のポイントは、こうした政策が決定された場合に、日本や国民にどんな影響が想定されるかである。20年以上にわたって自衛隊の取材を続けてきた半田さんは、シリアへの空爆を例に取って米軍から求められるであろう事態を説明してくれた。
現状であれば、自衛隊の活動として予想されるのは、アフガン戦争を受けたテロ対策特措法に基づいて2001~10年にインド洋で実施したような海上給油や、イラク戦争の時に行ったような「人道復興支援」(学校・道路・診療所の補修、給水、医療)だ。また、湾岸戦争で130億ドルを支出したように、政府による戦費の拠出も具体化するだろう。
これらに対しても、さまざまな議論や批判があった。では、集団的自衛権の行使や海外での武力行使が解禁されれば、自衛隊の行動としてさらに何が予想されるのか。
第1は、海上自衛隊の護衛艦による洋上警戒だそうだ。海上に配備した米軍の駆逐艦などから巡航ミサイルを発射する形になるので、その艦船を警護する役回りだ。不審船が米軍の艦船を攻撃してくれば応戦することになり、相手艦船を撃沈する可能性もある。
2つ目に挙げていたのが、陸上自衛隊による巡回である。イラク派遣の時とは違って治安の維持が目的になるから、武装勢力の攻撃を受ければ武器を使って鎮圧することになる。
そして3つ目は、航空自衛隊のF2戦闘機による地上攻撃だという。高性能レーダーを積んだAWACS(空中警戒管制機)、空中給油機といった空自の機材も動員しての作戦になりそうだ。これはもはや本格的な戦闘以外のなにものでもない。
半田さんは「侵略の意図はなくても、外国で戦争をできる仕かけづくり」と強調していた。もちろん、こういう形で武力を行使すれば、相手を殺傷することにもなるし、逆に自衛隊員が死傷することも十分あり得るのは、言うまでもない。
今後の見通しについて、半田さんは「安倍政権にとっては、今が最も好都合な時期」と見立てていた。来年4月には消費税が上がって景気の動向がどうなるかわからないし、TPPによる農産物の市場開放への批判も懸念され、高い内閣支持率も、いつ下がらないとも限らない。安倍政権にしてみれば、国政選挙は3年近くないから、早いうちに「実質的な改憲」の足場を築いてしまおうと狙っているわけだ。
逆に言うと、集団的自衛権の行使容認をできるだけ先延ばしさせ、その間に政治や経済の情勢が変われば、安倍政権の意図通りには進まなくなり、立ち消えになる可能性が出てくるかもしれない。反対運動にとっても、今が踏ん張りどころなのだろう。
ところで、この日の集会のサブタイトルは「明文改憲も立法改憲(解釈改憲:筆者注)も認めない」だった。私も気になっているのだが、安倍政権が検討している集団的自衛権の行使容認の手法が「解釈改憲だからダメ」という論議を意識したものらしい。
集団的自衛権の行使を認めることで、海外での戦争への自衛隊の関与がどうなるのか、そして私たち国民がいかに影響を受けるのかを考えるのに、解釈改憲か明文改憲かは関係がない。出発点は、憲法9条を持つ日本が海外で戦争をできる国になり、国民が否応なくそれに巻き込まれることの是非である。原発同様、まずは「危ない」という理由で集団的自衛権の行使に反対する立場からすれば、それを認めることになるすべての手法に反対するのが自然の流れだろう。
たしかに「集団的自衛権の行使は憲法9条の根幹にかかわるテーマであり、認めるのならば明文改憲によらなければならない」という主張も、法律論として重要な論点だ。しかし、運動論として言えば、それは副次的な理由の一つにとどまる。ここを混同してはいけないと私は思う。
明文改憲によるのか解釈改憲によるのかという問題は、一義的には集団的自衛権の行使を認めたい人たちが、どういう戦略を取るかという次元の話である。集団的自衛権に反対する側が、解釈改憲にしろとか明文改憲にしろとか注文する筋合いの話ではない。わざわざ「改憲側の議論」に乗る必要がないのは当然のことに違いない。
いずれにしても、集団的自衛権の行使を容認した場合にどんなことが起こり得るのか、具体的な内容について私たちはあまりに知らない。「危なさ」を実感として捉えきれていない。この日の講演を聞いて、まずは集団的自衛権の本質をしっかり理解することが不可欠だという思いを強くした。本コラムでも今後、折に触れて取り上げていきたい。
集団的自衛権と国家安全保障基本法については、半田滋さんと弁護士の川口創さんによるマガ9対談でも詳しくお話しいただきました。行使容認と基本法制定で、いったい何が変わるのか? どんなことが起こるのか? 小石さんが指摘しているよう に、具体的な想定が重要だと改めて感じます。
また、伊勢崎賢治さんへのインタビュー動画でも、集団的自衛権の問題についてお聞きしています。日米関係は日本にとって非常に重要、と位置づけながらも、集団的自衛権の行使容認は「国益」にかなわない、とする伊勢崎さんの主張も、ぜひ参考に。
>原発同様、まずは「危ない」という理由で集団的自衛権の行使に反対する
>立場からすれば、それを認めることになるすべての手法に反対するのが
>自然の流れだろう。
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ところが、「では、原発同様、中国の軍拡も国民が否応なくそれに巻き込まれるような『危ない』ことにはならないのか?」と問われると、原発も集団的自衛権も一緒に「危ない」と言っていた人たちはとたんに閉口し、しまいには中国は成長しているから仕方がないとか、過度に危険を煽るのは良くないなどと「腰砕け発言」を言い出します。
言っている本人はそれで満足されているのでしょうが、聞いている人々にとっては集団的自衛権については反原発派のようにふるまっていた人が、中国の軍拡についてはまるで原発容認派のようにふるまっているように聞こえ、ちっとも説得力がないと見做されてしまうのが、集団的自衛権批判論者の大半の傾向ではないでしょうか?
論理の一貫性が無いのは親米保守派もまた同様ですが、一貫性の無い護憲平和主義と一貫性の無い親米保守のどちらかの選択に国民の大半が親米保守を仕方なく選択したのが、所謂「右傾化」というシロモノでしょう。
「危なさ」を他者に実感させる前に、まずは「一貫性」を実感させなければ、「右傾化」の打開は難しいのでは?
先日は死刑制度の問題で、憲法擁護の立場であるのに、意見の違いを否定して、議論の場から逃走してしまい申し訳ありませんでした、「マガジン九条」は多種多様の課題について議論し、活動する場である事を無視してしまい、大変失礼いたしました、心機一転して新たな気持ちで再度参加させていただきたいと存じますので、よろしくお願いいたします。
いま、私はイスラエル国家の成立の過程を書いた本と、報道カメラマンが書いた、イスラエルとパレスチナの対立の歴史を写真とともに記録した本を読んでます、アメリカはイスラエルの同盟国です、日本とアメリカは軍事同盟を結んでいます、日本もイスラエルを「国」として承認しております、もし集団自衛権行使が容認された場合、イスラエルとそれと対立する国とが戦争になった場合、日本軍も参加しないという確約は出来ないと思っております。
今国会には次々と問題ある「問題」が提出されてきています、しっかりと監視して、異議申し立てをしてゆきましょう。
たかはしたつおさんへ
第一次から第四次まであった中東戦争において、イスラエルはすべて独力で戦争を遂行しております。
また、核兵器の保有は公然の秘密であり、たとえば同じ核保有国の北朝鮮に対して戦争をすることが極めて困難(いわゆる、核の平和)であると同様に、イスラエルとその近隣諸国との正規戦が行われる可能性は極めて困難と言えるでしょう。
しいていえば、イスラエルの政策が根本的に変化しない限り、「対テロ戦争」という名の非正規戦がこれからも継続しつづけるということです。
日本政府によるイスラエル問題を含むパレスチナへの介入は、国連を通じての非軍事的介入か、武器輸出のみでしょうが、F-35を除けば、すでにアメリカやイギリス、そしてナチスがユダヤ人を虐殺したことに対する一種の「償い」として、イスラエルに多額の軍事支援を行なったドイツの兵器でシェアが埋まっている以上、日本の兵器が直接的にイスラエルに売却されることも無いでしょう。
http://www.newsdigest.de/newsde/column/dokudan/4281-924.html
一万歩位譲って、もし、イスラエルの戦争に直接加担する国があるとしたら、それは日本ではなくドイツでしょう。
憲法9条自体が日本が自立できない元凶です。9条がある時点で日本が選ぶ道は親米保守しかあり得ません。
あとはその中でいかに日本の国益を守っていくかを考えなければいけないのです。
なお、集団的自衛権は権利であって義務ではありません。アメリカの戦争に必ず付き合う訳では無いのです。
基本、自国のみで動く方が都合がいいし、アメリカにはそれだけの能力があります。
国際世論での指示や後方支援を要求される事はあってもそれ以上を求められる事はまずありえないでしょう。
それよりは日本の戦争(侵略者からの防衛戦争)でアメリカと共同作戦を取る時や、PKOなど国際貢献を行う際に集団的自衛権が必要なのです。
イスラエル? あの国こそ自前の戦力のみで戦争をしますよ。国際世論での支援こそ必要としてもアメリカ以外の軍事力を同盟国に要求することは到底考えられません。