小石勝朗「法浪記」

 地方自治体の首長(都道府県や市区町村の長)が実施した施策について、個人で損害賠償するよう求められたとしたら――。地方自治のあり方を根本から変えかねない裁判の審理が終わり、年末に東京地方裁判所で判決が言い渡される。

 もちろん、汚職などの犯罪に絡んで自治体や関係者に損害を与えたのならば、首長個人が賠償責任を問われて当然かもしれない。しかし、一般的な手続きを経て行われた行政行為に対して、首長個人の責任を問うのが適切なのだろうか。判決の内容によっては、首長は後で求償されることを恐れて、前例から踏み出す政策を打ち出せなくなることが予想される。せっかく地方分権が進んだとしても、絵に描いた餅になりかねない。

 訴えられているのは、2007年まで8年間、東京都国立市の市長を務めた上原公子さん。訴えたのは、当の国立市である。支払いを求められているのは、3123万9726円+利息。個人が簡単に応じられる金額ではない。

 ここに至る経緯は、かなり複雑である。できるだけ簡単にまとめてみる。

 ことの発端は、上原さんが市長に就任した1999年に遡る。マンション開発会社の明和地所が、JR国立駅から一橋大学の前を通って真っ直ぐ南に延びる「大学通り」沿いに、高さ44メートル(14階建て)の高層マンション建設を計画したことだった。それ以前から大学通りの沿道では、建物は街路樹の高さを超えないようにするという暗黙の申し合わせがあった。このため市は景観を守るために、この地区の建物の高さを20メートル以下に制限する条例を制定する。マンション建設に対抗するためだ。

 明和地所は建設手続きを進める一方で、市に対して損害賠償を求める訴訟を起こす。2005年の2審・東京高裁判決【判決①】が市による営業妨害と信用毀損行為を認めて2500万円の賠償を命じ、確定した。08年に市が利息を含めて明和地所に支払ったのが、上原さんが今回求償されている3123万9726円だった。マンションは2001年末に完成した。

 今回の裁判に至るまでには、もうひと山あった。

 判決①を受けて、一部の市民が上原さんの後任の関口博・前市長に対し、市がこの金額を上原さんに請求するよう求める訴訟を起こした。2010年12月の東京地裁判決は、この請求を認めた【判決②】。市は控訴する。しかし、翌春の市長選で関口さんは落選。当選した佐藤一夫・現市長は控訴を取り下げてしまい、判決②は確定した。納得しない上原さんは市からの支払い請求に応じず、佐藤市長は2011年12月に上原さんを提訴するに至った。
 政治的な背景を簡単に補足しておくと、関口さんは上原さんの後継、佐藤さんは反上原勢力の支持を受けている、という構図である。

 さて、12年3月に始まった裁判では、どんな内容が争われたのか。

 上原さんの弁護団は、高さ制限を定めた条例の制定が、市民の意思や主体的な行動を汲んだ「市民自治」の営みだったのか、それとも上原さんの主導による中立性・公平性を逸脱した営業妨害だったのか、を主要な論点に据えた。市民の意思や行動を受けた行為だったとするならば、むしろそれは首長として当然の責務であり、そのことについて少なくとも個人として賠償責任を負うことはあり得ない、というスタンスである。

 たしかに、条例の素案を作って制定を要望したのは地区の住民で、わずか5日間で地権者の82%の同意書を集めている。明和地所だけでなく、自分たちの土地利用権も制限する内容にもかかわらず、である。今回の裁判では、この動きの中心にいた市民ら3人の証人尋問が行われ、地域住民や地権者がマンション建設に危機感を抱いて、自らアイデアを集めて素案を作り上げていった経緯が詳しく説明された。

 上原さんも第1回口頭弁論で条例制定について「まさに国立市民の総意と言えるもの。市民の意思に基づいて行動するのが首長の使命であり、むしろ行動なきは不作為として責任を問われるべきことだ」と述べた。条例制定にあたってはもちろん、市の審議会に諮り、市議会で可決されている。判決①も「条例の内容自体については、その違法を問うことは困難」「(制定の)手続き的に大きな瑕疵があるということはできない」と判断している。

 一方、原告の国立市は、判決①が営業妨害にあたると認定した上原さんの「4つの行為」を拠り所にした。具体的には、①明和地所が市と開発相談を始めた段階で住民に計画を話した、②市の方針を、行政指導から高さ制限を盛り込んだ条例制定に変更させた、③裁判所の決定の法的拘束力が弱い部分をもとに、市議会でこのマンションが「違反建築物」だと答弁した、④東京都に高さ20メートルを超える部分への電気やガス、水道の供給承諾を留保するよう働きかけた、といった内容である。

 市は訴状で、これらの一連の行為を全体的に観察すれば、上原さんが建築基準法に違反しないマンションの建築・販売を阻止することを目的に、地域住民らに妨害行為が広がることも期待しながら、明和地所の適法な営業行為を妨害するものだった、と指摘。「行政の中立性・公平性を逸脱し、行政の継続性の視点を欠如した急激かつ強引な行政施策の変更で、異例かつ執拗な目的達成行為であり、社会通念上許容される限度を逸脱している」との論理を展開している。

 なるほど、立場が違うとここまで見方が違ってくるのですね。

 ところで、判決①は「4つの行為」について、「個々の行為を単独で取り上げた場合には不法行為を構成しないこともあり得る」と判断している。少なくとも個々の行為を明確に違法とは言えない、というわけだ。そのうえで市の訴状の前置きにあるように「一連の行為として全体的に観察すれば」との条件を付けて、営業妨害になるという構成を採っている。

 上原さんの弁護団は今年9月の最終陳述でこの点を突き、「違法性を帯びていない行為が、蓄積されることによって違法になることはあり得ない」として、「行為は完全に適法」と指摘した。そして「市の行為は明和地所との関係でなんら違法性は帯びておらず、市長だった上原さんが市に責任を負うことなどありえない」と強調した。

 さらに、仮に上原さんの行為が違法だったとしても、住民の意思や行動を尊重した施策だった以上、「上原さんの行為には、自治体への背信行為といえるものは一切ない」として、上原さんの賠償責任を否定するよう求めた。「住民自らが選択した施策の結果は、住民が負担する」、つまり今回のケースでは市が負った賠償は市民みんな=市が負担する、という住民自治の原則を改めて示した。

 もう一つ。判決①で敗訴したとはいえ、実は国立市には実質的な損害は生じていないことにも注意が必要だ。市から賠償金の支払いを受けた明和地所が「訴訟の目的は金銭ではなく、業務活動の正当性を明らかにするためだった」として、同額を市に寄付したからだ。

 この点について、判決②は「賠償金の返還」ではなく、それとは無関係の「一般的な寄付」と捉えている。だから、市から上原さんへの求償権は消滅していない、という論理だ。庶民感覚で見れば、全く同じ金額なのだから「返還」に違いないし、結果的に市は損をしていないのだから、それを上原さんに求償したら「二重取り」になると思うのだが…。
判決の言い渡しは、12月24日に決まった。

 今回の裁判の口頭弁論の多くを傍聴して、個人的には上原さんの弁護団の主張の方がわかりやすいと感じたが、判決で予想もつかない理屈が繰り出されるのが裁判の世界だ。しかも判決②は今回の裁判と同じ部が出したものだから、裁判官がそれをひっくり返すのは結構たいへんかもしれない。

 私たちもこの裁判をきっかけに、自治の基本や首長の役割・責任を改めて考えてみたい。そもそも首長の中立性ってなんだろう。中立かどうかを、どうやって判断するんだろう。首長選挙では、同じ課題に対して2人の候補の主張が割れることはしょっちゅうだ。で、1票でも多く獲得して当選した方が、その公約に基づいて施策を進めるのだから、少なくとも別の候補に投票した人にとっては「中立」にはならないわけで…。

 いずれにしても、冒頭にも書いたように、判決の内容によっては地方自治の現場への影響は甚大だ。もし上原さん個人の賠償責任を認める判決が出るようなことがあれば、同様の訴訟が全国各地で相次ぐことが予想される。しかも、その多くは政争に絡むものになり、地方行政は混乱するだろう。

 9月の最終陳述で上原さんは「この裁判は上原個人の裁判ではなく、憲法92条にいう『地方自治の本旨』を問う裁判になっている」と位置づけ、こう述べた。

 「結果によっては、気に食わない政治家は、こうような裁判で叩き潰すことも可能となります。いかに市民の要請があろうとも、萎縮した行政しかできなくなるのは確実です。誰も、個人で法外な賠償金を支払うリスクは負いたくないからです。そうなると、地方分権が形骸化していくことは必然です。かつて国立市と国立市民とが共有しあって誇りとしていた市民とのパートナーシップを、批判しあう関係にしてしまう裁判は、市民自治にとって最も不幸な出来事といえます」

 

  

※コメントは承認制です。
第15回
首長個人に施策の賠償責任が及ぶとしたら~元国立市長への求償裁判のゆくえ
」 に3件のコメント

  1. magazine9 より:

    特に東京以外ではそれほど大きく報道されているとはいえないこの問題ですが、著者も指摘しているように、判決の内容によっては全国の地方自治に大きな影響を与えることになりそう。12月24日の判決、注目したいと思います。
    一方、これは東京のお話ですが、実は大阪でも、橋下徹・現大阪市長が大阪府知事時代、府庁舎の移転先として、市内のビルを耐震性などの調査不十分なまま独断で購入、府に損害を与えたとして、府民グループが購入費用などの返還を求める訴訟を起こしています。「首長個人に損害賠償を求める」という構図は共通している一方、府庁舎の移転計画自体が府議会で否決されている(ただしビル購入費を含む予算案は通過)など、国立のケースとは異なる点も多々。ただ、その「違い」を誰が、どのように判断するのか? という疑問も浮かび上がります(個人的には、移転・購入計画には大反対! の立場だっただけに、複雑なのですが)。皆さんはどう考えますか?

  2. 宮坂亨 より:

    これもスラップ訴訟にあたるのですかね。

  3. いぶし丼 より:

    公務員は職務の範囲で行った行為が誰かに損害を与えた場合でも、個人としては責を受けないんだと思い込んでたけど違うのか…ガッカリだ。
    だって公務員は全体の奉仕者でしょ?職務のせいで個人的な責めまで負うなら全体の奉仕者じゃなくて公共奴隷じゃないの。可哀想すぎて彼らにはもう何も不満を言えなくなるよ…。

    それはともかく、建築業者から市への訴えは当然の権利だと思うけど、市から元市長個人に対する訴えは何の事やらさっぱり解らない。
    もし市長が職務の範囲を越えて何かやらかして住民に迷惑をかけたってんなら職務を越える範囲の責任は生じるだろうが、地域が暗黙にやってきた事を明示的な手続きで置き換えただけでしょ。結果的に失敗した部分はあったのかも知れないが、職務遂行時点では悪意も過失もないから罪ではない。
    でもそんな事とは知らなかった建築業者が一方的に損をしたから、地方自治体として相応の賠償をした。
    筋が通っているし問題は解決済みだ。
    更に、地域性もよく知らん癖に高層マンションおっ建てようなんて思った業者側にも失敗はあったわけだし、そもそも金の問題じゃなく商売の自由の問題って事だから、受け取った金額を丸々寄付することで法的にも感情的にも決着をつけた訳だ。
    偉いよな。

    なのに誰が誰を訴えるって?市が元市長個人を訴えるなんて出来るの?
    これが企業内部とかなら人対人の話になるから解らんでもないんだが、市長と市民は同じ共同体の顔と体でしょ?どうして自分が自分を訴えられるのかが解らない。
    市が市民を代表して個人に賠償を求めているならそれこそお門違いで、これは市政の問題だからそもそも市民は損をしてない(市の金が減るから還元されるべき利益が減るって道理なら「転出するなら金払え」って理屈と変わらない)し、賠償イコール損失というのは経営者の考え方だから地方自治体にはない概念のはずだ。単に市長として不適格だってんなら法に則って罷免すりゃ済むことで、賠償には至らない。
    それでも地方自治体が自分の利益を個人に対して主張できるってんなら、市の立場として住民個人に賠償を求める事が可能ってことじゃないの。条例手続きをすっ飛ばして個人賠償になるんなら、もう地方政治は崩壊じゃないか。そんな状態に陥ること自体、憲法に違反してるよ。(多分)
    何が何だかさっぱり解らない。

    俺からすりゃ市が「賠償をしたせいで損をした。人のせいにしないと腹の虫が収まらない」って言っているようにしか感じられない。地方政治が法の規律を軽視しちゃダメでしょ。
    たまたま市長が交代したからって市長の権限を利用して「あえて控訴しなかった」というのも公務従事者としてあるまじき行為、公平性も中立性も欠いている。少なくとも記事を読む限りでは「どうせ払うの俺じゃないし」という気持ちがありありと感じられるんだが、もしそうじゃないというのなら元市長の勝訴(すなわち市長の職務として適切であった)が確定した時点で、現市長個人が賠償を果たすべきじゃないの?
    だってそうでしょ?控訴をしなかったってことは「法が下した判定により市が損失を受けた。市の損失は市民の損失で、それは市長個人が賠償すべきだ」って理屈を「受け入れた」んだもの。敗訴イコール損失なんでしょ?公務従事者として公平性中立性は大事にしないと。
    万が一にも市が勝訴したなら、今度は地方政治を混乱に陥れた事を理由に国から市に賠償請求すればいいさ。そしたら市はまた市長個人に賠償を求める事が出来るんだから。

    って、そんな事繰り返してちゃ法の在り方自体が無意味になっちゃう。こりゃ司法への侮辱だよな。
    だからこんなおかしな裁判など今すぐ止めてほしいと心から思うし、問題の発端となった建設業者だってそれを望んでるとはとても思えないよ。
    だってもし俺がその立場ならきっとこうするはずだもの。
    「どうも寄付する相手を間違えたらしい。個人の懐が相手だったんならその個人に寄付しないとこちらの筋が通らない。市は我々の意向を汲んではくれないようだ。仕方がないから市への寄付は取り消すよ」って。

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小石勝朗

こいし かつろう:記者として全国紙2社(地方紙に出向経験も)で東京、福岡、沖縄、静岡、宮崎、厚木などに勤務するも、威張れる特ダネはなし(…)。2011年フリーに。冤罪や基地、原発問題などに関心を持つ。最も心がけているのは、難しいテーマを噛み砕いてわかりやすく伝えること。大型2種免許所持。 共著に「地域エネルギー発電所 事業化の最前線」(現代人文社)。

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