小石勝朗「法浪記」

 たしかに予想された「不起訴」ではあった。国策としての原子力発電所を運営していた人たちに対して、権力サイドにいる検察が「刑事責任あり」と認定することは、そもそも望み得ないことだったのだろうか。十分な捜査を尽くしたとは言えないままでの不起訴も、国策と言えるのかもしれない。

 「福島第一原発で事故が起きたのは、東京電力の幹部らが必要な措置を講じていなかったためだ」と主張して、福島県民らが検察に刑事責任を問うよう求めていた告訴・告発。9月9日、オリンピックの東京開催が決まってマスコミが祝賀ムード一色の中で検察が不起訴を発表したのも、「報道の扱いをなるべく目立たなくさせたい」との狙いがあったのでは、と勘繰ってしまう。

 不起訴が発表された後、告訴・告発をしていた「福島原発告訴団」(約1万5千人)の河合弘之・弁護団長と武藤類子・告訴団長の話を聞く機会があった。弁護団・告訴団が検察の説明を受けた後の記者会見(9月13日)にも参加してきたので、不起訴処分の中身や捜査の問題点を検証してみたい。

 告訴・告発の概要や経緯は「マガジン9」でも何度か、どん・わんたろう氏らが取り上げている(たとえば、「佳境に入りつつある原発事故の責任追及~『刑事告訴』と『東電株主代表訴訟』のその後」)。簡単におさらいしておくと――。

 福島原発告訴団が昨年6月に告訴・告発したのは33人。東電=勝俣恒久会長ら幹部15人▽原子力安全委員会=班目春樹委員長や委員計7人▽福島県放射線健康リスク管理アドバイザー=山下俊一・福島県立医科大副学長ら3人▽原子力委員会=近藤駿介委員長▽原子力安全・保安院=院長ら3人▽文部科学省=局長ら4人である(組織名・肩書はいずれも告訴時点)。検察は昨年8月に告訴・告発を受理している。

 同告訴団は菅直人・元首相ら政治家は入れていない。不起訴を伝える記事に菅氏の名前が出ていたのは、別の団体が対象にしていたためだ。河合弁護士は「菅氏は、福島第一原発から東電が撤退しようとしたのを止めるなど、評価すべき行動をした。他の告訴・告発と混ぜて発表・報道され、私たちの趣旨が誤って伝えられた」と怒っていた。

 告訴・告発の主な容疑は、業務上過失致死傷だ。事故の前から必要と指摘されていた津波対策を怠ったり、事故後に安全宣言を繰り返して住民の避難を遅らせたりした過失によって、たとえば原発に近い双葉病院から避難した入院患者を相次いで死亡させ、また、県民全員を被曝させて身体の安全を侵した(傷害)、という内容だった。

 検察は東電幹部を不起訴にした理由に、高さ10メートルを大きく超える津波が襲来することについて「具体的な予見可能性がなかった」ことを挙げた。高さ15.5メートルにも及ぶ津波によって原発建屋が浸水し、全電源喪失になってこれほどの事故が起きるとは、通常の注意義務を尽くしても到底予想がつかなかったので、対策が不十分だったとしても仕方がない、だから罪にならない、という論法である。何が犯罪に当たるかの本題に入る前の段階で、刑事責任を問う道を塞いでしまったわけだ。

 しかし、事故が起きる前に、いくつかの警告があったのは事実である。たとえば、2002年に政府の地震調査研究推進本部は「三陸沖から房総沖の日本海溝沿いでマグニチュード8(M8)級の地震が起きる可能性がある」との見解を公表していた。2008年には東電自身が「明治三陸地震(1896年)並みのM8.3級の地震が福島県沖で起きれば、福島第一原発の津波の高さは15.7メートルに及ぶ」との試算をして、幹部にも報告されていた。

 検察は、これらの警告に否定的だった専門家がいたことを強調する形で、「専門家の間で、福島県沖海溝沿いにおける津波地震の発生が一般的に予測されていたとは認め難い」と判断した。15.7メートルというのは最も過酷な条件設定をした中での津波の最大値だったこと、東日本大震災はM9.0で明治三陸地震に比べ地震のエネルギーは約11倍にのぼることなども根拠に、「今回の規模の地震及び津波は全く想定されていなかった」と結論づけている。

 そのうえで、東電がこれらの警告の後も直ちに津波対策の工事をしなかったことに対して、①東電は高さ10メートルを上回る津波が襲来する確率は1万~10万年に1回程度と試算していた、②専門家や規制当局から直ちに対策工事を実施すべきという指摘がなかった、③他の電力会社も福島県沖での津波に備えて直ちに対策工事を実施したわけではなかった、ことにも触れて、幹部の過失を認めなかった。

 河合弁護士は「原発のような『超危険』な施設では、最も過酷な条件設定の下で最悪の事態を考えておくのが当たり前。『1万年に一度』だとしても『15.7メートル』という試算があった以上、それに合わせた対策を取るのは原子力の世界では常識だ」と強く批判している。また、防潮堤の建設だけでなく、東電が非常用電源の防水化、分散配置といった手段さえ取っていなかったことに「検察は全く触れていない」と不満を表明した。

 一方、検察は東電の事故後の対応についても、予見可能性がなかったことを前提に、「このような事態が想定されていなかったため、対処するための手順が確立されておらず、訓練も行われていない中、必要な資機材が十分に確保されていなかった」と事情を斟酌。「余震が続発するとともに、建屋内で放射線量が上昇するなど過酷な環境の下で、事故の進展を回避すべく困難な作業を余儀なくされた」として、他の方法を取っていれば死亡・傷害という結果を回避できた可能性を認めなかった。

 告訴・告発された政府関係者らに対しては、①避難指示が遅延したとは認め難い、②SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)を活用しなかったのが不適切であったと認めるのは困難、③放射線健康リスク管理アドバイザーの講演内容が虚偽であったとは認め難い、などとして、いずれも不起訴にした。

 ちなみに、ベント(排気)の遅れを理由に告発されていた菅・元首相は「(ベントが遅れたのは)作業員の被曝を避けるための手順の確認や装備の準備、資機材の調達や配管の接続作業に時間を要したため」として、「嫌疑なし」とされた。

 さて、福島原発告訴団が今回の不起訴に納得できない大きな理由は、検察が東電本店をはじめ関係先の家宅捜索などの強制捜査をしていないからだ。河合弁護士はかねて「津波や地震に関する東電社内のあらゆる会議の実施状況、内容、報告や資料の流れを精査し、津波・地震対策の検討内容や、それを幹部が目にすることができた可能性を徹底的に調べ上げるべきだ」と語っていた。

 検察は告訴団に対して「やるべきことは、すべてやった。家宅捜索をしなかったのは検察の裁量。強制捜査をしたから良い資料が得られるとは限らない」と説明したそうだ。しかし常識的に考えて、当事者たる東電が自らに都合の悪い資料を任意で提出するはずがないから、事実の解明のためには東電を捜索し、関係書類を差し押さえることが不可欠だったのではないか。

 もう一つ、告訴団が納得できない大きな問題点がある。不起訴を決定するわずか1時間前に、捜査の担当を福島地方検察庁から東京地検に「移送」したことだ。

 福島原発告訴団は、福島地検に告訴・告発していた。地元で暮らしている検事の方が原発事故の被害を実感でき、被害者に寄り添う判断をしてもらえると期待したからだ。もし不起訴になった場合でも不服審査の申立先は福島検察審査会になり、地元の市民から選ばれた委員が審査するので、強制起訴の結論が出やすいのでは、という見立てもあった。

 前述したように、同告訴団以外からの告訴・告発が東京、名古屋、金沢の各地検で受理されたため、検察は東京、福島両地検の合同捜査という形で進めてきた。告訴から1年余の間、移送を疑う弁護団に対して、検察は「そんなことはしませんよ」と明言してきたそうだ。

 移送について検察は「処分の安定性や統一性を確保するため」と釈明したという。しかし、移送により、不起訴への不服申立ては東京の検察審査会にしかできなくなった。移送の違法性を問う法的手段は見当たらないから、告訴団が怒るのも無理はない。検察のやり方は卑怯だと言われても仕方あるまい。

 河合弁護士は「強制捜査をしなかったこと、最後に移送したことに、原発反対運動を封じ込める意図が端的に表れている。起訴できない理由を、検察が鵜の目鷹の目で探す捜査だった。国が決めた通りに動いたという点で『国策捜査』と言えるのではないか」と指摘していた。今回の捜査の経緯や結論を総合すると、わかりやすい捉え方だと思う。

 告訴団は10月に検察審査会に審査の申立てをするという。さらに、新しい証拠を添えて新たな告訴・告発をする方針も示した。告訴・告発先は、検察ではなく福島県警にするそうだ。県内で暮らし、原発事故による被害に自らも直面してきた警察官ならば、より県民の目線に沿った捜査をしてくれるはず、との望みがこもる。

 告訴団長の武藤さんは「私たち福島県民は、原発事故で尊厳や健康や生活を奪われた。負け戦だとしても、声を上げ続けなければ」と自分に言い聞かせるように話していた。もちろん、起訴するかどうかの判断は県民の感情とは別次元で、法律に則って決められるべきなのは言うまでもない。ただ、これだけ大きな被害を受けた人たちが大勢いるという現実から目を背けてはいけないのも、刑事責任を追及するうえでの重要なポイントである。

 起訴か不起訴かの結論と同様に、あるいはそれ以上に、事実の解明がカギになる。どうすれば事故を防げたかを、関係者の事前・事後の行動とともに、どこまで浮き彫りにできるか。そのためにも、捜査当局には何より、尽くすべき捜査を尽くしてほしいと願う。それによってこそ、福島県民の納得も得られるに違いない。

 

  

※コメントは承認制です。
第13回
「原発告訴」の不起訴もまた、国策だったのか
」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

    告訴団長の武藤類子さんは以前のインタビューで、被害者がたしかに存在しているのに、その責任を誰も問われていないという理不尽さへの怒りが、告訴へと向かわせたと話しておられました。そして、「責任を問われるべき人が問われない」のは、今回の原発事故だけのことではなく、日本という国にずっとあった図式ではないか、と。
    どうすれば被害を防げたのか。どんな事実関係があったのか。それを明らかにするのは、私たちの「今後」を考える上でも、大きな意味を持つはずです。

  2. 福島応援団 より:

    日本には正義はないのかと本当にガックリきました。でも戦い続けてほしいです。応援します。

←「マガジン9」トップページへ   このページのアタマへ↑

マガジン9

小石勝朗

こいし かつろう:記者として全国紙2社(地方紙に出向経験も)で東京、福岡、沖縄、静岡、宮崎、厚木などに勤務するも、威張れる特ダネはなし(…)。2011年フリーに。冤罪や基地、原発問題などに関心を持つ。最も心がけているのは、難しいテーマを噛み砕いてわかりやすく伝えること。大型2種免許所持。 共著に「地域エネルギー発電所 事業化の最前線」(現代人文社)。

最新10title : 小石勝朗「法浪記」

Featuring Top 10/77 of 小石勝朗「法浪記」

マガ9のコンテンツ

カテゴリー