とかく、「難しい、とっつきにくい」と思われている「法」。だから専門家に任せておけばいいと思われている「法」。しかし私たちの生活や社会のルールを決めているのもまた「法」なのです。全てを網羅することはとてもできませんが、私たちの生活や社会問題に関わっている重大な「法」について、わかりやすく解説してもらうコーナーです。今あるものだけなく、これから作られようしている「法」、改正・改悪されようとしている「法」、そして改正の必要があるのに、ちっとも変わらない「法」について、連載していきます。「法」がもっと身近になれば、いろんなことが見えてくる!
法律が成立しても、まだまだ危険でわからないことだらけって…
例によって法律が成立する間際になってマスコミが騒ぎだしたから、制度の名前だけは浸透したようだ。「共通番号制度」。民主党政権時代は通称「マイナンバー制度」と呼ばれていたが、自民党政権は「社会保障・税番号制度」を使っている。導入のための法律が、5月24日の参議院本会議で可決され成立した。
ということで、2015年10月、皆さんのもとへ一人ひとりの共通番号(個人番号)が書かれた紙製の「通知カード」が郵送されてくる。この通知カードを運転免許証などの身分証明書と一緒に使うこともできるが、多くの人は顔写真入りのICカードを作ることになるだろう。ICカードがあれば、1枚で番号の提示と本人確認を同時に済ませることができるからだ。
会社員なら、勤務先に個人番号を知らせておかなければならない。扶養控除の対象になる家族についても、全員の番号を届ける必要がある。給料やボーナスの源泉徴収や年末調整をする際に、勤務先はその内容を共通番号と一緒に税務署に通知するためだ。
共通番号の使途は、16年1月の運用開始時点で、税、年金、雇用保険、健康保険、福祉など93の行政事務に及ぶ。今は役所が別々に管理しているこれらの情報を、共通番号を媒介にして結び付け(ひも付け)、一元管理しようという計画だ。役所にとっては、何番の誰が、いくら税金や年金保険料を払い、どんな社会保障給付を受けているか、容易に把握できるようになる。
と書くと、なんだかわかったような、わからないような気になってくる。良いことのような、悪いことのような……。
共通番号制度の問題点については、先週発売の『アエラ』(6月3日号)に「会社員に厳しく『マルサ』の目光る」と題して書かせてもらったので、ご関心があればお読みください(さわりはこちらで)。ちょっと大げさなタイトルだが、「制度の導入で締め付けが厳しくなるのは会社員ら給与所得者。庶民にとっては公平になるわけでも、それほど便利になるわけでもなく、結局は行政のメリットが大きいばかり」という内容だ。
取材の過程で『マガジン9』の過去の記事をたぐっていたら、1年以上前の昨年2月に、どん・わんたろう氏が「知るにつれ分からなくなるマイナンバー」と題して共通番号制度を取り上げていた。記事には、庶民が抱くであろう5つの疑問が提示されている。今回は、これらの疑問が成立した法律や政府の説明によって解消されたかどうか、検証してみたい。
1. 共通番号を使うのはどんな場面なのか? セキュリティーは大丈夫なのか?
法律では制度の骨格を定めているだけで、具体的な運用の多くが今後の政令や省令に委ねられている。
源泉徴収をされる給料の支給先に番号を届けておくことは決まっていても、その届け方や、そのほかにどんな時にどんなところで共通番号を提示すべきなのかは、はっきりしていない。ついでに言うと、国民や永住外国人の一人ひとりに振られる共通番号が何ケタの数字になるのか、希望者に配布されるICカードをどうやって作るのか、手数料はいくらになるのか等々、国民が知りたい肝心の情報は法律に明記されてはいない。
法律に規定されている場合を除き、他人に共通番号の提供を求めることは禁止されている。たとえば、レンタル屋さんが客の身元を確認する際に、個人番号を示すように求めることはできない。第三者が簡単に個人番号を見ることができないように、政府は共通番号をICカードの裏面に記載することを検討している。
しかし、この条項に罰則はない。ICカードは身分証明書も兼ねているから、レンタル屋さんは悪気なく、ついでに裏面までコピーしてしまうかもしれない。そもそも勤務先など民間にも示すことが前提の「見える番号」だから、他人に知られないようにすることは不可能なのだ。勤務先が保管している個人番号の情報がハッキングされないか、倒産した場合に番号情報がどう扱われるかなど、心配の種は尽きない。
「共通番号先進地」のアメリカでは、共通番号を使った「なりすまし」の被害が深刻になっている。年間37万件の被害が届けられており、損害額は年間500億ドルに上るとされる。韓国では11年までの4年間に、全人口の2倍以上にあたる延べ1億2000万人分の個人情報がハッキングなどで流出。そうした情報を悪用し、行政や金融機関の職員を装って電話をかけ、相手の個人番号を告げて信用させたうえでニセの口座に振り込ませる、といった詐欺の被害が深刻だそうだ。
このため両国では、インターネット番号や納税者番号のような分野別の番号に移行しているという。こうした動きをどうとらえるか、政府がきちんとした説明をしているとは言いがたい。
2. 共通番号制度で公平になるのか?
結論から言うと、共通番号制度と税の公平は結び付かないことが、より明確になった。
たとえば、自営業者の所得を完全に捕捉するためには、個々の取引すべてを把握する必要がある。しかし、子どもがお菓子を買うといったケースまで逐一掌握するのは物理的に無理だ。共通番号制度が始まっても、確定申告という基本的な仕組みは変わらない。
分離課税の問題もある。共通番号が入っても、たとえば預貯金の利子は一定税率の源泉分離課税のままで、ひも付けの対象外だ。つまり、預貯金がたくさんあり、ほかの所得と合算した総合課税になれば利子にももっと高い税率が適用されるようなお金持ちにとっては、痛くもかゆくもない。株式の配当・譲渡益にも同様の指摘があてはまる。それに、土地などの資産運用にも共通番号は適用されないから、個人間の賃貸収入なんかも自動的に捕捉されることにはならない。
つまり、課税の公平というのはあくまで税制の問題で、共通番号制の導入とは別次元の問題なのだ。
逆に、源泉徴収されている会社員らの給料や副業収入は、より把握しやすくなる。今は税務署ごとに管理しているが、個人番号によって税務署をまたいで確実に名寄せできるようになるからだ。その結果、社会保障の給付を不正・過剰に受けていないかなどを見破りやすくなる。
不正受給はいけないにしても、お金持ちには痛くもなくて庶民が搾り取られるという構図は、「公平になる」と言われるほどに釈然としない。
3. 導入にいくらかかるのか? 費用対効果は?
政府は4月の国会審議でようやく、導入のための初期費用が2700億円に上るという試算を明らかにした。内訳は、ネットワークシステムや付番システム、マイ・ポータル(個人情報の取扱い状況を確認できるサイト)の新規開発に350億円、自治体や国税、年金など既存のシステム改修に2350億円。ただし、500億円規模とみられるICカードの発行費用は含まれていない。
年間の運用経費は、一般に初期投資額の15%くらいと言われるそうだが、明らかにされていない。費用対効果も、民間の試算はあるが、政府は未公表だ。「使い方による」というのが理由だ。つまり、具体的な使い方がはっきり決まらないまま制度を始め、システムを構築することを認めているわけだ。
政府関係者は「将来の使途拡大をにらんで、無駄にならないものを造る。技術的に必要な要素をあらかじめ仕込んでおく。決して高い投資にはならない」と強調するのだが、なんだか順序が逆のような……。
4. 今後の道筋は?
共通番号制度はこれまで、給付付き税額控除など消費増税に伴う低所得者対策に不可欠とされてきた。しかし、政権交代もあって、給付付き税額控除はどこかへ行ってしまった。
「公平性や利便性を強くアピールすることができず、費用対効果もきちんと説明できない。となると、政府が採るべき道は利用拡大しかない」。制度に詳しい弁護士は、こう解説した。
成立した法律には、施行3年後をめどに個人番号の利用範囲について検討を加えることが盛り込まれた。その結果、必要があると認める時は「国民の理解を得つつ、所要の措置を講ずる」という。政府は「ゼロベースで見直す」と説明しているが、民間や医療分野への拡大を視野に入れている。
金融業界、製薬業界など、共通番号を介した個人情報の利用を虎視眈々と狙っている企業は多いと言われる。政府にとっても、システムを有効活用することになる。一方で、利用範囲が広がるほど、情報流出や悪用の危険も高まる。前述したアメリカや韓国の事例をしっかり検証することなく、利用拡大これありで進んでいるようで、とても危うい。
5. 災害時に役に立つのか?
共通番号制度のスタート段階では、受診・服薬歴といった医療分野は対象とされないことになった。なので、ICカードを持って逃げられれば身分証明書としては有効だろうが、それ以外には役に立ちそうにない。
医療分野での利用が進まないのは「他の分野以上に厳密な取扱いが求められる医療の個人情報が、現行制度では守れない」と、医療関係者が強く反発しているからだ。参院選に自民党から組織内候補を擁立する日本医師会も、現段階での適用に強く反対している。医療分野の個人情報を保護するための特別法制定が条件になっているが、めどがたたない状況だそうだ。
医療情報を共通番号制度の対象にしようとするのであれば、より厳格なセキュリティーを施すのは当然である。その前提なしに、医療分野や災害時に役に立つことを共通番号制度のメリットに挙げるのは「誇大広告」と言える。
――こうしてみると、結局、1年以上前の疑問にきちんと答えることなく、法律は成立してしまったことがわかる。最初に法案を提出したのは民主党政権で、衆議院解散で廃案になった後、同じ枠組みの法案を自民党政権が出し直したのだから、自民・民主が賛成してあっさりと可決されたのも無理はない。今回、衆議院の審議入りから参議院での可決まで、わずか2カ月だった。
しかし、反対の声は根強い。
「反対運動は第2ステージに入った」。5月28日に参議院議員会館で開かれた抗議集会では「施行までの道のりで多くの問題点が噴出することは間違いない」として、今後も反対運動を続けていく意思が示された。
「地デジ開始の時と同じで、通知カードが配られてから騒ぎになるのではないか」と予測する政府関係者もいる。自治体の職員は、住民全員にどうやって通知カードを届けるのか、今から心配していた。IT企業や保守層の間からも、今の制度の枠組みに疑問が投げかけられている。制度の内容について、政府が国民にきちんと伝える努力をしてきたとは言えないのも事実だろう。
法律ができたからといって、このまま制度をスタートさせて良いのか。より詳細で多角的な検証が不可欠なことだけは間違いない。
かなり以前からその危険性が指摘されていたわりには、
あっさりと国会を通過してしまった共通番号法。
十分な検証や周知が尽くされたとはいえない状況である以上、
著者の指摘するように、さまざまな問題が噴出してくることは避けられないといえそう。
かねてから反対を表明してきた日弁連が出した会長声明なども参考になります。