とかく、「難しい、とっつきにくい」と思われている「法」。だから専門家に任せておけばいいと思われている「法」。しかし私たちの生活や社会のルールを決めているのもまた「法」なのです。全てを網羅することはとてもできませんが、私たちの生活や社会問題に関わっている重大な「法」について、わかりやすく解説してもらうコーナーです。今あるものだけなく、これから作られようしている「法」、改正・改悪されようとしている「法」、そして改正の必要があるのに、ちっとも変わらない「法」について、連載していきます。「法」がもっと身近になれば、いろんなことが見えてくる!
「オスプレイ」が日本の空を飛び回り始めた。米軍の垂直離着陸輸送機MV22である。
開発段階から墜落事故が多発していて危険だと、沖縄をはじめ各地で強い「反対」の声が上がっていた。にもかかわらず、沖縄・普天間基地への12機の配備が強行され、3月6日からは本土でも訓練がスタートしたのはご存じの通りだ。今後、訓練は全国に広がり、頻度も増していくことだろう。
それにしても、日本国民からこんなに強い反対を受けながら、どうして米軍は平然とオスプレイの訓練を実施できるのだろう。そんな疑問を持っている方も多いのではないか。もちろん日本政府の弱腰の対応も一因だけれど、それ以前の問題として、米軍が自由に振る舞える「根拠」があるのだ。
日米地位協定である。
事件や事故を起こした米兵の身柄引き渡しをめぐって取り上げられることが多いから、知名度は高いと思う。日米安全保障条約(安保条約)が米軍に対して、日本で「施設・区域(基地)を使用することを許される」と定めているのを受けて、基地提供のあり方や駐留米軍・米兵の法的な地位を規定している。
本土でオスプレイの訓練が始まった当日、地位協定に詳しい沖縄の新垣勉弁護士の講演を聞く機会があった。その内容をもとに問題点を整理してみよう。
オスプレイの訓練を考えた時に最も重大なのは、日本の航空法の主要な規定が、地位協定によって米軍に適用されないことだ。地位協定を受けた航空法の特例法までつくって、米軍に「自由な飛行訓練」を保証している。
たとえば、飛行高度の制限。住宅密集地では300メートル、その他の場所では150メートル以下で飛行してはいけないという規定は、米軍には適用されない。これ以下の低空で飛行訓練をしても、法的な規制は受けないわけだ。「操縦士の顔が見えるほど米軍機が低い位置を飛んでいた」なんて目撃証言はこれまでもあったから、150メートル以下での訓練は常態化しているのだろう。
同様に、飛行禁止区域を飛んではいけない、などの規定も適用されない。これらは基地の地元であるかどうかを問わず、全国民に関係してくる課題と言える。「航空法は本来、国民の安全を守るためのもの。なのに米軍には適用されず、米軍の独自の判断で飛行できる。オスプレイの機体の持つ欠陥と併せて、墜落などの被害の危険性を拡大させている」と新垣さん。
米国内の航空管制は、軍隊の飛行であっても連邦航空局が一元的に管理していて、安全や環境に影響を及ぼす訓練はできないようになっているそうだ。訓練ルートなどは事前に公開される。新垣さんは「一元管理と情報公開が安全確保の要。なのに日本では訓練ルートさえ闇の中で、本土にある7つの公式ルートの存在も今回初めてはっきりした」と指摘していた。
ちなみに、ドイツでは米軍に対して、週末・祝日や日没30分後~日の出30分前の訓練を禁止しており、低空飛行訓練には年間の時間制限がある。イタリアでは毎日の飛行計画提出が必要で、低空飛行訓練はイタリア側が同意した部隊しか行えないそうだ。
米軍基地の中や基地周辺での訓練については、もっと重大な問題をはらんでいる。
日米地位協定は基地内について、米国が「設定、運営、警護及び管理のための必要なすべての措置を執ることができる」としている。簡単に言うと、いったん提供されれば、基地の管理・使用は米軍の自由ということだ。「絶対的な管理権」と呼ばれ、日本の主権が及ばない仕組みになっている。米軍の同意がない限り日本の行政は基地内に入ることすらできないし、米軍の違法行為があったとしても日本の裁判で止めることはできない。
地位協定は、米軍基地での作業を「公共の安全に考慮を払って行わなければならない」としているが、米軍の好意に期待する程度の強制力のない規定で、法的な実効性はないという。
基地周辺ではどうかというと、基地への出入りや基地間の移動、基地と港・空港間の移動について、地位協定は米軍に「路線権」という権利を与えて保証している。基地周辺での訓練に対しても、日本政府は「軍隊として通常行っている活動は当然に認められる」との立場を取っているそうだ。
オスプレイの配備に先立って米軍が実施した「環境レビュー(審査)」も、緩い方式だという。環境アセスメント(影響評価)のように、影響を回避するための方策を記載する必要はないからだ。今回も「環境への重大な影響はない」「全体として(影響は)最小限」で済んでしまった。これも地位協定に環境保護の条項がないうえ、日本の環境基本法による国の規制措置が及ばないことに原因がある。
一方で米国内では、米軍といえども環境への影響を回避する手立てまで必要とされる。ハワイの基地へのオスプレイ配備に伴い2カ所の空港で計画されていた飛行訓練は、機体の下降気流による近くの遺跡への悪影響が指摘されたために撤回された。日本とえらい違いである。
地位協定上の具体的な課題への対応を話し合う機関として、日米両政府間で「日米合同委員会」が設置されている。しかし、協議内容がすべて公開されるわけではなく、新垣さんは「密室で決められる仕組み」と批判していた。
オスプレイ配備をめぐっても日米合同委員会は昨年9月、運用にかかる措置について合意している。外務省のホームページで内容を見てみると、低空飛行訓練は高度約150メートル以上で実施することや、基地への離着陸は人口密集地域の上空を避けること、夜間訓練の制限などを盛り込んでいるが、いずれも「できる限り」「可能な限り」といった枕詞が付いている。実効力はとても弱い、と言わざるを得ないだろう。
地位協定は1960年に結ばれて以来、一度も改定されていない。沖縄の少女暴行事件の時のように、容疑者の米兵の身柄が起訴されるまで日本側に引き渡されない規定が批判されたりすると、日米両政府は運用の改善でしのいできた。しかし、オスプレイの合意を見てもわかる通り、あくまで米側の「好意」や「配慮」に頼るだけで、日本側にとっては、とてももろい。今のやり方には、もはや無理があるのではないだろうか。
新垣さんは「国民の生活や安全を守る環境をつくることは、そもそも国の責務。安保も地域や国民の安全確保が前提であって、駐留米軍が日本国民のための安全保障となっているかという視点から考えたい」と話していた。
仮に日米安保を認めるとしても、そのために地位協定とどう向き合うべきなのか。オスプレイの訓練が本土でも行われるのを契機に、一人一人が改めて自分の問題として受けとめたい。大きな事故が起きてから慌てるのでは、遅すぎる。
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雑多な社会問題を取材していると、必ずと言っていいほど端々に「法」の影がちらついている。「法」をつくる、運用する、そして裁判の過程で。法律、条約、条例、規範、きまり等々、多様な「法」の波間をたゆたいながら、その意味するところや問題点をわかりやすく書き記していきたい。
「オスプレイと日米地位協定」については、沖縄在住の岡留安則さんのコラムでも紹介しています。
「日米地位協定」があるから仕方がない、という気持ちになるのではなく、「法律だから改定はできるのだ」という思いで、この問題についても考えていきたいと思います。