今年10月と言えば、あと半年もない。その時期になると、すべての国民に「個人番号」なる12ケタの数字を記した通知カードが送られてくる。国民は行政への申請・届出や税金の手続きの際に、この番号を示さなければならなくなる。
共通番号制度、いわゆる「マイナンバー」である。
来年1月から運用が始まるマイナンバーの用途は、社会保障と税、災害対策の3分野に限られ、2013年5月に成立した共通番号法で約100の行政事務が定められている。ところが、10月5日に予定される法律施行の前にもかかわらず、政府は用途を拡大するための法案を今国会に提出している。4月23日に衆議院で審議が始まった。
用途拡大法案の問題点を指摘する前に、マイナンバー制度の概略を記しておこう。後述するが、制度の内容を知っている人はまだまだ少ないから。
共通番号制度とは、税、年金、雇用保険、健康保険、福祉など、今は担当する役所ごとにそれぞれ管理している個人情報について、個人番号を媒介にして結びつけ(紐づけ)、一元管理する計画だ。役所にとっては、何番の誰が、いくら税金や保険料を払い、どんな社会保障給付を受けているのか、容易に把握できるようになる。
10月に送られてくる個人番号の「通知カード」(紙製)は、写真を添えて市区町村の役場に申請すれば、無料で顔写真入りのICカード(個人番号カード)と交換可能な仕組みだ。表面に氏名、住所、生年月日、性別と顔写真、裏面に個人番号が入っており、身分証としても使えるとPRされている。
役所に出す書類に記入するだけでなく、会社員なら勤務先にも個人番号を知らせておかなければならない。扶養控除の対象になる家族についても、全員の番号を届ける必要がある。税金や年金・雇用・健康保険料などを天引きする際に、勤務先はその内容を個人番号と一緒に関係機関に通知するためだ。
半面、1人の個人に関わる多くの情報が1つの番号でつながるので、不正アクセスなどによって大量の個人情報が芋づる式に流出するのではないかという不安は根強い。
他人に個人番号を知られることで、なりすましに遭って社会保障給付を取られたり、詐欺の被害を受けやすくなったりするおそれも指摘されている。国家による国民監視の強化に使われるとの懸念や、犯罪捜査の名目で警察などが共通番号を通じた個人情報を利用できることを警戒する声もある。
さて、用途拡大法案である。弁護士や研究者、医療関係者、地方議員らが中心になって今年2月に結成された「共通番号いらないネット」の説明や主張をもとに詳しく見ていこう。
まず総論。
共通番号法は附則で「政府は、この法律の施行後3年を目途として、この法律の施行の状況等を勘案し、個人番号の利用の範囲を拡大することについて検討を加え、必要があると認めるときは、その結果に基づいて、国民の理解を得つつ、所要の措置を講ずるものとする」と定めている。
成立前の国会でも、担当だった甘利明大臣は「3年間の導入をした成果を見て、改善すべき点あるいはさらに推進すべき点などを精査したうえで、どの範囲までさらに当初よりも広げていくかというのは、その時点で幅広く識者の英知を集めて検討していく」「3年の経緯を踏まえての慎重な対応をしていく」と述べている。
法律の附則や大臣の答弁を常識的に読めば、あくまで法律を施行して3年経ってから制度の実施状況を見たうえで利用範囲を拡大するかどうかの検討を始める、としか解釈できない。今回のように、3年経過後どころか法律の施行前に用途の拡大法案が出てくることは、それだけで重大な違反行為だろう。
「なし崩し」の用途拡大に他ならないのだ。
次に各論。拡大する用途として、預貯金口座や特定健康診査(メタボ健診)、予防接種のデータが挙げられているが、問題点は多いという。
預貯金の口座は、銀行や郵便貯金、信用金庫などを合わせると全部で10億にもなる。長期間お金の出し入れがなく名義人と連絡が取れない口座も多く、すべての口座に名義人の個人番号を紐づけすることは極めて困難だと、業界が認めているそうだ。
政府は預貯金口座に付番する目的に、社会保障の資力調査や税務調査への活用、つまり不正のチェックを強調しているが、その効果は甚だ疑問ということになる。結局は、把握しやすいところからの徴税の強化や、不公平な資産・税務調査にしかならないおそれが強いのだ。また、マイナンバーの民間での流通を進めることになるから「悪用や漏洩の危険が増大する」と同ネットは指摘する。
特定健診のデータや予防接種の履歴は、「医療分野」でのマイナンバー利用の問題と関わってくる。医療分野に共通番号の用途を広げるためには、特別の個人情報保護措置、つまり特別法の制定が条件とされている。病気や身体に絡む情報は極めてデリケートだからだ。
しかし、40〜74歳が対象の特定健診のデータには、身長、体重、腹囲をはじめ血圧や血液検査、尿検査などの結果が含まれており、「紛れもなく医療情報」(神奈川県保険医協会)。特別法が未整備の段階で共通番号の対象にすることは「完全に約束違反」(同)というわけだ。
さらに今回の用途拡大法案には、中所得者向けの「特定優良賃貸住宅の管理」も盛り込まれている。法律の成立当初から入っている「公営住宅の管理」ならば、まだ低所得者層への社会保障施策との理屈が成り立つ余地もあるだろうが、中所得者向けとなると「税と社会保障での利用から逸脱する拡大ではないか」(同ネット)との批判が出るのも当然だろう。
用途拡大法案が問題なだけではない。そもそもマイナンバー制度、順調にスタートできる保証はないようなのだ。
まず、認知度の低さ。内閣府が今年1月に実施した世論調査によると、「内容まで知っていた」は28.3%だった。「内容は知らないが聞いたことがある」が43.0%、「知らなかった」が28.6%で、7割以上が内容を知らないことになる。上戸彩さんのCMで「マイナンバー」という言葉は多少知られるようになったかもしれないけれど、すべての国民が利用を強制される制度であることに鑑みると、とても心もとない数字に違いない。
従業員らの個人番号を扱うことになる法人の対応も鈍い。日経BP社などの調査では、今年3月時点で社内システム改修などの対応作業を済ませた企業・団体は17%にとどまっており、来年1月の運用開始までに対応できる企業は4割以下、対応作業の「予定もない」とする企業も8%あった(日経新聞・4月20日付朝刊)。
事務の整備やシステム改修といった自治体の準備も遅れている。必要な政令・省令の公布が予定より後ろ倒しになったり、各自治体のデータを集中管理する「中間サーバー」の設計が難航したりといった国の不手際が響いているらしい。同ネットは「世界でも例がない1億人規模の巨大システムなのに、2017年7月の本格稼働の前にテスト期間もろくに取れない可能性がある」と警鐘を鳴らす。
果たして今年10月以降、国民全員に個人番号がきちんと行き渡るかも極めて怪しい。個人番号の通知カードは、住民票の住所へ世帯単位で郵送(簡易書留)されるからだ。住民票を移していないケースをはじめ、少なからぬ人たちにマイナンバーが届かない事態が予想される。ホームレスのように生活支援の必要な人が公的サービスから漏れることになりかねないし、DV被害者の場合は個人番号を知られたくない相手に届いてしまうことにもなる。
制度開始さえ順調にいきそうにない状況にもかかわらず、それでも政府が用途の拡大を推し進めようとするのはなぜだろう。
共通番号法を成立させるに当たって、政府は制度の利点として「公平性」と「利便性」を前面に掲げてきた。しかし、課税面での公平は共通番号ではほとんど実現しないし、国民からすると行政手続きも大して便利にはならないことが、多くの関係者によって論証されている(拙稿「マガジン9」2013年6月5日号、同「アエラ」2013年6月3日号をご参照ください)。
一方で、マイナンバー制度の創設には巨額の費用が投じられる。システム開発・改修などの初期費用だけで約3000億円、さらにこの額の15%程度が運用経費として毎年かかるとみられている。もちろん公金だ。
共通番号法が成立する時、制度に詳しい弁護士が「この枠組みでは費用対効果をきちんと説明できないから、今後、政府は躍起になって番号の利用範囲を拡大しようとしますよ」と予言していたのを思い出す。実際、その通りになっている。今のままでは、かける金額の割に国民にはメリットがないことを政府自身がよくわかっているからこその強引な用途拡大だとみれば、ストンと落ちる。制度への社会的な認知度が低いうちに広げてしまいたい、というのが急ぐ本音でもあるのだろう。
マイナンバーの紐づけの対象として、さらに戸籍やパスポート、自動車登録などが検討されている。民間への利用拡大と併せて、なし崩しで進められないように、政府に慎重な対応を求めていかなければなるまい。
私たちはマイナンバー制度にどう向き合っていくべきだろうか。
「共通番号いらないネット」世話人の白石孝さんは4月6日に開いた反対集会で「このままでは大きな混乱が起きる。少なくとも番号通知の延期を」と訴えていた。
繰り返すが、全国民が対象となり、番号の使用を義務づけられる制度である。導入に当たって、失敗や混乱は許されない。場合によっては、経済の停滞や社会不安をも招きかねないからだ。
いま何より必要なのは、準備の状況を子細に検証し直し、10月の番号通知や来年1月の運用開始が現実問題として可能なのかどうかを冷静に判断することだろう。用途拡大だけでなく、制度開始の是非までを論点に据えた国会審議となるよう切に望みたい。
マイナンバー、そんなことになってたの? と、恥ずかしながらびっくり。もともと、個人情報が守られるのかなどの不安が指摘されていたこの制度ですが、さらに用途拡大が進められようとしていたとは。その前に、(本当に実施するのであれば)やるべきことがたくさんありそうなのですが…。大きなお金が動き、私たちの生活にも多くの影響を与える制度、「なし崩し」で動かしていいとは到底思えません。
運転免許証が公的な身分証明証として広く利用されている現状を見ると、運転免許証を持たない人のための公的な身分証明証をどうすべきか反対派は対案を出さなければいけないと思います。