目的は正しくカッコ良かったのに、いざ出てきた結論は逆方向のものになっているのは、役所の審議会では間々あることだ。3月13日に閣議決定して国会に提出された刑事司法改革の関連法案は、まさにその典型だろう。
もともと大阪地検による証拠改ざん事件(いわゆる村木さん事件)がきっかけであり、「反省」が出発点のはずだった。通常の流れでいけば「冤罪を防ぐために何が必要か」、つまり捜査や取り調べのあり方を根本的に見直すことが最大の目的であるべきに違いない。
ところが、2011年に設置された法制審議会(法相の諮問機関)特別部会では、いつしかそれは傍流に置かれ、法務・警察官僚らに押される形で「捜査の武器」の拡充ばかりが目立つ結論になってしまった。そして、昨年9月の法制審答申が法案に反映された。
では、法案はどんな中身なのだろうか。3月20日に開かれた「なくせ冤罪3・20集会」で刑事司法に詳しい小池振一郎弁護士が報告した内容をもとに、まずは問題点と合わせてポイントをまとめてみる。
(1)取り調べの可視化
身柄を拘束(逮捕・勾留)されている容疑者に対する取り調べを全過程で録音・録画(可視化)するよう、捜査機関に義務づける。法案が可決されれば、公布後3年以内に実施される。
ただし対象は、年間約11万件の逮捕・勾留事件のうち、①殺人など裁判員裁判の対象事件(全刑事裁判の2~3%)と、②特捜部などによる検察の独自捜査事件(年間100件程度)に限定されている。在宅捜査事件や逮捕前の任意での取り調べ、参考人の聴取には適用されない。
対象になる事件でも例外がある。その1つが「記録をしたならば容疑者が十分な供述をすることができないと認めるとき」。録音・録画すると自白がとれない場合は可視化しなくても良いことになり、しかも取り調べの都度、捜査側の裁量で判断できることになるという。原則と例外が逆転して運用される懸念がある。
小池弁護士は「容疑者が最初から自白している事件は取り調べの全過程を録音・録画するが、そうでない事件では可視化しないで自白を強要し、認めたところで次の取り調べを録音・録画して調書を作るのではないか。捜査側に都合の良いところだけの部分可視化では、かえって冤罪を生む場合がある」と指摘した。
(2)盗聴の拡大
現行の盗聴(通信傍受)法は2000年に施行され、対象は薬物、銃器、集団密航、組織的殺人の4類型に限定されてきた。昨年1年間に実施されたのは、覚せい剤の密売など薬物犯罪を中心に26件で、通話は計約1万4000回。それでも、あまり活用されているとは言えないらしい。
これを窃盗、詐欺、恐喝、強盗、殺人、傷害、逮捕・監禁、略取・誘拐、児童ポルノといった一般犯罪に拡大する。振り込め詐欺や集団窃盗グループの組織全体の摘発などを目的に挙げているが、「組織犯罪」の縛りは大幅に緩められ、2人以上の複数犯に事実上適用できるようになる。
通信会社の職員の常時立ち会いを不要にしたり、通信事業者の施設ではなく警察の施設でも実施できるようにしたりと、濫用の歯止めがなくなる。直接の容疑ではない犯罪にかかる盗聴(別件傍受)も認められる。
もちろん、盗聴の対象が拡大すれば、一般市民のプライバシーを侵害するおそれも大きくなる。
小池弁護士は「単なる拡大では済まないほど、盗聴の対象が質的にも量的にも広げられており、刑事訴訟法の根幹に関わる大問題だ。警察をチェックする機関がない日本で、これだけ広大な捜査権限を与えて良いのか」と問題提起した。
(3)司法取引
事件の容疑者や裁判の被告が取り調べや公判で他人の犯罪について真実の供述・証言をするのと引き換えに、不起訴にしたり求刑を軽くしたりすると検察官が約束する仕組みだ。銃器・薬物に関わる組織犯罪や、汚職などの経済犯罪を想定。弁護人の同意のうえで合意文書を作るので、確実な保証が得られる。公布から2年以内に実施される。
裁判で共犯者や事件関係者を証人として尋問する際、証人の刑事責任は問わない条件で自らに不利な証言をさせる仕組み(刑事免責制度)も導入する。
何より心配されるのは、自分が有利な扱いを受けたいがために、他人を罪に陥れる危険があることだ。ウソの供述をした場合は5年以下の懲役という罰則は設けられるが、逆にいったん合意すると後で撤回できない圧力として働く面も否めない。警察も司法取引に関与できるので、供述が誘導される可能性もある。
小池弁護士は「他人の犯罪に対して捜査官の期待に沿う供述をしようという動機づけがより強く働き、冤罪が格段に増える」と警鐘を鳴らしていた。
――というのが、法案の大ざっぱな内容だ。
この法案の最大の問題点は、可視化⇔盗聴拡大・司法取引という「水と油」の中身が一体にされていることだという。可視化を採り入れると「取り調べがやりにくくなって真実が解明されにくくなる」との捜査現場の反発を受け、併せて盗聴や司法取引といった捜査側が望む手法を拡大・導入するわけだ。肝心の可視化にしてもかなり限定的であり、捜査側にとって巧妙なやり方と言える。
もっとも政府からすれば「法案は、容疑者・被告の権利保護と、犯罪事実の解明や適正な処罰のいずれにも配慮する内容だ」(上川法相、読売新聞・3月14日付朝刊)ということになるらしいのだが。
では、法案に対して、どういう態度で臨むべきか。
盗聴拡大や司法取引は、いたずらに捜査権限を広げ、新たな冤罪を生む危険を孕んでいる。「冤罪防止」という名目で始まった刑事司法改革が、逆に冤罪の温床を拡大することになるのなら本末転倒だ。簡単に賛成できるものではない。
20日の集会にも「絶対反対」の声が渦巻いていた。なかでも冤罪被害を受けた方々の「取り調べを全面可視化しなければ密室で身を守れない」(志布志事件の川畑幸夫さん)、「自分が先頭に立って、この法案を潰すまで頑張る」(布川事件の桜井昌司さん)との訴えは、いつもながら説得力に満ちていた。
しかし率直なところ、すんなりと「反対」と言いきれない部分があることも事実だ。
刑事司法に携わる弁護士の中には、可視化が導入されるのならば、それを最優先して今回の法案に賛成すべき、あるいは反対すべきでないという立場を取る人もいる。たしかに、まだまだ不十分な内容だとしても、可視化を法律で定めて捜査機関に義務づける意義は大きいに違いない。まずは現場で定着を図りながら、少しずつでも拡充していけば良い、という考え方である。
日本弁護士連合会(日弁連)は18日、今回の法案が「速やかに成立することを強く希望する」との会長声明を出した。逆に県単位の18弁護士会は共同で盗聴対象拡大に反対する声明を出しており、また裂き状態だそうだ。
難しいところだと思う。今回、仮に法案の成立を阻めたとして、では可視化をどうするのかと問われれば、答えに詰まる。近いうちにもっと理想的な制度に衣替えして再提案される確率は、限りなく小さいだろう。今の政治情勢を勘案すれば、なおさらだ。であるならば、少しでも早く制度化の端緒を開きたい気持ちは理解できる。「100か0かで良いのか」を突きつけられている。
刑事司法改革に関心を持つ層は決して多くはなく、しかも捜査機関に批判的な視点で向き合う人はただでさえ少ないのに、その中で分断させられているのだ。こういう方式で法案を出す官僚の狙いなのかもしれない。
「冤罪防止と捜査権限拡大は、本来セットで採決すべき課題ではない。1本の法案として一括採決されるとなれば、すべてに反対するしかない」。小池弁護士はこうまとめていた。頼みは、法案が可決されるにせよ、国会審議で内容が大幅に修正されること。今は、そのための機運を盛り上げていくしかないのだと思う。
これまで冤罪が生み出されてきた経緯を思えば、取り調べの可視化の重要性はいうまでもないこと。一方で、それと「引き換え」の形での捜査権限の拡大には、大きな不安が広がります。ときに「自分とは関係ないこと」ともとらえられがちなテーマですが、冤罪に巻き込まれる可能性は誰にでもある。議論の深まりが求められます。
小石氏が今回の寄稿をされてから6日も経つのに、コメント投稿がまるで無いのは私としては奇異です。
私は小石氏の寄稿に対して好感を持つ事が多いですが、今回もまた素晴らしいと思いました。
刑事司法改革法案に対して疑問や懸念を表明する知識人は、その論調が非常に丁寧で緻密です。
そして彼らに着目し、簡潔明瞭に彼らの活動を読者に紹介する小石氏の手腕も見事です。
刑事司法改革法案を批判する知識人の論調に関しては、批判される側がまともな判断能力を有しているならば、批判者側の意見の大半を取り入れて方針転換せざるを得ないと思います。
マガ9を愛読される「知識人」達は、シロウトでも判る丁寧で緻密な論調というのはどういうものなのか、小石氏の今回の寄稿を読んで勉強すべきだと私は考えます。