福島第1原子力発電所の事故をめぐる朝日新聞の「吉田調書誤報問題」が社会に与えた悪影響は大きかったが、これをきっかけに限定的であれ政府の事故調査・検証委員会(政府事故調)による関係者の調書が公開され始めたことは評価されて良いだろう。経緯はともあれ、未曾有の原発事故の原因究明や責任追及が少しでも進むのであれば、結果的に国民にとって有益なことに違いあるまい。
そうした調書類をもとに、福島県内の原発事故被災者を中心にした「福島原発告訴団」のメンバーが13日、経済産業省の原子力安全・保安院(廃止、以下「保安院」)や東京電力などの職員・社員の刑事責任を問うよう求めて、東京地方検察庁に新たな告訴・告発をした。そこには昨年末までに公開された調書や資料、上梓された書籍で明らかになった「新事実」が盛り込まれている。驚かされる内容もあるので詳しく紹介したい。
今回の告訴・告発の対象にしたのは9人。内訳は、保安院=元審議官(院長、次長に次ぐ幹部)や元原子力発電安全審査課長ら4人▽東電=福島第1原発の津波対策を担当していた社員3人▽旧原子力安全委員会=津波対策担当者1人▽電気事業連合会(電事連)=同1人。保安院の4人と東電の2人については実名を挙げ、他は名字のみか氏名不詳としている。
告訴・告発状によると、9人は福島第1原発で、巨大な津波による炉心損傷といった重大事故を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに怠り、必要な安全対策を取らないまま漫然と同原発の運転を続けたり、それを認めたりした過失で重大事故を発生させた。その結果、大量の放射性物質を排出させるなどして、多数の住民を被曝させ、現場の作業員らに傷害を負わせ、周辺の病院から避難した入院患者らを死亡させるなどした。これらが業務上過失致死傷罪にあたる、と主張している。
では、新たな「事実」を中心に見てみよう。まずは、保安院から。
原発の耐震設計審査指針が改訂された2006年当時、保安院は津波対策の緊急性や重要性を認識していた様子がうかがえる。審議官ら幹部が出席した安全情報検討会で「わが国の全プラントで対策状況を確認する。必要ならば対策を立てるように指示する。そうでないと『不作為』を問われる可能性がある」と報告されていた。
しかし、その姿勢は次第に後退していく。09年6、7月に実施された福島第1原発の「耐震バックチェック」(安全性評価)では、委員の1人が三陸沖で起きた貞観地震(869年)による津波被害が極めて大きかったことなどに触れ、津波審査のやり直しを強く主張した。これに対して、今回告訴された保安院の職員は「その時々に応じた知見ということで、今後、適切な対応がなされることが必要だ」などと答えるだけで、問題を先送りした。
保安院の内部で「口封じ」が行われていた疑惑も浮上した。09年9月、福島第1原発が想定を超える津波に襲われる可能性があると、東電から説明された後のこと。この問題で東電に対して厳しい要請をしていた保安院の職員は、最も重要な場面での東電からのヒアリングを欠席した。
この職員に対する政府事故調の調書からは欠席の理由ははっきりしないが、別のくだりで「上司から『保安院と原子力安全委員会の上層部が手を握っているのだから、余計なことはするな』という趣旨のことを言われた」「実質的に人事を担当する課長から『余計なことをするとクビになるよ』という趣旨のことを言われた」と証言しており、告訴団は厳しい発言でクビになることを恐れて自ら欠席したか、上司から出席を止められた可能性が高いとみている。
告訴団は、この職員がヒアリングに出席して東電に津波への対応を強く求めていれば「対策が大きく進んだ可能性がある」と分析している。
さらに、この職員は政府事故調に、今回告訴された元審議官が2010年に発信した部下宛てのメールの中身を明らかにしており、そこには「貞観の地震(の規模の津波)は敷地高を大きく超えるおそれがある」「結果的に対策が必要になる可能性も十二分にある」「東電は、役員クラスも貞観の地震による津波(のこと)は認識している」と書かれていた。
告訴団は「貞観地震による津波を想定すれば大規模な津波対策が必要であることは国と東電との完全な共通理解事項となっており、対策時期を遅らせるために、早期に結論を出すはずであった耐震バックチェック作業が無限に先延ばしされ、何の対策を取ることもなく運転の継続を認めていた。このことの責任は極めて重要である」と強く批判している。
これらを踏まえて、告訴団は「東電の津波対策が十分でないことについて保安院は十分理解していた」と指摘。06年の段階では万全の津波対策を取らせる方針を確立していたのだから、告訴された幹部らが「そうした業務を妨害するような不当な行政運営をしなければ、09年の段階で貞観(地震)の津波に対応する対策が講じられた可能性がある」と強調した。
東電の責任はもっと重大だという。
東電は2008年2月、意見を求めた有識者から「福島県沖海溝沿いで大地震が発生することは否定できないので、波源(津波の発生源)として考慮すべきである」との見解を受けた。同年5月からの社内の試算で「明治三陸地震(1896年)並みのマグニチュード8.3級の地震が福島県沖で起きれば、最大15.7メートルの津波が福島第1原発を襲う」との結果も得ていたが、土木学会に検討を依頼する形で棚上げし、保安院に報告したのは震災発生4日前の11年3月7日だった。
東電が保安院に虚偽の説明をしていた疑惑もあるそうだ。09年8月、東電が保安院に伝えた津波の高さは、02年の津波評価技術で算出した「5~6メートル」。貞観地震の津波をもとに試算した「8.6~8.9メートル」という数字を説明したのは、翌月になってからだった。事故当時の福島第1原発の想定津波高は6.1メートル。告訴団は、東電が対策に費用がかかることを懸念して「社内の重要な試算結果を規制当局に隠した」と非難している。
こうした経緯から告訴団は、東電の実務担当者が「想定を大きく超える津波の発生について予見していたことは明らか」と断じた。同時に「津波対策を講じなければ破局的事態を招くことを認識していたにもかかわらず、上司に対して積極的な対策を進言するのではなく、関係方面に東電の対策先送りの方針を徹底するために、上司らの手足となって活動した」として、実務担当者は自らの行動によって原発事故という結果を回避できる可能性があったのにしなかった、と結論づけた。
記者会見で福島原発告訴団の河合弘之・弁護団長は、今回の告訴の意義として3点を挙げた。①官僚の行動を具体的に特定して切り込んだこと、②原発事故の原因をつくった官僚たちが今も原発再稼働を進めていると明らかにしたこと、③東電の実質的な権限を握っていた社員を特定できたこと、である。
告訴団は2012年6月に、東電幹部や政府関係者、学者ら33人を今回と同様の容疑で告訴・告発している(第1次告訴・告発)。東京地検は全員を不起訴にしたが、検察審査会が東電の勝俣恒久・元会長、武黒一郎・元副社長、武藤栄・元副社長の3人を「起訴相当」と議決したため、現在、同地検が再捜査をしている(拙稿「東電幹部は法廷に立つか〜『強制起訴』が見えてきた原発告訴」参照)。
今回の2次告訴には、新たな事実を地検の再捜査に反映させ、3人の起訴につなげさせる狙いもあるようだ。河合弁護士は「まとめて責任を追及していく」と力を込めた。
告訴団長の武藤類子さんは「開示された調書を読んで新たな事実が分かるにつけ、こうしたやり取りによって安全対策が取られなかったことへの怒りは増すばかりです。検察はきちんと調べて起訴し、原発事故の責任を取らせてほしい」と訴えた。告訴団のメンバーも「ここまでひどいとは思わなかった」と、異口同音に東電や保安院の対応を改めて批判していた。この日、2次告訴・告発をしたのは14人だが、今後、全国に呼びかけて賛同者を増やしていくという。
それにしても今回の刑事告訴は、原発事故をめぐる関係者の対応にまだまだ解明されていない部分が多いことを教えてくれる。
政府事故調の調書類をすべて一般公開するかどうかは別問題にしても、強制捜査の権限を持つ検察には、可能な限りの資料を集めて事実関係を徹底的に調べ上げたうえで、起訴するかどうかを判断してほしい。その営みこそが、原発事故の責任追及とともに事故原因の究明を進めるからだ。原発を再稼働させるのならば尚更、どうすれば事故を防げたのかを突き詰めることが不可避である。
東京電力福島第一原発事故から4年目を迎えようとしていますが、なぜこれほどの甚大な事故が起きてしまったのか? に関する新事実が、次々と明らかになっていく様子に驚きながらも、事故の原因を作った人たちの責任をきびしく問うべきだとする、弁護団の姿勢に同意します。それらを曖昧にしたままの強引な再稼働は、再びの過酷事故を起こす、破滅への道に他ならないと思うからです。