小石勝朗「法浪記」

 日本の裁判が3審制を採っているのは「公正で慎重な裁判をおこない、裁判の誤りを防ぎ、人権を守る目的があります」と説明されている(静岡県総合教育センター「あすなろ学習室」)。

 しかし、1審でせっかく人権に配慮した判決が出ても、2審で180度逆の結論に引っくり返されることが往々にして起こる。特に刑事裁判の場合、1審の無罪判決が2審で有罪になれば、ましてや量刑が死刑や無期懲役だったとすれば、1審判決後に釈放された被告人は再び身柄を拘束され、場合によっては生命の危機にさらされることになるから、影響は深刻だ。

 いわんや、2審の裁判官が明らかに有罪の予断をうかがわせるような訴訟指揮をして逆転判決を言い渡したとなれば、「人権を守る目的」の意味を問われ、何のための3審制か、との疑問が浮かび上がってくるだろう。

 大分県の山村で起きた「清川村強盗殺人事件」で、そうした問題が改めてクローズアップされているという。日本弁護士連合会が今月初めに開いた報告会で2審の弁護団(3人)から裁判の経緯を聞いたので、アプローチしてみたい。

 事件の発生は2005年3月。旧・清川村(現在は豊後大野市)の民家で、1人暮らしの女性(当時61歳)が殺害されていた。隣家まで50メートルほど離れているうえ、女性が倒れていたのが表から見えにくい裏庭だったため、近所の人に発見されたのは5日後だった。

 被害者と顔見知りだった無職の男性A氏(事件発生時点で53歳)が強盗殺人容疑で逮捕されたのは、さらに2年近く経った07年2月のことだ。別の窃盗罪で服役中だったA氏は捜査段階でいったん犯行を自白し、起訴される。盗みの目的で民家に侵入して物色中、帰宅した女性に見つかったため、頭をコンクリート塊で何度も殴打したうえ紐で首を絞めるなどして失血死させ、女性の乗用車やお買物券(商品券)などを奪った、とされた。

 A氏は公判では一貫して犯行を否認する。A氏の犯行と裏付ける直接的な物証はなかった。

 1審の大分地裁(宮本孝文裁判長)は2010年2月に無罪を言い渡す。

 判決は、A氏が事件発生直後に被害者の車と同じ色の白い車に乗っていた可能性は認めた。しかし、殺害現場の状況から犯人は多量の返り血を浴びているはずなのに、被害者の車内から血液反応はほとんど出ず、微量に検出された血液も鑑定で被害者のものとは特定できなかったことから、「A氏が被害者の車を使用していた可能性があるからといって、被害者を殺害した上、奪ったとまで推認することはできない」と判断した。殺害犯とは別人が車を盗んだ可能性や、犯人が車を使わず裏の杉林を抜けて逃走した可能性に言及した。

 お買物券についても、被害者に交付された券をA氏が所持していた可能性は認めたものの、被害者がお買物券をいつ奪われたかの証拠がなく、A氏がどのように入手したのかも不明だとして、「被害者のお買物券を所持していた可能性があるからといって、A氏が殺害犯であるとただちに推認することはできない」と指摘した。

 捜査段階での自白に対しては、自白した殺害方法と現場の状況に明らかな食い違いがあること、車のキーが投棄したと自白した場所から見つからなかったこと、さらに逮捕前の取り調べから否認と自白が交錯し、自白内容にも不合理な変遷があることなどから、「信用性に疑問がある」と結論づけた。

 判決は「A氏が犯人ではないかと疑わせる事実がいくつか存在する」と述べている。しかし、判決文に何度も登場する「可能性」という言葉で捉えるにとどめ、それだけではA氏の犯行を示す証拠にはならないと慎重に扱っている。A氏が犯人である可能性があるとしても、逆に犯人ではない可能性が残っているとするならば有罪にはできない、という論理だ。「疑わしきは罰せず」という刑事裁判の鉄則に従った、極めて良識的な判断だろう。

 この事件は裁判員裁判の対象ではなかったが、公判前整理手続きが適用され、公判が始まる前に24回の協議が行われて争点や証拠が絞り込まれた。そのうえで38回の公判が開かれ、68人の証人を調べたという。検察・弁護団双方の主張をかなりしっかりと法廷で吟味して導かれた結論だった、と見ていい。

 ところが、検察の控訴を受けた2審・福岡高裁(服部悟裁判長)は、公判開始前の進行協議の段階から「1審判決を逆転させる気が満々だった」(弁護団)そうだ。その予想通りに、2013年9月の判決は検察の求刑通りの無期懲役だった。

 高裁判決は、A氏が事件発生直後に被害者の車を使用していたことや、被害者のお買物券を所持していたことなどを挙げて、「A氏が犯人である蓋然性(確実性:筆者注)は高い」と断じた。1審判決がそれらを「可能性にとどまる」と消極的に評価したことに対して、「合理性のない抽象的な反対事実が存在する疑いがあることを理由に、自白供述を除いた証拠のみからではA氏が犯人であると推認することすらできないとした判断は、論理則、経験則等に照らして不合理というほかない」と批判した。

 1審と同じ状況証拠が、ことごとくA氏の犯行を裏付ける材料にされてしまったわけだ。

 車内から血液反応が出なかったことには、犯人が多量の返り血を浴びていなかったり、衣服に付いた血液が乾燥して凝固したりしていたことがあり得るとして、「犯人がこの車を奪って逃走したことを否定する根拠となるものではない」と考察。自白についても、起訴前の裁判所での勾留理由開示手続きでA氏が「犯人性を認める内容の意見陳述をしている」ことなどを重視し、「任意性が極めて高く、その核心部分は十分に信用できる」と1審と全く逆の認定をしてしまった。

 ちなみに、同じような構図は2年前に再審無罪判決が出た東電女性社員殺害事件でも見られた。強盗殺人罪に問われたネパール人のゴビンダさんは一貫して犯行を否認し、直接的な物証もなかった。もとの裁判の1審は「状況証拠にはいずれも反対解釈の余地があり、ゴビンダさんを犯人とするには合理的な疑いが残る」と無罪にしたが、2審は同じ証拠を正反対に評価して無期懲役を言い渡してしまった。後に新たな証拠が見つかってゴビンダさんが完全無罪になったことに鑑みれば、2審は明らかな誤判だった。

 さて、清川村事件で弁護団や日弁連が問題視しているのは、2審が検察の求めに応じる形で延べ54人もの証人尋問を行ったことだ。このうち弁護団が請求したのは7人だけで、うち6人は検察との双方申請。警察関係者を中心に「検察の申請した証人は、撤回した1人を除いてすべて調べた」(弁護団)。

 裁判員制度の導入をきっかけに、最近では刑事裁判の控訴審は「事後審」であることが強調されているという。「事後審」とは、1審と同じように自ら事件を一から審理するのではなく、1審の訴訟記録を基に1審判決の妥当性を事後的に審査すること。1審に限られる裁判員裁判での市民感覚を尊重しよう、との趣旨からだ。

 1審と2審とで同じような事実審理が行われると、被告人は同じ事件で2度にわたって刑事裁判の「危険」にさらされることになり、身体面はもちろん費用負担をはじめとする生活面や精神面を含めて長期間にわたって不安定な状態に置かれ、無実の罪を着せられることにもつながりかねない。憲法39条が「既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問われない」「同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問われない」と定めていることを根拠に、検察官による控訴を禁止・制限すべきだとする学説もある。

 報告会では、そうした時代に2審の福岡高裁が26回の公判を開き、54人もの証人を調べたというのは「異常というほかはない」との声が出ていた。検察の申請分については、1審で却下された証人を採用したり、1審で尋問した証人を同じ趣旨で再び調べたりしたにもかかわらず、弁護団が現場検証などの新たな事実調べを請求すると「事後審だから」と採用しない口実に使われたらしい。「事後審」が被告の立証を制限する方向に利用されれば誤判救済の妨げになりかねないから、注意が必要だ。

 それにしても、どうして2審の服部裁判長は、検察寄りと見られても仕方ないような訴訟指揮をしたのだろうか。

 弁護団の1人は「裁判官は基本的に検察官が正しいと考えている。検察に起訴や控訴をされるのは、被告人がそれなりのことをやっているから、と思っている」と指摘していた。同じ言葉は、これまでにも刑事弁護関係者から聞かされてきた。裁判官も官僚組織の一員なので、同じ官僚である検察官への信頼が厚いのだそうだ。現在は廃止されたとはいえ、長く裁判官と検察官の人事交流が続いてきたから、なおさらなのだろう。

 古くて新しい問題である。裁判員裁判の時代にあって、2審である高裁裁判官の資質やスタンスは、より厳しく問われなければなるまい。もっとも、予断なく審理にあたることは、裁判官として当たり前すぎる前提なのだが……。

 清川村の事件、2審判決を受けてA氏は最高裁に上告している。どのような観点から判決が下されるのか。楽観はできないだろうが、注目していきたい。

 

  

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第35回
「予断」をうかがわせる2審が引っくり返した無罪判決~大分・清川村強盗殺人事件
」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    〈裁判官は基本的に検察官が正しいと考えている〉。こんな恐ろしい言葉が、さらりと口にされるとは! 容疑者が逮捕されると、(まだ有罪は確定していないにもかかわらず)まるきり「犯人扱い」の報道が始まるなど、いまひとつ「推定無罪」という原則が共有されていないようにも思える日本社会。その重要性を、もう一度認識する必要がありそうです。

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小石勝朗

こいし かつろう:記者として全国紙2社(地方紙に出向経験も)で東京、福岡、沖縄、静岡、宮崎、厚木などに勤務するも、威張れる特ダネはなし(…)。2011年フリーに。冤罪や基地、原発問題などに関心を持つ。最も心がけているのは、難しいテーマを噛み砕いてわかりやすく伝えること。大型2種免許所持。 共著に「地域エネルギー発電所 事業化の最前線」(現代人文社)。

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