「検察審査会」という名前は、最近になって一般にも知られるようになってきた。でも、どんなことをする組織なのかを正確に認識している人は、まだ少ないのではないだろうか。
裁判所のホームページによると、検察審査会は全国に165あり、それぞれに有権者からくじで選ばれた11人の検察審査員がいる。犯罪の疑いを持たれている人を検察が起訴しなかったことの是非を審査するのが主な任務だ。検察から取り寄せた事件の記録などを調べ、8人以上の賛成で「起訴相当(起訴すべきだ)」、過半数の賛成で「不起訴不当(さらに詳しく捜査すべきだ)」との議決がなされれば、検察は再捜査して起訴するかどうかを検討し直すことになる。
目的は「公訴権の行使に民意を反映させて、その適正を図ること」。つまり、市民感覚を検察に採り入れるための制度である。検察審査会の議決を受けて検察が再捜査した結果、起訴された事件は、これまでに約1500件もあるそうだ。
その検察審査会が、社会を揺るがすような議決をした。東京電力・福島第一原子力発電所の事故をめぐり、東電の勝俣恒久・元会長ら旧経営陣の3人を「起訴相当」、1人を「不起訴不当」としたのだ。もし東電の元幹部が起訴されて法廷に立つことになれば、停滞している原発事故の責任追及が大きく前進するに違いない。東京第5検察審査会が7月31日に公表した議決の内容を検証してみる。
まず、ここに至るまでの経緯をおさらいしておこう。
福島原発事故を受け、福島県民が中心になった「福島原発告訴団」が2012年6月に東電の現・元幹部、学者、原子力安全委員会や文部科学省の幹部ら33人を業務上過失致死傷などの容疑で福島地方検察庁に告訴・告発したのがきっかけだった。検察は受理したものの、昨年9月、別の告発と合わせた計42人全員を不起訴にした(不起訴の内容については、拙稿〈「原発告訴」の不起訴もまた、国策だったのか〉参照)。このため告訴団は翌月、勝俣氏ら東電幹部6人に絞って検察審査会に審査を申し立てていた。
今回、検察審査会の議決が認定した業務上過失致死傷容疑の要旨は――。
大規模地震に起因する巨大津波によって福島第一原発において炉心損傷などの重大事故が発生するのを未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、必要な安全対策を講じないまま漫然と運転を継続した過失により、東日本大震災とこれに伴う津波で福島第一原発において炉心損傷などの重大事故を発生させ、水素ガス爆発などにより一部の原子炉建屋・格納容器を損壊させ、大量の放射性物質を排出させて、多数の住民を被曝させるとともに、現場作業員らに傷害を負わせ、さらに周辺病院から避難した入院患者らを死亡させた。
議決は前提として、原発を運営する会社の取締役は「安全性の確保のために極めて高度な注意義務を負っている」と指摘する。チェルノブイリ原発事故を見ても、原発事故の被害は甚大で、影響が長期に及ぶためだ。そして「根拠のある(自然災害の)予測結果に対しては常に謙虚に対応すべきであるし、想定外の事態も起こりうることを前提とした対策を検討しておくべき」と強調している。もっともだと思う。
検察は不起訴の大きな理由として、高さが10メートルを大きく超える津波が襲来することについて「具体的な予見可能性がなかった」ことを挙げていた。高さ15.5メートルに及んだ津波によって福島第一原発の建屋が浸水し、全電源が喪失してこれほどの事故が起きるとは、通常の注意義務を尽くしても予想がつかなかったから、対策が不十分だったとしても仕方がない、だから罪にならない、という論理だった。
これに対して、予見可能性について異なるスタンスを示したのが今回の議決の大きなポイントだ。
そもそも地震や津波という自然現象について、具体的に、いつ、どこで発生するかまでを予見することは不可能である。原発を扱う事業者として、安全性確保のための対策を取ることが必要である津波として認識することが可能であったと言えれば、津波襲来に関する具体的な予見が可能であったと言うべきである。そして、この予測に応じて必要な対策を施した場合に、事故の結果が回避できたと言えるのであれば、結果回避可能性も認められる。
要するに、福島第一原発を襲った津波が、事故が起こらないように対策を取るべき必要性が事前にわかっていたレベルだったのなら、事業者には予見可能性があった、と捉えているのだ。検察の論理だと「今回の規模の地震や津波は全く想定されていなかったから仕方がない」となるところ、「対策が必要だとわかっていた規模の津波だったのならば、極めて大きな注意義務を負うべき原発事業者には過失が認められる」と判断している。検察審査会の論理の方が、しっくり来るのではないだろうか。
で、福島の事故の予見可能性を裏づけるうえで議決が重要視したのが、2002年に政府の地震調査研究推進本部(推本)が公表した長期評価だ。「三陸沖から房総沖の日本海溝沿いでマグニチュード8(M8)級の津波地震が30年以内に20%程度の確率で起きる」と予測していた。これを受けて、08年には東電自身が「明治三陸地震(1896年)並みのM8.3級の地震が福島県沖で起きれば、福島第一原発を襲う津波の高さは15.7メートルに及ぶ」と試算していた。
ちなみに、事故当時の福島第一原発の想定津波高は6.1メートルである。
議決は、東電幹部に15.7メートルの試算が報告されて、幹部も対策を検討するよう指示しながら、「原発の運転停止のリスクが生じる」と懸念して東電が結局採用せず、土木学会に津波評価の再検討を依頼したのは「時間稼ぎだったと言わざるを得ない」と認定した。東電の対応には「対策にかかる費用や時間の観点から、津波高の数値をできるだけ下げたいという意向もうかがわれる」とも言及し、「算出された最高値に基づき対応を考えるべきだった」と批判した。
今回の事態の結果回避可能性についても、15.7メートルの津波の試算が出た08年の段階で、分電盤の移設、小型発電機や水中ポンプの高台への設置、建屋の水密化だけでなく、電源車の高台への配置や緊急時マニュアルの整備・訓練といった長期間を要しない対策を取っていれば「被害を回避し、少なくとも軽減することができた」と指摘。「(原発の)安全性に疑問が生じた場合は、まず運転を停止し、安全が確認されてから稼働することを考えても良いのではないか」との問題提起もしている。
検察が不起訴の理由として、規制当局から東電に津波対策の指示がなかったことを挙げているのに対しても、「規制当局からの指摘がないとか、他の電力事業者もやっていないなどの理由で、責任を免れるものではない」と一刀両断。さらに、規制当局を含めた対応を指弾したのも特徴だ。
例えば15.7メートルという試算結果についても単なる対処すべき数値として捉え、生命や財産に対する現実のリスクであるという感覚が希薄になっている。実際には発生しないだろう、原発は大丈夫だろうというような曖昧模糊とした雰囲気が存在していたのではないか。このような規制当局と事業者の態度は、本来あるべき姿から大きく逸脱しているし、一般常識からもずれていると言わざるを得ない。安全神話の中にいたからということで、責任を免れることはできないと考える。
そのうえで、6人の刑事責任を問うことができるかどうかを個別に検討した。「起訴相当」としたのは、勝俣氏と武藤栄・元副社長(原子力・立地本部長)、武黒一郎・元副社長(同)の3人だ。
勝俣氏については、社長だった08年に参加した社内の打ち合わせで、①福島第一原発の想定津波高が7.7メートル以上に変更され、さらに大きくなる可能性を記した資料が配られている、②他の参加者から「14メートル程度の津波が来る可能性があるという人もいる」との発言があった、などの事実を踏まえ、「従来の想定を大きく超える津波が襲来する可能性に関する報告に接している」と認定した。
また、「東電の最高責任者として、各部署に適切な対応策を取らせることも可能な地位にあった」と断じる一方、「重要な点については知らなかった」との勝俣氏の供述に対しては「資料を見る限り、そのまま信用することはできない」と退けた。
武藤氏については、15.7メートルの津波の試算の報告を受けて対策の検討を指示しながら方針を転換した点、武黒氏については、勝俣氏と同じ08年の打ち合わせに参加して質問をしたり、15.7メートルの津波の試算の報告を受けたりしていた点を重く見て、ともに「その時点で、適切な措置を取るべきことを指示し、結果を回避することができたものと考えられる」ことを起訴相当の理由にしている。
「不起訴不当」とした小森明生・元常務(原子力・立地副本部長)については「当時の具体的な立場や権限、どの程度の情報を得ていたのか」への再捜査を求め、他の2人は「議論に影響を与えたり、判断を行える立場にはなかった」などとして不起訴は妥当だと結論づけた。
福島原発告訴団の代理人を務める河合弘之弁護士は「90点。感動的な議決で、よくここまで踏み込んでくれた。市民の常識や正義感にかなっている」と絶賛。保田行雄弁護士も「超危険物を扱う原発事業者の責任に立脚し、過失に踏み込んだ画期的な内容だ」と評価した。告訴団の主張がほぼ全面的に採り入れられた議決と言っていいだろう。
「東京」の検察審査会がこうした議決をしたことにも大きな意義がある。
もともと告訴団が福島地検を告訴・告発先にしたのは、検察が不起訴にすることも見越して、その場合に福島県民から選ばれる福島検察審査会が審査すれば、原発事故の被害者に寄り添った判断をしてもらえると考えたからだった。ところが検察は不起訴処分を出すわずか1時間前に、他の告発を受理した東京地検に捜査の担当を移送してしまった。告訴団は「福島検察審査会への申し立てを阻止するための卑怯なやり方だ」と怒っていた。
にもかかわらず、都民で構成される東京の検察審査会で今回のような議決が出た。市民感覚を反映させるという制度の目的に照らせば、福島県民に限らず、原発事故の被害を直接には受けていない都民であっても「事故の責任追及は不十分だ」と受けとめていることを意味するからだ。
さて、今後。
検察は再捜査をして、原則として3カ月以内に結論を出す。検察が起訴すれば、もちろん刑事事件として裁判が始まる。再び不起訴になっても、福島原発告訴団は改めて検察審査会に審査を申し立てることができ、もしまた8人以上の賛成で「起訴相当」の議決が出されれば、今度は自動的に起訴される。小沢一郎氏に適用された「強制起訴」という仕組みである。
検察が不起訴を決めた際、告訴団が不満を募らせたのは、東電本店をはじめ関係先の家宅捜索など強制捜査がなされないままだったからだ。河合弁護士らは今回も「検察審査会の議決を真摯に受けとめ、強制捜査を実施してほしい」と強く求めている。
検察は「東電の事故対応業務を妨害しかねない」「強制捜査をしたから良い資料が得られるとは限らない」と釈明しているようだが、当事者たる東電が自らに都合の悪い資料を任意で提出するはずがないと考えるのが市民の感覚だろう。事実の解明のためには東電を捜索し、関係書類を差し押さえることが不可欠だと思う。
強制起訴になったとしても、裁判で十分な立証ができるかどうかは別問題だ。もとより、犯罪の事実がないのに、感情論だけで無理やりに罪を着せるようなことがあってはならないのは言うまでもない。
だが、犯罪の嫌疑が目の前にあるのに、きちんと捜査せずに見過ごすことが許されないのもまた、確かだ。未曾有の事故が現実に起きているからこそ、その責任をきちんと追及すべきなのは当然である。それこそ市民が納得できる十分な再捜査に期待したい。
「福島原発告訴団」の団長を務めてきた武藤類子さんは、以前に登場いただいたインタビューで、告訴・告発に踏み切った理由として「これだけの大事故が起きて、多くの被害者を生み出していながら、誰の責任も問われていない」ことへの疑問を口にされていました。「司法への市民感覚の反映」というならば、これこそがまさにそうなのでは? 著者が指摘しているように、まずは十分な再捜査を、と思います。