もはや半世紀も前のことである。今になってやり直しを求めるからには、よほどの事情や意味があるに違いない。
「砂川事件」。一定以上の世代や、憲法をきちんと学んだことがある人ならともかく、一般の人たちにはほとんど馴染みのなかった事件だろう。最近になってクローズアップされているのは、自民党が集団的自衛権の行使容認に向けて、この事件の最高裁判決のロジックを我田引水的に持ち出したから。さらに、6月17日に元被告らが再審(裁判のやり直し)を請求したからである。
この2つ、実は関わってくるのだが、その話はあとで触れるとして、6月22日に東京農工大で開かれたシンポジウムの様子を交えながら、事件と再審請求の概要から始めよう。
砂川事件は、米軍・立川飛行場(現在の東京都立川市)の拡張反対闘争の中で起きた。1955(昭和30)年5月、基地の滑走路を延長するために日本政府が旧・砂川町内の農地接収を計画していることが明らかになると、土地を所有する農民だけでなく地元市民や学生、労組員らに反対運動の輪が広がった。政府は警官隊を動員して測量を強行。55年9月には逮捕者300人、負傷者200人以上、56年10月には負傷者1000人以上という事態になって、測量は中止された。
政府のやり方に反発した農民は、基地内の所有地の契約更新を拒否して土地返還請求訴訟を起こす。これに対して、政府は土地収用法を適用して強制的に使用する手続きを取り、測量を実施しようとした1957(昭和32)年7月8日に事件は起きた。
砂川事件の被告の1人、武藤軍一郎さん(79歳)=九州大名誉教授=は当時、東京農工大の学生だった。シンポでの報告によると、参加していたデモ隊は早朝から外柵を隔てて警官隊と向き合い、「強制測量反対」と抗議していた。そのうち、デモ隊のスクラムは潮が寄せるようにずるずると前方に動き出す。気がつくと基地の中に入っており、移動式の有刺鉄線を挟んで警官の隊列が目の前に並んでいたという。
「なぜ基地内に入ったのかはナゾです」と武藤さん。ちなみに、事件当日の朝、デモ隊が集まった時には、基地の外柵はすでに倒れかかっていたそうだ。警官隊の列には、4人に1人くらいの割合でカメラを持った警官がいた。「デモ隊が基地に入ることが事前にわかっているかのようだった」と振り返った。
この時、わずか数メートル基地内に入ったことが、犯罪に問われることになる。2カ月半後の9月22日、武藤さんは警視庁に逮捕される。学内の寮で寝ている時に警官隊に踏み込まれ、布団を囲まれてたたき起こされたそうだ。逮捕者は計23人にのぼった。多くの学生らの抗議行動によって武藤さんは8日後に釈放されるものの、他の6人の学生や労組員とともに起訴された。
罪名は「日米安保条約第3条に基づく行政協定に伴う刑事特別法」違反。1952年に制定(その後、60年に改正・名称変更)された法律で、米軍基地への立ち入りや機密探知などの処罰について定めている。砂川事件の場合も、立ち入ったのが米軍基地でなければ軽犯罪法違反で済む話だが、刑事特別法違反に問われたので、法定刑は「1年以下の懲役または2千円以下の罰金・科料」と重くなった。
裁判の経緯がまた、波乱に富んでいた。
1審の東京地裁(59年3月)は、7人全員に無罪を言い渡す。刑事特別法の規定が違憲・無効であると判断したのだ。裁判長の名前を取って「伊達判決」と呼ばれている。
判決は、日米安保条約に基づく米軍の駐留は日米両政府の意思の合致があったからで、「わが国政府の行為によるもの」と指摘。「わが国が外部からの武力攻撃に対する自衛に使用する目的で米軍の駐留を許容していることは、指揮権や軍出動義務の有無にかかわらず、憲法9条2項前段によって禁止されている戦力の保持に該当するもので、駐留米軍は憲法上、存在を許すべからざるもの」と述べたうえで、「米軍基地の平穏に関する法益が、一般国民の同種の法益以上の厚い保護を受ける合理的な理由は何ら存在しない」と結論づけた。鮮烈な論理だった。
「憲法を素直に解釈した画期的な判決でした。私の一生の宝であり、国民の宝です」と武藤さんは話した。
検察は最高裁に「跳躍上告」する。本来なら2審の高裁で審理するところだが、1審判決が法律を違憲と判断した場合に、運用上の混乱を短期間にとどめるために認められている手法である。
最高裁大法廷の判決は、1審判決からわずか8カ月半後の12月16日。1審の無罪判決を破棄し、審理を東京地裁に差し戻す内容で、結論は15人の裁判官の全員一致だった。
判決は「わが国が主体となって指揮権、管理権を行使しえない外国軍隊は、わが国に駐留するとしても憲法9条2項の『戦力』には該当しない」と言い切った。日米安保条約については「主権国としてのわが国の存立の基礎に重大な関係を持つ高度の政治性を有するものが、違憲か否かの法的判断は、司法裁判所の審査には原則としてなじまない性質で、一見極めて明白に違憲無効と認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外にある」として憲法判断を避けた。いわゆる「統治行為論」のはしりだった。
「憲法の解釈を歪めており、司法の番人たる最高裁が自らの使命を放棄した。残念で悔しかった」と武藤さん。差し戻し後の東京地裁で罰金2千円の有罪判決を受け、63年に最高裁で確定した。
武藤さん自身でさえ「その後は風化していた」と言う砂川事件が蘇ってきたのは、発生から半世紀以上が経過した2008年のことだ。最高裁で審理されていた当時に、駐日アメリカ大使が国務長官に宛てた機密電文を、日本の研究者が米国立公文書館で見つけたのがきっかけだった。伊達判決が出た翌朝に駐日大使が日本の外相に会って「迅速な行動を取り、判決をただすことの重要性」を迫っていた。
それだけではない。引き続き明らかになった公文書もあわせると、上告後の裁判所の責任者である田中耕太郎・最高裁長官が判決までに駐日大使らに3回にわたって密会し、公判日程・判決時期の見通しや、評議が裁判官全員一致となるよう希望している旨を伝えていたことが記されていた。日米安保条約の改定を翌年に控え、早期決着を働きかけた米国に応えたとみられている。
そこで、元被告3人と遺族1人が6月17日に、東京地裁に再審を請求するに至ったわけだ。これら3通の電文・書簡を新証拠として提出した。
根拠にしたのは、刑事事件の被告に「公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利」を保障した憲法37条1項である。砂川事件の被告や支援者らでつくる「伊達判決を生かす会」の吉沢弘久事務局長はシンポで、「事件の『被害者』である米国の大使らに、事件を審理している最高裁長官が会って、裁判の状況や見通し、判決の時期まで話すのは明らかに不公平で、被告の権利を侵害している」と強調していた。もっともだと思う。
再審請求では「免訴」を求めている。免訴とは、有罪か無罪かの判断をせずに裁判を打ち切ること。再審請求と言うと「無罪」を求めるケースが一般的だが、砂川事件では被告も基地内に立ち入ったこと自体は事実と認めているので、憲法違反を理由にした免訴主張にしたそうだ。
最高裁長官が米国大使らに裁判の内部情報を流していたことを差し戻し後の東京地裁が知っていたなら、最高裁判決に拘束されて審理を進めることは不公平で許されず、地裁に被告人を処罰する資格はなかった。しかし、東京地裁には、上級審である最高裁の差し戻し判決を破棄する手続きは認められていない。そこで、東京地裁は自ら裁判を打ち切る免訴とするべきだったのに、有罪判決を言い渡しており、誤判にあたる。だから裁判をやり直して、免訴判決を出してほしい。そんな論理構成だ。
ちなみに、憲法37条を理由に免訴が認められたケースとしては、「迅速な裁判を受ける権利」を根拠とした高田事件の最高裁判決(1972年)があるそうで、同様に「公平な裁判を受ける権利」でも免訴が認められ得るとみている。裁判所には元最高裁長官という身内に遠慮することなく、公正・公平な対応を強く求めたい。
さて、集団的自衛権である。
砂川事件で無罪を破棄した最高裁判決は、駐留米軍が憲法9条2項で禁止された「戦力」にあたるかどうかを判断する前段で、「憲法9条は、わが国が主権国として有する固有の自衛権をなんら否定していない」「わが国が、自国の平和と安全とを維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置を取り得ることは、国家固有の権能の行使であって、憲法は何らこれを禁止するものではない」と書いている。
ここへ来て自民党が、集団的自衛権の行使を容認するための拠り所として引っ張り出してきた理屈である。安保法制懇が5月に出した報告書は「司法府が初めて示した判断で大きな意義を持つ。集団的自衛権と個別的自衛権を区別して論じておらず、従って集団的自衛権の行使を禁じていない点にも留意すべきだ」と解釈している。
砂川事件の元被告たちには、自らを有罪に導いた最高裁判決が集団的自衛権を認めるために使われることに対して、ひときわ強い抵抗感があるという。武藤さんは「当時問題になっていたのは、あくまで個別的自衛権。判決のどこに集団的自衛権のことが書いてあるのか。米国の公文書で明らかになった事実で根底がグラグラしてひっくり返りそうな最高裁判決から、書かれてもいない集団的自衛権を持ち出されてはたまらない」と力を込めた。
元被告らは、この時期に再審請求を起こした理由を「立憲主義を根底から覆そうとする安倍政権への抗議の意思表示でもある」と説明している。集団的自衛権が閣議決定される前になるように意識して、再審請求の時期を予定より早めたそうだ。再審で免訴判決を得ることで、社会的に伊達判決を砂川事件の唯一の判決にするとともに、集団的自衛権の根拠とさせない効果も狙っている。
最近明らかになった新たな事実をあわせて砂川事件を見つめ直すと、戦後日本の安保政策が決して民主的とは言えない歪んだ形で進められてきたことが浮き彫りになる。そして今、集団的自衛権の行使容認をめぐっても、自民党政権が自らに都合良く理屈を強引に組み立てている一端がうかがえる。果たしてそんな手法や論理が正しいのか。少なくとも、もっと十分な議論が必要なことだけは疑う余地があるまい。
集団的自衛権とは実際には全然関係ないケースを、「行使容認」の根拠として次々に持ち出し、都合よく利用しようとしてきた安倍政権。その一つ、砂川事件を容認の根拠とすることには、自民党内からさえ疑問の声があがっていました。ましてや、そのもともとの判決自体が「司法の独立」を否定するような、憲法違反の手続きのもとで進められていたとすれば…。さまざまな観点から、注目されるべき裁判です。