本来は昨年のクリスマスイブ(12月24日)に判決が出る予定だった。それが、裁判所の都合で今年2月27日に延期され、その間に市議会が訴訟の根元を揺るがすような議決をした。判決は再び延期になり、昨年9月にいったん結審していた裁判は3月18日に口頭弁論が再開された。
東京都国立市へのマンション建設をめぐり、市が元市長の上原公子さんに対し、マンション開発会社への損害賠償相当額の3123万9726円+利息を個人の資産で市に支払うよう求めた訴訟のことだ。地方自治のあり方に関わる重要な裁判なのだが、異例の展開をたどっている。改めて現状を報告する。
訴訟に至った経緯は複雑なので、初めての方はまず昨年10月の当コラムをお読みいただきたいが、なるべく簡単に概要を記すと――。
上原さんが国立市長に就いた1999年、マンション開発会社の明和地所が、JR国立駅から延びる大学通り沿いに高さ44メートル(14階建て)の高層マンション建設を計画した。市は景観を守るため、この地区の建物の高さを20メートル以下に制限する条例を制定して、マンション建設に対抗した。
明和地所は市を相手取り、損害賠償を求める訴訟を起こす。2005年の2審・東京高裁判決(判決①)は、市による営業妨害と信用毀損行為があったとして2500万円の賠償を命じた。最高裁で確定後、市が08年に利息を含めて明和地所に支払った金額が、上原さんが求償されている3123万9726円だ。さらに、この判決を受けて一部の市民が市に対し、この金額を上原さんに請求するよう求める訴訟を起こし、10年に東京地裁(判決②)が認めたために、市が提訴したのが今回の裁判である。
最大のテーマは、一般的な手続きを経た行政行為について、実施した首長個人に賠償責任を問うのが適切なのかどうか。汚職などの犯罪が絡んでいたり重い過失があったりすればともかく、そうでないのに個人の賠償責任が認められることになれば、首長は後で求償されることを恐れて積極的な施策を打ち出しにくくなり、地方自治の現場に大きな影響を与えることになる。
東京地裁に起こされた今回の訴訟で上原さんの弁護団は、高さ制限を定めた条例の制定は市民の意思や主体的な行動を汲んだ「市民自治」の営みだったから、上原さんは賠償責任を負わないと主張。一方の市は「行政の中立性・公平性や、社会通念上許容される限度を逸脱している」との論理を展開し、上原さんに賠償を求めている。
で、国立市議会の議決である。議員提出の「権利の放棄についての決議」で、昨年12月19日に11対9の賛成多数で可決された。
決議文は、判決①の確定後、明和地所が市から受け取った賠償金と同額の3123万9726円を市に寄付していることから、「国立市側には実質的な損害は生じていない」と指摘。また、判決①が明和地所に支払いを命じた裁判費用について、市議会がこの寄付と相殺する形で請求放棄の議決をしたことで「明和地所と国立市双方の債権債務関係は解消し、これをもって建築紛争は政治的にもすべて終結した」との見方を示した。
そのうえで「明和マンション問題は、大学通りの景観を守れという『オール国立』の声を国立の住民自治としてすすめたものであり、元市長個人に請求することは妥当ではない」と強調し、「ここで紛争を終息させ、未来に禍根を残さず、市民の財産としての景観を形成するまちづくりを推進していくため」として、判決②が市に認めた上原さんに対する3123万9726円+利息の債権を放棄することを謳っている。
決議の根拠となっているのは地方自治法96条1項だ。「普通地方公共団体(都道府県や市区町村)の議会は、次に掲げる事件を議決しなければならない」として「条例を設け改廃すること」「予算を定めること」など15の項目を列挙し、その10番目に「法律もしくはこれに基づく政令または条例に特別の定めがある場合を除くほか、権利を放棄すること」とあり、これに基づいている。
では、この決議は裁判にどんな関わりを持つのだろうか。
債権放棄を市議会が決議したからと言って、自動的に裁判の取り下げが実現するわけではないそうだ。裁判を取り下げるかどうかは、市長の執行権、つまり裁量の範囲だという。今回も佐藤一夫・現市長は取り下げない意向のようで、決議後、「議会の意思は理解したが、請求権は放棄せず司法の判断を待つ」と話している(昨年12月20日付・読売新聞)。
それに債権放棄を決議するということは、その前提として債権、つまり上原さんに対する市の求償権の存在を認めることになる。裁判で上原さんの弁護団が「(当時の)市の行為は明和地所との関係でなんら違法性は帯びておらず、市長だった上原さんが市に責任を負うことなどありえない」と主張してきたことと矛盾しかねない。
決議を提案した市議もそこは承知しており、市議会の質疑の中でも「法的判断の複数の可能性が考慮されるとしても、司法判断と別に政治的判断として」と繰り返している。判決が上原さんへの求償権を認めるかどうかはともかくとして、「政治判断たる市議会の意思を明確にするため」に決議をする、という論理である。
とはいえ、裁判にとってこの決議が全く無意味というわけでもない。3月18日の口頭弁論では、上原さんの弁護団が意見陳述をして意義をアピールした。
地方議会による債権放棄の議決をめぐっては、裁判で違法と判断された公金支出について、首長個人への賠償請求を阻止するために首長を支持する議会与党が利用するケースが全国で相次いでおり、下級審では議決を無効とする判決も出ている。このため弁護団はまず、12年4月の最高裁判決が債権放棄の議決について「議会の裁量権の範囲の逸脱や濫用に当たらない限りは原則的に適法・有効」と判断していることを引き、「今回の(国立市議会の)議決に裁量権の逸脱・濫用に当たると認める要素はない」と評価した。
そのうえで、決議がこの裁判に与える意味として2点を挙げた。
1つは、上原さんの市長としての行動が「住民自治の営みとして正当だったことの裏付け」になること。裁判で上原さんの弁護団は、高さ制限を定めた条例制定が、住民の自治力を基本に市議会や市長を含む「オール国立」の取り組みだったと力説してきた。市民の代表たる市議会がそれを認める決議をしたことは、その証明になると見立てている。まちぐるみの活動だったからこそ、上原さん個人に賠償責任は発生しないという結論になり、裁判にもつながってくる。
もう1つ。仮に上原さんに対する市の求償権を認める判決があり得るとしても、それとは別に、「市議会が住民自治のあり方として求償しないことを議決した」ことの政治的な判断としての重みに言及した。市長が決議を無視して裁判を取り下げないとすれば「権限の濫用ないし信義則に反する行為である」と訴えた。
一方の市。上原さんの弁護団によると、①債権放棄の議案は首長にだけ提出権があるが今回は違う、②決議は住民訴訟制度の趣旨を損なうもので権限の濫用になる、などとして「地方自治法96条が定める議決には当たらない」との趣旨の主張をしてきたという。前述した最高裁判決をもとに、今回の決議には市議会の裁量権の範囲の逸脱や濫用があったとして、違法・無効とアピールしている。決議に法的な意味づけをされると不利になるから、できるだけ小さく見せる作戦のようだ。
さて、この裁判の今後。
次回5月20日に上原さんの弁護団が、債権放棄決議に関する市の主張への反論をして改めて結審する見通しで、判決は夏以降になりそうだ。市議会の決議が直接、判決の結果に影響を及ぼすことはないとしても、判決が決議に対して何らかの判断を示せば、今後、同様のケースに波及することにもなるだろう。判決が延期されたことで浮上した新たな論点を含め、引き続き裁判の動向を注視したい。
前回の記事のときよりもさらに、複雑なことになっている国立市の裁判。地方自治のあり方、そして議会のあり方にも、さまざまな形で影響を与えることになりそう。引き続きの情報を待ちたいと思います。