福島第1原子力発電所の事故からもうすぐ3年になるのに、このままウヤムヤにされてしまいそうなことがある。事故の責任追及だ。被害者への賠償には東京電力が応じてはいるけれど、十分なのだろうか。その原資は税金と電気料金でもあり、1社だけが負担するというのはどこか釈然としない。
未曾有の事故の責任が誰にあったのかをはっきりさせて相応の法的な決着をつけなければ、検証が終わったとは言えない。被害者はもちろんのこと、社会的にも納得されないだろう。脱原発派だけの話ではない。仮に原発の再稼働を認めるとすれば尚のこと、事故が起きた場合に誰がどう責任を取るかをきちんと整理しないまま「無責任態勢」で見切り発車するとしたら、到底市民の理解は得られまい。
たとえば「個人」の責任を追及する法的な取り組みはこれまでに主に2つあり、裁判所や捜査機関を舞台に進行している。1つは、東京電力の現・元取締役27人を相手取った株主代表訴訟で、事故で東電が被った5兆5045億円の損害を個人の財産で会社に賠償するよう求めている。もう1つは、東電や国の幹部らに対する刑事告訴。検察に受理されたものの昨年9月に不起訴になったため、検察審査会に不服審査を申し立てたり福島県警に新たな告発をしたりしている。
そこに今年1月末、新たな訴訟が加わった。今度のターゲットは「原発メーカー」。その法的責任を問う損害賠償請求訴訟である。弁護団長の島昭宏弁護士らの話を聞いたので、訴訟の概要を紹介したい。
通常、事故が起きれば、原因となった機械・装置を運用していた事業者の責任はもちろん、機械・装置の製造業者の責任も厳しく追及される。なのに、今回の事故では原発メーカーが免責される仕組みになっている。原子力損害賠償法(原賠法)が、原発で事故が起きた時の賠償責任は原子力事業者だけが負うという「責任集中の原則」を定めているからだ。でも、かつてない規模の事故で、ハナからメーカーの責任が問われようともしないのはおかしいんじゃないか。こんな素朴な疑問が出発点の裁判だという。
最初に訴訟の概要を記しておくと、東京地方裁判所へ提訴した1月30日時点の原告は計1415人で、内訳は日本人が1058人、外国人が32カ国の357人。訴えた相手は、福島第1原発の炉を製造した東芝、日立製作所、米ゼネラル・エレクトリック(GE)の日本法人の3社。
最大のポイントは、原発メーカーに賠償を求める、つまり責任を問う法的な根拠である。訴訟は3段階の構成を採っている。
第1点は、製造物責任(PL)法にもとづき、福島第1原発に「欠陥」があった、という論点だ。島弁護士は、津波や地震であれだけ大きな事故を起こしただけでも、欠陥を認定するのに必要な「通常有すべき安全性を欠く」との要件に該当する、とみている。
第2点として、民法上の不法行為責任にもとづき、メーカーに「過失」があったと指摘している。メーカーは東電と一緒に定期検査にあたるなど二人三脚で原発を運営してきており、東電に適正な助言をするなど安全を保つ注意義務があったのに果たさなかった、との主張が導き出されるわけだ。
具体的な過失として、(1)今回の規模の地震や津波は予見できたのに十分な対策を取らなかった、(2)国の耐震設計審査指針が改定された際のバックチェック(耐震安全性評価)に不備があった、(3)運転開始から35~40年になる老朽化への対策が不十分だった――を示している。さらに最も重要な要素として、福島第1原発が運転を開始した時期と重なる1976年に、GE社の技術者が福島第1と同じ「マーク1型」は構造が脆弱で事故の際に危険だと米議会で証言したのに、運転をやめなかったことを挙げている。
第3点は、原賠法5条だ。事故がメーカーの「故意」で発生したのなら、東電は被害者への賠償金をメーカーに請求できる旨を規定している。その場合、被害者は債権者代位権(民法)を用い、東電を通り越して直接メーカーに賠償請求できる仕組みに着目した。
民法上の「故意」とは、「損害の発生を認識していながら認容して行為する心理状態」のこと。だから、第2点の不法行為責任のところで触れたような事前の警告があり、事故が発生するかもしれないと知っていたのに何もしなかったことが故意にあたる、との論理である。
さて、この訴訟に立ちはだかる壁が、前述した原賠法の「責任集中の原則」だ。第3点で言う「故意」はこの原則と無関係に認められ得るが、第1点、第2点についてはこれをクリアしなければならない。
ここで弁護団は「責任集中の原則は憲法違反」との主張を繰り出し、「原発メーカーに賠償責任が適用されないのは平等原則に反する」と立論した。もし第3点の故意だけでメーカーの賠償責任が認められれば、それでOK。そうでなくて第1点や第2点が争われても、その前提として責任集中の原則が「違憲・無効」と判断されれば、壁がなくなって通常の法律論争になり、十分に勝機があるというわけだ。
それから、この訴訟の賠償請求額は、原告1人につき100円に設定した。求めているのは、原発事故の報道や映像を見て精神的なショックを受けたことに対する賠償。国内外を問わず誰でも原告になれるように、また、訴訟の論点を賠償金額ではなくメーカーの責任に絞るための戦術である。原告は、避難者を含む「福島在住者」から「原発のない国の居住者」まで5つに類型化してあるから、原告適格などを理由に裁判の入口で全員が審理を拒まれることはないとみている。
原告団は3月10日に第2次提訴(最終)をする方針で、現在、原告を募集している。計1万人を目指すという(詳しくは原告団のHP参照)。
もともとこの訴訟、「やっても勝てない」と引き受ける弁護士が見つからなかったらしい。そんな中、元ロック歌手で「ロックンローヤー」を自称する島弁護士が手を挙げ、若手弁護士に呼びかけて弁護団を結成して、訴訟の法的構成を練ったという。前述した東電株主代表訴訟や刑事告訴を主導する河合弘之弁護士、海渡雄一弁護士らも弁護団に加わった。
島弁護士は「原発メーカーの証人尋問が実現して法廷に引っ張り出すことができれば、それだけで訴訟の意義はある」と強調。責任集中の原則については「原賠法ができた当時はエネルギー確保の必要性から、メーカーが原子力事業に取り組むためにリスクの回避=事故の際の免責が不可欠という理屈だった。しかし、事故が起きて安全の追求こそが強く求められるようになり、代替エネルギーも普及してきた今日、もはや説得力はなくなっている」と話していた。
原告団の崔勝久・事務局長は「植民地主義」というキーワードを語った。
もともと責任集中の原則は、日本が原発を導入するにあたって、メーカーがあるアメリカの要求で設けられたものだった。ところが日本が原発を輸出する立場になり、今度は相手国に同様の制度を求めているというのだ。「国内での都会(消費)と地方(原発立地)の関係と同様の構造が、列強と発展途上国という関係にも広がっている」との指摘は、原発輸出を考えるうえでしっかりと踏まえなければならない視点に違いない。
ユニークなだけでなく、さまざまな観点からアプローチできる奥の深い訴訟になりそうだ。今後の展開に注目したい。
東電株主代表訴訟や、被災者らによる刑事告訴については、こちらのコラムやインタビューもあわせてお読みください。「いったい、誰に(どこに)責任があったのか」が明らかにされなければ、また同じことが引き起こされかねない。最後に触れられている、国内にあった植民地主義的構造が原発とともに輸出されようとしているという指摘も、非常に重要だと思います。