東京都知事選挙が始まった。街頭演説をいくつか覗いてみたが、街の人たちの様子や反応を眺めていると関心がそんなに高まっている感じがしない。それどころかマスコミの情勢調査の記事の書き方からは、序盤で趨勢は決してしまったかのようにも読み取れる。
騒がれた割に、実際には「脱原発」がかみ合った論戦になっていないことに原因があるのだと思う。都内の有権者を対象にした朝日新聞の調査では、原発問題を争点にすることについて、「妥当」が41%だったのに対して、「妥当ではない」が48%と上回った(1月27日付朝刊)。
「原発は国策で、地方選挙の争点にはそぐわない」という自民党のPRが予想以上に浸透しているようだ。脱原発を訴える候補者の政策が、具体性を欠いていたりすることが影響している面もある。
では、果たして「脱原発」は地方選挙の争点たり得ないのだろうか。
この問題にアプローチするうえで重要なカギは、「脱原発」ですべてを一括りにしてしまうのではなく、「再生可能エネルギー政策」と「原発ゼロの是非」とを分けて考えることだと思う。「脱原発」という言葉は便利だけれど、具体的に何を意味するのか曖昧なまま、分かったような気にさせてしまいがちだ。だから論戦につながらないのだ。
「再生可能エネルギー政策」から見ていこう。
第1の留意点は、「即時原発ゼロ」を主張する候補者はもとより、「脱・原発依存」をアピールする候補者にしても、原発を少しでも減らしていくという前提に立つ限り、それに替わる再生可能エネルギーの拡大は避けて通れない課題になることだ。都知事選の主要4候補も、1人を除いてこの問題とは無関係ではいられない。
再生可能エネルギーを普及させるために必要なのは、企業が太陽光や風力を使って行う大規模な発電事業だけではない。むしろ、地域レベル・市民レベルの「小規模分散型」の営み=エネルギーの地産地消にこそ、より大きな意義がある。大量におこした電気を大量に使う社会や生活のスタイルを見直すことにつながるからだ。
地域の自然資源を探り、地域でお金を出し合って住民参加で電気をおこし、自分たちで使ったり売ったりして、その利益を地域のために還元する――。小規模分散型発電(いわゆる「ご当地発電」)が目指すところは、エネルギーの自立とともに、地域経済の活性化であり、まちづくりである。だからこそ、地方自治体が住民と協働して積極的に向き合うべきテーマなのだ。これが第2の留意点である。
つまり、再生可能エネルギー政策は、地方自治体の選挙たる東京都知事選の立派な争点になる。というより、きちんと争点にしなければいけない。お題目ではなく、その方向と方法を。
宣伝じみて恐縮だが、昨年10月に『地域エネルギー発電所 事業化の最前線』(現代人文社)という単行本を出版した。市民や自治体による全国10カ所の地域発電の事例を紹介している。東京都内では、多摩市と世田谷区のケースを取り上げた。そう、東京でもできることはいろいろあるのだ。そして、自治体のスタンスこそが成否を分ける大きなポイントであることも、この本をお読みいただければ実感してもらえると思う。
たとえば、市民レベルではなかなか充足できないお金、人材、技術、事業ノウハウ、信用などを、地方自治体がハード・ソフトの両面から支援する。住民に近い位置にいる市区町村が事業に当たるのがベターだが、東京都にはより広い視点から、市区町村や住民をバックアップしたり、国の制度の隙間を埋めたりする政策を打ち出してほしい。全国的には、条例を定めている自治体もある。知事選で、せめて具体的な方向性の議論が進むことを期待したい。
さて、もう一方の「原発ゼロの是非」。
原発が立地しているわけでもない地方自治体レベルで、いったい何ができるのか。脱原発弁護団全国連絡会代表の河合弘之弁護士が、法律家の立場から都知事に実行可能な原発ゼロ施策を提唱している。河合氏は今回の都知事選で特定の候補者を支援しているが、それは別にして、都知事が持つ権限や方法という点で参考になるので紹介しよう。
オーソドックスなのは、東京都が東京電力の株主であることを利用した手法だ。たとえば、原発を止めるように同社の定款を変更させるため、会社法にもとづいて、株主総会での株主提案権を行使することを挙げている。また、東電が柏崎刈羽原発の再稼働を具体化させるようなことがあれば、「会社の目的の範囲外の行為に当たる」「法令や定款に違反する」と主張して、取締役の行為の差止請求を起こすこともできるそうだ。
もう少しドラスティックなやり方になると、株主代表訴訟がある。すでに個人株主が東電の現・元取締役27人に対して、原発事故で会社が被った損害として総額5兆5045億円を個人の資産で賠償するよう求める株主代表訴訟を起こしているが、都がこの原告団に訴訟参加するのだ。原発事故の経営責任を追及することで東電の経営陣に緊張感を喚起し、再稼働に対する姿勢を転換させる狙いがある。
都知事もメンバーである全国知事会は、地方自治に影響を及ぼす法律事項などについて内閣や国会に意見を提出できる。地方自治法の規定だ。福島原発事故を見ても原発で重大な事故が起きれば地方自治は崩壊の危機に瀕するから、この仕組みを使って原発ゼロを政府や国会に訴えることも想定できるという。
なるほど、一般の市民にはなじみの薄い方策だけれど、その気になって知恵を絞れば知事の立場で法的にいろいろとできることがありそうだ。もちろん、株主総会で可決されたり、裁判で勝訴したり、他の知事の賛同を得られたりできるのかという課題はあるにせよ、東京都の知事がそこまで本気で動くというだけで、政治や社会にもたらすインパクトはとても大きい。東電をはじめ電力会社や政府も、そう簡単に原発を再稼働させられなくなるに違いない。
都知事の「任務」に着目しても、原発ゼロの是非は知事選の最重要テーマになる、と河合氏は強調している。
知事の最大の任務は都民の生命、安全、財産を守ることであり、東京から遠くない東海第2原発(茨城県)や浜岡原発(静岡県)、あるいは柏崎刈羽原発(新潟県)で重大な事故が起きれば、都民の生命、安全、財産が甚大な被害を受けると予想されるからだ。「これを防ぐためには原発ゼロを実現する必要がある」との論理には、確かに一理ある。
こうした点について候補者がもっと具体的に説明できれば、「原発ゼロ」は都知事選の争点になり得ると言えるのだろう。
とはいえ個人的には、「原発ゼロ」を都知事選のシングルイシューにすることには、どうにも違和感を拭いきれない。引っかかっているのは、一部の脱原発系の人たちやマスコミが好んで使う「電力の最大消費地の責任」という言葉。どうしても東京都民の「おごり」を感じてしまうのだ。都民たる自分自身の反省も込めて。
都民投票を求める運動の時もそうだったけれど、どうして東京の人たちは、原発をゼロにするかどうかを都民「だけ」で決めようとするのだろう。一番大きな影響を受けるのは、原発が立地している地元の人たちなのに……。
そもそも原発や再処理施設を地方に押し付けたのは誰なのだろう、と考えてしまう。東京に代表される都会の住民が、自分たちが嫌だからって金の力にものを言わせ、過疎化に悩む地域の自然や生活やコミュニティーをめちゃめちゃに破壊までして引き受けさせたものだった。その結果、危険と引き換えに豊かになった地元が原発との共生を進めたところで、都会の人間にはそれを責めることはできまい。3・11後に青森や福井を訪ね、地元の人たちに話を聞いて、その思いを強くした。
なのに原発事故が起きて都会にも危険が及ぶと知った途端、地元の頭越しに、自分たち「だけ」で原発の存廃を決めようっていうのは、アンフェアではないのか。原発の地元の人たちと対話もせず、代替策を一緒に考えたり提案したりすることもせずに、一方的にハシゴを外して知らんぷりで良いのか。しかも、使用済み核燃料の処分場は地方に、という暗黙の前提は変えないままで。
東京の人たちが「原発をゼロにしよう」と言うのならば、原発の地元が原発なしでも自立してやっていける仕組みをつくることが先だろう。都知事がまずなすべきことは、その先頭に立つことだ。そのうえで、原発の地元も都会も対等な立場で参加できる国民投票で、原発をやめるかどうかを決めるのが筋だと思う。それが、危険な原発を地方に押し付けた都会の、とくに電力の最大消費地たる東京の、「責任」の取り方ではないだろうか。
都知事選で「原発ゼロ」を謳う候補者には、少なくとも原発の地元とどう向き合っていくのかについて(使用済み核燃料の処分をどうするのかを含めて)、今からでも具体策を示してほしい。「原発ゼロ」を争点にするために求めたい最低限の条件である。
「脱原発」は地方首長選のテーマになり得るのか? については、やはり「脱原発」を掲げて当選した保坂展人・世田谷区長へのインタビューもぜひお読みください。原発問題への関心が一時期よりも低くなりつつある今、今回の都知事選が、少しでも多くの人たちが、再度原発とその周辺にある問題(原発立地地域の今後も含め)に目を向ける機会になればと思います。
脱原発横並びで、争点は「景気対策」っていうか「成長戦略」に移るんじゃないかな。「雇用・福祉」っていう見方もあるけれど、景気が後退して雇用と福祉だけが良くなるってことはあり得ないわけだから、少なくとも景気が悪くならないような、戦略がないとダメ。それがあって次に「雇用・福祉」。
脱原発ってどう考えても東京一か所だけでは解決できない問題であり、地方首長選のテーマにはふさわしく無いですね。
各都道府県は平等であり、東京が福島に「原発を無くせ」と命令できるわけではないのですから地方自治体の出番はないですね。
それを争点としようとすること自体が明確な過ちなのです。