1987年からニューヨークで活動しているジャーナリスト・鈴木ひとみさん。日本国憲法制定にかかわったベアテ・シロタ・ゴードンさんを師と仰ぎ、数多くの著名人との交流をもつ鈴木さんが、注目のアメリカ大統領選挙と就任までをめぐる動きについて、短期連載でレポートしてくれます。
*タイトルの写真は、紐育(ニューヨーク)に於ける東洋と西洋の出会いの名所、ブルックリン植物園内の日本庭園。昨年から今年6月まで100周年記念祭を開催(2016年3月30日撮影)。戦前、戦後、二度の放火を経て、紐育っ子達と収容所を出た日系人達が共に再建に尽力した、北米最古の公共施設。
第22回
気をつけよう、甘い言葉と暗い道
1995年(平成7年)1月17日に発生、6434人が亡くなり、3人が行方不明となった阪神淡路大震災の記念日に、22年前を振りつつ、黙とう、合掌する。
親が転勤族だったため、関西で幼少時を過ごした私の周りにも、一家全滅となった友人がいる。紐育(ニューヨーク)と東京間の飛行機で隣り合わせになった被災者達から、「あの日」の話を今でも聞く。
温暖化が進む地球で、自然災害が多々ある日本で、考える。阪神淡路で、そして母方先祖の出身地、東日本で起こった大地震から得られる教訓は何なのか、と。
困っている人を放置できない。
見て見ぬふりができない。
今の自分にできることを行動に移したい。
いわゆる日本人論、として、日本人は集団主義、欧米人は個人主義、との見解がある。
欧米人の間でも、日本は集団主義、との見識が根強い。
日本は世界で最も集団主義的な国だ。
米国は世界で最も個人主義的な国だ。
そんな通説は誤り、とする本を読んだ。
『「集団主義」という錯覚 ― 日本人論の思い違いとその由来』(高野陽太郎著 新曜社 2008年刊)※参考サイトはこちら。
そんな意味では、「どうも日本人が使う『個人主義』は、困っている人を放置してそれで良しとする『selfish(利己的)』に意味合いが近いように感じられます」とする、斉藤ウィリアム浩幸さんの記事も面白い。(日経産業新聞 2015年4月3日付)
限られた字数で見たまま、聞いたままに物事を伝える職として、自分なりに解釈することの危険性と脆弱性。考えされられる。
華やぐ新年に、日本を訪問中の米国人達に出会った。
中学時代からの大切な師匠、ピアニストの山下洋輔さんの湘南公演。休憩時間、長蛇の列の女子トイレの前で、たじろぐ外国人の女性二人組。声を掛け、雑談するうちに、アフリカ系の二人は米南部の出身で、公民権運動が米国内に吹き荒れた歴史を熟知する60歳代、と知った。
もちろん、話題は「彼」の話になる。
次期米大統領。
小説「ハリー・ポッター」シリーズに登場する架空の魔法使いヴォルデモート同様、次期大統領の名前を決して口にしない人々が、英語圏にいる。
くわばらくわばら。滅相もない。口にしたくもない。だって、彼の名前は巷に溢れているじゃないの、というわけだ。
「あたし達、しばらくは帰らないわよ。まあ、今年いっぱいは様子見だわ」と一人が言うと、もう一人が大きくうなずく。
「ここ(日本)にいたほうが、変に差別されない感じ。なんだか、(偏見が)肌にチクチクこないのよ」
「日本でも、彼の名がいつも聞こえてくるのは耳障りだけれど、こういう音楽が聞けるのならば、今は帰る必要がないかもね」とも。
順番を待つうち、一人が聞いてきた。
「あなたはどうするの?」
そのうち、紐育に戻りますよ、出稼ぎ仕事をしなければ食べていけないので、と私。
二人はうなずく。そして、
「じゃあ、国に戻ったら、バスに一緒に乗りましょうね」と返された。
これは、黒人と白人が南部のバスや電車の中で一緒に座れなかった、人種差別条例撤廃を求めた60年代の公民権運動に絡めて、の話。そこで、逆行しつつある時代を皮肉り、
「もちろん、(黒人用の)後部席でしょ」
と返したら、大笑いされた。
「うん、それそれ!なんだか今夜は、本当にうちに帰れたような気分ね」
成人式を伝える祖国のテレビで、「(ツイッターの使いっぷりなど、次期大統領に)親近感を覚える」と言った振袖姿の20歳女性を見た。
様々な話を聞き、読むにつけ、日本人は判官贔屓なのだろうか、と考える。また、高度成長期の60年代から、90年代初めのバブル崩壊までの海外でエコノミック・アニマルの評判を高めていた日本人は、名誉白人扱いを受けたために、自分がマイノリティであることを忘れ、白人気取りだった、という様々な体験を思い出す。
前途多難の幕開け。
新年早々、フィナンシャル・タイムズのマーチン・ウルフ氏は「彼」を「無知で好戦的な人物」と呼んだ。
「世界で最も強大な権限を持つ政治家が、自分の発言が真実かどうかにほとんど関心を持っていないことが、どんな影響をもたらすかは知る由もない。わかっているのは世界が危険になり、我々はそこで生きていかなければならないということだけだ」とも。(日経ネット版 2017年1月8日付)
気をつけよう、甘い言葉と暗い道。
懸念と不安を訴える人達の話が、寒気と共に身にしみる。そんな時、料理研究家の土井善晴さんの言葉に出会った。
「自分を信じる。自分の目で見ること」
(『食べる私』平松洋子著 文藝春秋 2016年刊 対談集)
今年の座右の銘が見つかった。
湘南、漆黒の海のともしび(2017年1月7日 撮影:鈴木ひとみ)
1月20日、「彼」がいよいよアメリカ大統領に就任します。真実が意味をなさない政治の時代、これからどうなっていくのでしょうか。日本で暮らすアメリカ人の友人、そしてアメリカに住む日本人の友人などが、普段は政治の話などしないのに、それぞれに不安を口にするのを聞きながら、同じ時代を生きる同士、何ができるのだろうと考えました。両方を行き来するひとみさんだからこそ、見えるものがあるのではないでしょうか。
就任式の前夜。1980年秋の紐育で出会った大切な師匠の一人、ジェラルド・カーティス・コロンビア大学名誉教授が、昨年11月18日、上智大学で語った「怒り」の話を読み返しています。テレビとプリント・メディアの報道ぶりと、その両極化、は日米同時現象、と感じるゆえに。http://globe.asahi.com/worldoutlook/2016120200020.html
米国が先進国だったのは、第二次世界大戦まで。
結局、大統領制を採用している米国は後進国なのだ。
戦前の貯金を食いつぶして、やっと転落すべき時が来たということ。
北米に関しては、これからはカナダの時代だ。
ニューヨークもカリフォルニアもカナダに移籍するだろう。