1987年からニューヨークで活動しているジャーナリスト・鈴木ひとみさん。日本国憲法制定にかかわったベアテ・シロタ・ゴードンさんを師と仰ぎ、数多くの著名人との交流をもつ鈴木さんが、注目のアメリカ大統領選挙をめぐる動きについて、短期連載でレポートしてくれます。
*タイトルの写真は、紐育(ニューヨーク)に於ける東洋と西洋の出会いの名所、ブルックリン植物園内の日本庭園。昨年から今年6月まで100周年記念祭を開催(2016年3月30日撮影)。戦前、戦後、二度の放火を経て、紐育っ子達と収容所を出た日系人達が共に再建に尽力した、北米最古の公共施設。
第18回
「女は世界の奴隷か!」
米の首都ワシントン、10月31日の夕方。オバマ大統領夫妻がハロウィン・パーティを主催、地元の小学校15校の子ども達や、兵士の家族など約4000人でにぎわう招待客の列を横目に、ホワイトハウスの柵の前にいた。
奴隷の子孫として知られるミシェル・オバマ大統領夫人が、去る7月25日、フィラデルフィアの民主党党大会で行った演説を思い出していた。
「私は毎朝、奴隷が作った(ホワイト)ハウスで起きています」
米大統領選の投票日、11月8日まであとわずか。ジョン・レノン、1972年の曲「女は世界の奴隷か!」(原題:ウーマン・イズ・ア・ニガー・オブ・ザ・ワールド)の一節が脳裏をよぎる。女性解放、フェミニズム運動真っ盛りの70年代、女性を賛美した歌だ。
「私達は毎日、彼女をTVで侮辱する。
そして、なぜ彼女はガッツも自信もないのか、と不思議がる」
「彼女に、そんなに切れ者でなくてもいいんだよ、と言いながら、なんて愚か者なんだろう、とばかにする。
女は世界の黒人だ」
この「黒人」、英語の歌詞と原題は「ニガー」。それを日本題で「奴隷」とは名訳だが、手元の「記者ハンドブック第13版 新聞用字用語集」によると、クロンボ、黒んぼ、ニガーは差別用語、不快用語。ゆえに「黒人」とすること、とある。
英語でNワード、と直接な表現を避けるこのタブー言葉、8年前、当時のオバマ上院議員が米初のアフリカ系大統領となったのを好ましく思わない人達が、侮蔑の意味であからさまに使っていたのを思い出す。
それが「バーサー(birther)」という、オバマ大統領はハワイではなくケニア生まれ、米国生まれでなければ大統領になれない、ゆえに彼は出生地詐称で大統領の資格なし、直ちに辞任を…との運動になった。5年前、その旗頭がトランプ候補だった。
紐育(ニューヨーク)から列車で南に3時間余り、ワシントンには映画「風と共に去りぬ」で垣間見ることのできる南部の世界がある。紐育出身で黒人の友達が1960年代に初めてワシントンに行った時、彼の父親が語ったという話を教えてくれた。
「紐育は北部。ワシントンは南部だ。南部では、北部のように、黒人と白人が一緒に話すことはない。黒は黒、白は白、と分かれている。だから、気をつけるんだよ」
60年代の公民権運動を経て、21世紀、オバマ大統領を生んだ合衆国。「8年前、この国の黒人達は自分達の代表をホワイトハウスに送り込むことができた。我々の先祖は白人に拉致され、自らの意思ではなく、無理やり連行された国で奴隷となった。解放された今も人種差別の標的、との複雑な背景があるからこそ、ブラック・プライド、黒人であることを心底誇りにできる」と、首都ワシントン出身、黒人の友人弁護士は嬉しそうに語る。
そんな国で、初の黒人大統領夫妻が、マイケル・ジャクソンのヒット曲「スリラー」に合わせて踊り、キャンディを配り、ハロウィン・パーティを楽しむ。大統領の父はケニア出身の黒人、母は米中西部カンサス州出身の白人。大統領夫人の先祖の一人は、18世紀の南部ジョージア州にいたアイルランド出身の白人、奴隷の所有者だった。これこそが、ひとつの革命。今年で建国240年を迎えた米国の歴史の反映だ。
今回の選挙戦で、忌憚のない意見を語る人のほとんどが民主党支持だ。共和党の支持者から話を聞こうとすると、表情を崩さず、本音ではなく建前で言葉少なく語る。その姿に、自分は有色人種で米国市民ではない、と自意識過剰的な状況になることが多々ある。
ワシントンのバスで隣に座った70代の白人女性は、3代めの共和党員、と言う。
「米国は移民を多く受け入れすぎよ。彼(トランプ候補)が言う通り、米国を再び偉大な国にするためには、移民を制限するべき。多文化主義も良くないわね。この国に住むのなら、英語をきちんと話せて、米国の文化に従うべき。移民の祖国の文化を尊重する、という考え方はリベラル過ぎ、間違っているわ」
すると、すぐ後ろの席で60代の黒人女性が声を上げた。「差別主義者が大手を振る世の中だわ。彼女(クリントン候補)がもしも男だったら、再燃した電子メール私用問題で、こんなに騒がれることはない。女に対する差別よ」
米国は革命の国だ。変化、改革を好む若い国。何でもありの豊かな国。振り子が右に左に揺れ、真ん中では止まらない国でもある。
44年前に日本で初めて聞いたジョン・レノンの曲、その歌詞を米国で噛みしめると、なんだか痛い現実を目の前に突きつけられた気分になる。これは予言だったのか。それとも、状況は全く変わっていないのか。
差別、侮蔑、区別って、一体何なんだろう。誰に対するものなのか。人はなぜ分け隔てなく、同じ立場、平等な態度で話し合えないのか。男と女の関係で、女は今も奴隷なのだろうか。
史上最悪の選挙戦、最も醜悪な闘い、と言われた今回の大統領選から、学ばなければならないものは、たくさんある。
米合衆国は、私にとって巨大な象だ。この象と何年つきあっても、その大きな身体をいくら撫ぜても、分かったふりは出来ない。
米国に不透明で重苦しい空気が流れている、一触即発的な怒りと不満がある、と緊張感を持つ人々が言う現況は、まもなく新しい大統領が生まれることで変わるのだろうか。
11月1日現在、米ワシントン・ポスト紙とABCテレビの調査によれば、トランプ候補の支持率は46%、クリントン候補は45%。1%の差で、文字通りデッドヒートだ。
そして、同日付の米USAトゥデイ紙は、10人中6人の米国人が、今回の選挙に対し「ヘトヘトに疲れ果てている」(ピュー研究センター調べ)と伝える。もううんざり、どちらの候補も嫌、だから棄権、の流れが心配される。
今、紐育でも、ワシントンでも、週末や休暇を利用し故郷に戻り、一票でも多くの人々に投票を、と選挙活動に熱心な人達がいる。
それは、ゴア民主党候補が、537票差でブッシュ共和党候補に負けた、2000年の大統領選の例があるから。
つまり、一票一票が大切。弱肉強食、自己主張の世界で、自分の声を、意見を一票に託す。それが民主主義、と信じているからだ。
ワシントンのホワイトハウス前、オバマ大統領夫妻のハロウィン・パーティに、両親と一緒に向かう地元小学校の1年生。(2016年10月31日 撮影:鈴木ひとみ)
このコラムの第4回で、鈴木さんが書かれていた一節が、ずっと心にひっかかっています。〈合衆国という一つの大きなワイン樽がひっくり返され、底にある「澱(おり)」が外に出され、良くも悪くも全てが露呈した印象がある。そして、その澱の大きな部分、根っこにあるのは、人種差別、人種侮蔑だ、と感じる〉
景気や治安が良いときには、表面上は見えていなかった澱に気づいて、ショック状態にあるのは、日本でも同じような気がします。澱が露出したワイン樽をこれからどうするか、むしろいまがひとつのチャンスにできるはずだと信じたいです。
クリントン候補がガラスの天井を割って登場するという演出を、既にオバマが割っているのにテント、揶揄する対談があったが、何を勘違いしているのだろうと感じた。黒人差別の方が女性差別よりキツイということ。
あからさまな人種差別や女性差別を公言する人たちに恐怖を感じる。人類は共生の方向を選んできたし、その道しか持続可能性がないと思う。夢想家と笑われても理想を求めたいと思う。