ひとみの紐育(ニューヨーク)日記

1987年からニューヨークで活動しているジャーナリスト・鈴木ひとみさん。日本国憲法制定にかかわったベアテ・シロタ・ゴードンさんを師と仰ぎ、数多くの著名人との交流をもつ鈴木さんが、注目のアメリカ大統領選挙をめぐる動きについて、短期連載でレポートしてくれます。

*タイトルの写真は、紐育(ニューヨーク)に於ける東洋と西洋の出会いの名所、ブルックリン植物園内の日本庭園。昨年から今年6月まで100周年記念祭を開催(2016年3月30日撮影)。戦前、戦後、二度の放火を経て、紐育っ子達と収容所を出た日系人達が共に再建に尽力した、北米最古の公共施設。

第16回

大統領選の勝者は、ミシェル・オバマ夫人?

 学校時代、電車通学が嫌でたまらなかった。通勤客で満員の車内に制服姿で立っていると、いつも決まったように…。
 大学時代のバイト先で、ボスと仕事の打ち合わせをしていた。気がつくとオフィスには私達二人だけ。いきなりキスされそうになり、押しのけて、慌てて逃げ出した。次の日から休み、数日後、バイトを辞める、と電話で伝えるのがやっとだった。
 勤務先の上司と出張に行った。出張先のホテルに戻り、一緒にエレベーターに乗り、二人になった途端、後ろから羽交い締めにされ、胸元をまさぐられた。慌てて近くの階で下り、部屋に駆け戻った。翌日、何事もなかったような顔で、ホテルをチェックアウトする上司。思い余って人事部に相談したが、作り話、と信じてもらえなかった。
 これは日本だけの話ではない。
 共和党トランプ候補の女性蔑視、セクハラ疑惑に業を煮やした米国の女達が立ち上がった。性的暴行などの自己体験、自分史をソーシャルメディアで告白、分かち合うことで、連帯を呼びかける活動に発展している。
 前回お伝えした同候補の女性蔑視発言の後、彼に性的な嫌がらせ、わいせつ行為をされた、という女性達が次々と現れ、現時点でその数は9人。連日伝えられるセクハラ疑惑は彼の支持率低迷につながり、民主党クリントン候補が優勢、とされる。
 だが、米CNNが17日(米時間)に報じた、調査機関ORCの最新世論調査によれば、今回の大統領選で重要な砦とされるノースキャロライナ州、オハイオ州、ネバダ州で、両候補は拮抗し、接戦状態を続けている。
 価値観も倫理観も全てひっくり返ってしまった。何がなんだか、わからない。米国の衰退ぶり、品格の喪失を露呈させた醜い闘い、などと称される今回の大統領選は、投票日まであと3週間弱。この時点に来て、様々な不満と怒りを抱いた人々の憤り大会、それも、男と女の闘いと化した感がある。
 去る12日には、紐育(ニューヨーク)にあるトランプ候補所有のホテル、タワーなどの建物前で、もう黙ってはいられない、と全米女性機構(NOW)が率先し、老いも若きも女性達がデモを繰り広げた。
 そして翌13日昼。ミシェル・オバマ米大統領夫人が、遂に怒りの声を上げた。
 「大統領候補ともあろう人が、女性に性的暴行をしたことを、さも自慢げに話すなんて」
 ニューハンプシャー州でのクリントン候補の応援演説だった。
 「信じられない。許せない。なかったこと、と見逃すことはできません」
 怒りの余り、時には声を震わせ、言葉を詰まらせるファースト・レディ。聞いていて鳥肌が立ち、魂を揺すぶられるほど彼女の演説が傑作だったのは、ハリー・ポッターに出てくる恐ろしいヴォルデモート卿と同じく、トランプ候補の名を決して呼ばないこと。そして、彼の候補とは違い、罵り言葉の数々を決して使わず、品格を保ち、憤りを正直に吐露したことだった。
 この演説のスピーチライターは、サラ・ハーウィッツ(39)という女性。クリントン候補が、2008年に大統領選出馬を図り、民主党予備選でオバマ候補(当時)に負けた時、撤退演説を書いている。その2008年の同党大会以来、ミシェル夫人のスピーチを書き続ける。ワシントン・ポスト紙によれば、「夫人は、自分がこういう人間だ、とよく分かっていて、言いたいことを明確に理解しているから、スピーチライターとして、やりやすい」という。
 クリントン候補はホワイト・フェミニズム、白人のための男女同権主義者と言われる一方、ミシェル夫人はブラック・フェミニズム、アフリカ系米国人をはじめとするマイノリティ、有色人種のための男女同権主義者、との説もある。
 オバマ大統領就任当時、その歯に衣着せぬ発言から、「おっかないおばちゃん」とまで一部で囁かれたミシェル夫人。「奴隷によって建てられた」と、奴隷を先祖に持つ彼女自らが公言したホワイトハウスに住んで8年。感動の演説の結果、「ミシェル2020」(ミシェル夫人を2020年に大統領に)とのTシャツまで生まれたほどだ。
 いがみ合い、憎しみ合いと嘘、偽りで国が分断され、どちらの候補が大統領になっても、傷を癒すために、たくさんの時間と労力を要するであろう選挙戦。もしかして、この闘いの勝者は、人としての尊厳を保つことを訴えた、ミシェル・オバマ夫人ではないだろうか。任期満了前に、大統領夫妻の人気は上昇中。つまり、それだけ米の有権者達は、大統領選にうんざりしている、というわけだ。

ミシェル・オバマ夫人が表紙を飾る、ニューヨーク・タイムズ紙日曜版マガジン(10月23日付)の一面広告(同紙10月16日付の広告から 撮影:鈴木ひとみ)。

 

  

※コメントは承認制です。
第16回 大統領選の勝者は、ミシェル・オバマ夫人?」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

    問題となっているトランプ氏の言動について「ロッカールームの軽口では済まされない」「政治ではなく、人間の品性の問題」と痛烈な批判をしたミシェル・オバマ氏。その演説に「その通り!」と胸のすく思いをした人も多かったのではないでしょうか。よくよく考えれば、至極当然の批判なのですが、これまでの数々のトランプ氏の問題発言が、このようにきちんと批判されてこなかったことが驚きです。ちなみに、トランプ氏の「問題発言」の内容については、想田和弘さんがコラムで詳しく取り上げています。こちらもあわせてご覧ください。

  2. 樋口 隆史 より:

    わたしの場合は、まったく女性に相手にされなかったり騙されたりしてきたので、女性恐怖症です。なのでトランプさんのサカりっぷりを見るとエイリアンに見えます。とはいえ、立派で社会的に成功する男(?)はバイタリティに溢れているから、女性を消耗品のように次から次へと・・・・・・なんて価値観がまだまだ強いんでしょうね。また、それに共感している人たちも。結果、社会で女性がスポイルされてしまう傾向があるように感じています。そんなことの無い社会がやってくることを望んでいます。

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鈴木ひとみ

鈴木ひとみ
(すずき・ひとみ)
: 1957年札幌生まれ。学習院女子中高等科、学習院大学を経て、80年NYに留学。帰国後、東京の英字紙記者に。87年よりNYで活動。93年から共同通信より文化記事を配信、現在に至る。米発行の外国人登録証と日本のパスポートでNYと東京を往還している。著書『紐育 ニューヨーク!』(集英社新書)。
(Photo: Howard Brenner)

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