1987年からニューヨークで活動しているジャーナリスト・鈴木ひとみさん。日本国憲法制定にかかわったベアテ・シロタ・ゴードンさんを師と仰ぎ、数多くの著名人との交流をもつ鈴木さんが、注目のアメリカ大統領選挙をめぐる動きについて、短期連載でレポートしてくれます。
*タイトルの写真は、紐育(ニューヨーク)に於ける東洋と西洋の出会いの名所、ブルックリン植物園内の日本庭園。昨年から今年6月まで100周年記念祭を開催(2016年3月30日撮影)。戦前、戦後、二度の放火を経て、紐育っ子達と収容所を出た日系人達が共に再建に尽力した、北米最古の公共施設。
第13回
ディベートはパフォーマンス・アート
かの首相が海外出張から帰国直後、臨時国会の所信表明演説の途中で自ら拍手。その部下たる自民党議員達は、スタンディング・オベーションで追従した。
「北朝鮮か中国共産党みたいだ」と野党、小沢一郎・生活の党共同代表は、これを批判。
その直後、同9月26日。紐育(ニューヨーク)の郊外、比較的裕福な、中産階級の中、上層部の白人子女が多く通う、ロングアイランド・ハムステッドのホフストラ大学で、米大統領選の第1回討論会があった。
民主党のクリントン候補と共和党のトランプ候補のディベート対決、第1ラウンド。
調査会社ニールセンによれば、米国内の視聴者数は、史上最高の約8140万人に達した、という(翌27日午後発表、暫定数)。
両者は、税金、人種問題、テロ、経済問題や安全保障政策をめぐり激論を闘わせた。だが互いに主張を繰り返し、相手を攻撃するのみ。話が噛み合わず、お手合わせで終わった感が強い。
「トランプが押し切った。クリントンはエリート、特権階級そのものの、上から目線の冷淡な態度で、嘘ばかりだ。マスコミはその片棒をかついでいる」と主張する共和党の男性支持者。
「クリントンは、きちんと討論の準備をしたプロの政治家。思いつきで言葉を返し、話をさえぎってばかりいたトランプとは、土俵が全く違う」と言う、民主党の女性支持者。
日本とアメリカ合衆国。東京と紐育。国や街こそ違え、政治と言葉の受け取り方、支持者ではないか否かで、見解が変わる。
王様は裸だ、と表立ってはっきり表現できない自国の自粛世界。両国共に、発言の自由は憲法で保証されている。
だが、「(日本)国民は理不尽に忍耐を押し付けられてはいないでしょうか」(毎日新聞2015年2月26日付)と、ドナルド・キーン先生がおっしゃる通りの世の中。それを、あけっぴろげで自由奔放なアメリカ人達に説明するのは難しい、もしくは無理だ。
今回のディベート初回は、保守とリベラル、両候補の姿勢の極端な違いを見せつけた。そして、男と女の間にある大きな溝も。
両候補の支持者間の分断ぶりは、奴隷制度存続を主張する米南部11州が米連合国を作り、米合衆国に踏みとどまった北部23州を相手に戦争となった、南北戦争(1861—65年)を彷彿とさせる。
生まれも育ちも紐育市のトランプ候補。中西部イリノイ州シカゴで生まれ、南部アーカンソー州州知事夫人、米大統領夫人を経て、紐育州上院議員を務めたクリントン候補。紐育決戦、と言われるゆえんだが、多文化共生の街、紐育っ子達にも、もちろん人種差別主義者がいる。
それを思い出したのは、「人種問題について話そう」と、祖先がジャマイカ、英国、インド出身のマイノリティ、米NBC−TVの司会者レスター・ホルトが両候補に尋ねた時の、トランプ候補の気まずい雰囲気だ。
オバマ大統領は米国生まれではない、だから大統領の資格なし、とする人種差別発言で頭角を現した同候補が、クリントン候補に対し、「あなたの大統領」と言葉を差し向け、オバマ大統領は「自分の大統領ではない」と暗に示したこと。その無礼さ、差別、侮蔑ぶり。多民族国家の米ではまだしも、ほぼ単一民族の日本では、なかなか説明しきれない難しさがある。
冷淡で、感情的ではない、とされるクリントン候補は、今回、討論の初めから、その評判を逆手に取り、自虐的なジョークで応じた。
とかく感情論に走るトランプ候補を、冷静な態度と理路整然たる言葉で応酬を繰り返し、崖っぷちに追い詰める。
そのやり取りからは、わがままな実業家二世、お坊ちゃま系おっさんの駄々こねを、呆れつつも客観的にさばく大人のおばちゃん、との印象すら受けた。
討論会の翌朝。だから女は嫌いだ、萎縮する、男はつらいよ、とばかりクリントン候補にへこまされたトランプ候補に同情する、親しみが湧いた、との意見が男性達の間にある。男尊女卑、女性蔑視の傾向が強まるばかりの日本はまだしも、米西部開拓時代、勇ましさを尊ばれた女性ガンマン、カラミティ・ジェーンを生んだ国で?!
「ドナルド(・トランプ)は、このディベートに際する、私の準備ぶりを批判しました。ええ、もちろん、私は準備しましたとも。そして、それと共に、私が何の準備をしたか、ご存知かしら? 私は、大統領になる準備が出来ています」。
1970年代、米のフェミニズムに触発された私にとって、このクリントン候補の発言は、第1回討論会のベスト・コメントに思えた。
1980年秋、留学生として米国、紐育に初めて住んだ時、当時の民主党カーター大統領と、共和党レーガン候補の大統領選討論会をTV生中継で初めて見た。この時の8060万人が過去最高の視聴率で、今回、その記録が破られたわけだが、当時、アメリカ人達が如何にディベートを真剣に受け止めているか、TV画面に映る候補者のイメージと、有権者の耳に届くキャッチーな台詞がいかに大切か、身をもって知った。
そして1988年、当時、レーガン大統領の副大統領だった共和党ブッシュ(父)候補と、民主党デュカキス候補のディベート。特派員として南部バージニアの討論会現場を取材時、「妻がレイプされ、殺害されたらどうするか?」との司会者の質問に、「それでも、犯人の死刑には反対だ」と答えたデュカキス候補。
そのあまりにも感情的ではない、無表情の反応に対して、有権者達は「冷酷な候補」とし、一瞬にして支持が離れていく空気があった。否定的でダーティーな選挙キャンペーンの笛の音に踊らされる、人の心の脆さを感じた。
今までマッチョなイメージを売り物にしたトランプ候補が、鼻をすすり、何度もコップの水に口を付ける。討論途中、そして終了後のソーシャルメディアでは、彼の健康問題を懸念する支持者の意見も見られた。翌朝、TVの電話インタビューで、彼は使わされたマイクに「欠陥があった」とした。
「言葉を使い、お互いに異なる見解を、事実や見解に基づき、正確に伝え合い、自分の意見や意図を主張することにより、討論する」と、1988年、ブッシュ対デュカキス討論会で司会、米CBS-TVのベテラン(当時)、ダン・ラザー氏が述べたディベートの定義。
米ケーブルTV局、CNNはディベート視聴者の62%がクリントン候補の勝利、27%がトランプ候補、とする。だが、米タイム誌は、クリントン候補が42%、トランプ候補が58%、と。そして、マイケル・ムーア映画監督も「トランプ勝利」と。
選挙は水もの、数字は当てにならず。候補者2人のどちらも嫌、第三候補に投票するか棄権する、との有権者の声も根強い。どっちに転ぶか、11月8日の投票日、最後の最後まで結論は皆目分からない。ありとあらゆる常識を超えてしまったのが、今回の大統領選の特徴だ。
ボクシング、というよりもアメリカン・フットボールの頂点、スーパーボウルの闘いの如き、強烈さと期待に満ちた、国を挙げてのお祭りは、あと2回、10月9日と19日に開催される。
「選挙人名簿に名前を登録しなければ投票出来ないのが、米の民主主義。だから日曜返上で、登録を促しているんだ」と、クリントン候補支持者、30代男性の証券トレーダー。紐育のグリニッジ・ビレッジで。(2016年9月25日 撮影:鈴木ひとみ)
まさに「国をあげたお祭り」。しかし、そこには一人ひとりの生活がかかっています。私たちが政治に求めているのは、胸のすくような出来のよいパフォーマンスなのか、本当にその中身を見ようとしているのか…。ちょっとした言葉のニュアンス、表情、予期せぬハプニングによって、がらりと支持率が変わってしまうことの危うさを、今回はとくに感じます。
ディベート、みてました。ヒラリーは政治家らしく「正しいこと」をいう。トランプは事業家らしく金儲けの話をする。大統領を選ぶと考えたら当然ヒラリーに分があるだろうけど、マイケル・ムーアのゆうとおり、これでトランプを支持するひとは増えたかもしれない。確実なことは、ディベートでトランプは支持者を失っていない。支持者はトランプの駄々っ子ぶり、女性は飾り物主観、白人至上主義を支持しているのだもの。
それに対してヒラリーは、バーニーの支持者たちに訴えかけ、取り込むことができただろうか? できなかったとおもう。
正直、ヒラリーに投票しなくては、と思ってる人は「トランプを勝たせるわけにはいかない」から、という人も多い。私もそう思ってました。
だけどディベートを見て、ヒラリーに票が集まらなくてトランプが大統領になったとしても、それはこの国の人たちがトランプみたいのを支持する人が多い、ということ。それを変えることはできないじゃないですか。
それならと、どちらかの勝ちに肩入れするよりも、自分が心から、この人に大統領になってほしいとおもう候補に投票する決意がますます固まったディベートでした。