ひとみの紐育(ニューヨーク)日記

1987年からニューヨークで活動しているジャーナリスト・鈴木ひとみさん。日本国憲法制定にかかわったベアテ・シロタ・ゴードンさんを師と仰ぎ、数多くの著名人との交流をもつ鈴木さんが、注目のアメリカ大統領選挙をめぐる動きについて、短期連載でレポートしてくれます。

*タイトルの写真は、紐育(ニューヨーク)に於ける東洋と西洋の出会いの名所、ブルックリン植物園内の日本庭園。昨年から今年6月まで100周年記念祭を開催(2016年3月30日撮影)。戦前、戦後、二度の放火を経て、紐育っ子達と収容所を出た日系人達が共に再建に尽力した、北米最古の公共施設。

第9回

うそ、でたらめ、まやかしの世界

 大人のうそ。

 学歴も地位も責任もある社会人の口から、言い訳と共に聞かされたこの言葉に衝撃を受けたのは、何年か前だった。

 今、私達の世界は、東も西も、うそだらけだ。

 「うそつきは泥棒の始まり」
 「うその上塗り」
 「うそ八百」

 物心ついた頃から、耳が痛くなるほど、親に諭されて育った言葉と倫理観。

 昭和から平成に、20世紀から21世紀へと時が移ると共に、そんな倫理観や価値観、道徳の世界が、いつのまにか私の周りで音もなく崩れていた。

 日本と米国。二つの国を行き来するうちに、「うそも方便」な私の国とは違い、ピューリタン、清教徒達が建国した米国では、時と場合にもよるが、日本的な感覚の「うそ」がまかり通らない場合が多いのを知った。

 米国の子ども達は、幼い頃から「ジョージ・ワシントンと桜の木」の話を聞かされて育つ。初代米大統領ワシントンが幼少時、桜の木を切ったのを父親に話すと、叱られるどころか、その正直さを褒められた、という逸話だ。

 それと同時に、うそを繰り返したため、鼻が伸びてしまった「ピノキオ」、繰り返しうそをつき、人をだまそうとしたら、最後には誰にも信用されなくなった「狼と少年」も、親や先生が子どもによく読んで聞かせる物語だ。

 2016年、夏の終わり。

 日米同じように、太陽の下でセミが、月の下で鈴虫が、時は今だ、明日は知れぬぞ、とばかりに鳴き声を上げる季節。今、両国が共有するのは、うそから生まれた、政治への不信感と虚無感ではないだろうか。

 11月8日の投票日まで、米大統領選の戦いもあと70日ちょっと。政治的な「うそ」のおかげで、日米共通の不信感と虚無感が、トランプ、クリントン両候補につきまとうのは、今始まった話ではない。

 民主党のクリントン候補は、米国務長官の時代に使用していた、私用のメールサーバーに関する疑惑を今も拭いきれない。彼女は、この公私混同問題に関し、うそをついているのではないか、もっと色々な隠し事をしているのではないか、というのだ。

 そして、共和党のトランプ候補のうそは、ありとあらゆるほどあり過ぎる。オバマ大統領はケニア生まれで、イスラム教徒だ、とか、2001年9月11日、米同時多発テロの際、何千人ものイスラム系住民達が事件現場からハドソン川を隔てた対岸の街、ニュージャージー州ニュージャージーシティで喜んでいる映像をテレビで見た、というでっち上げ。うそや疑惑の総合商社を完璧に超越した状態を憂うばかりだ。

 しかもトランプ候補の場合は、うそだけではなく、英語では「うそ」よりも汚く、一般社会では酒の席や内輪のくだけた場で使われる俗語、「でたらめ、ほら吹き、たわごと」の域にある。

 このトンデモ俗語、とてもじゃないけど、私にとっては口に出すのもはばかられるどころか、ここでは記せない英単語。ご興味がある御方は、どうぞご自由にご検索下さいまし。
 
 8月初め、インド出身のジャーナリストで、米CNNの番組ホストを務めるファリード・ザカリアが、ワシントン・ポストのコラムニストとして、この単語を使った論説を同紙に書いた。彼は怒りを言葉にしたのだろうが、このおぞましい単語が高級紙として知られる同紙ヘッドラインに掲載されても、一部で話題になったのみ。そんな、既成の常識ではあり得ない世界が、「トランプ現象」の泥沼化、もとい、ますます深刻化する反則技的泥レス(泥仕合い)状態を表している。
 
 そんな中、CBS−TVの元ニュースキャスターで、ベテラン・ジャーナリストのダン・ラザー(84)は、現時点の大統領選を評し「先が見えず、今まで体験したことがない状況で、これからもっと混沌化し、様々な波乱があるはずだ。乱気流に備えシートベルトを締めるべき」と語った。さすが、先見の明。

 去る8月15日、そのラザーの予言が早くも当たった。「日本の憲法は私達が書いた」とするジョー・バイデン米副大統領の発言だ。クリントン候補の応援で、トランプ候補に対する批判を並べた演説での一コマだったが、日本の核武装への容認発言を二転三転させるトランプ候補への揶揄、とみられる。米政府要員によるこの発言は異例だったが、失言も愛嬌の一つ、として知られるバイデン副大統領のこと、米国内ではあまり話題にならず。これもトンデモ発言だらけの「トランプ現象」から派生したもの、ではないだろうか。

 この世の中、うそ、でたらめ、ほら吹きがますます増殖中だ。そして、彼らが奏でる音に従う人達も。言葉と情報の氾濫で麻痺した感覚を研ぎ澄まし、いかに「まやかし」の世界を見抜くか。責任重大、とばかり、思わず大人のうそをつき、現実逃避をたくらむ自分を戒めつつも、あっという間に、またひとつの夏が終わろうとしている。

「紐育は世界の中心、この街には世界中の人がいる」と5番街59丁目、セントラル・パーク南東の角で、世界の国旗を売る男。
(2016年8月22日 撮影:鈴木ひとみ)

 

  

※コメントは承認制です。
第9回 うそ、でたらめ、まやかしの世界」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

    「うそをついてもごまかしても、話題になればいい、勝ちさえすればいい」そんな価値観が否定できないような雰囲気が広がっている気がします。「うそでもいいから見事にだましてほしい」。そんな現実から目をそらしたい気持ちもあるのでしょうか。「わるいことをしたら、おてんとうさまが見ているよ」という、いまはあまり聞かれなくなった言葉を思い出します。

  2. 鈴木ひとみ より:

    「『政治は平気でうそを言っていいらしい』となるのは、よくない。」と元衆院議長の河野洋平さん(8月25日付、毎日新聞夕刊)。「嘘をつく人たち、捏造する人たち、統計数値を操作する人たち、あったことを『ない』と言い、なかったことを『ある』と言う人たちは、彼らが今活用している当の媒体が「そこに書かれていることをやがて誰も信用しない媒体」になることをそんなにも望んでいるのでしょうか。」と内田樹さん(8月31日、ツイッター)。「嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれる」と幼い頃に言われたのを思い出しました。

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鈴木ひとみ

鈴木ひとみ
(すずき・ひとみ)
: 1957年札幌生まれ。学習院女子中高等科、学習院大学を経て、80年NYに留学。帰国後、東京の英字紙記者に。87年よりNYで活動。93年から共同通信より文化記事を配信、現在に至る。米発行の外国人登録証と日本のパスポートでNYと東京を往還している。著書『紐育 ニューヨーク!』(集英社新書)。
(Photo: Howard Brenner)

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