原発震災後の半難民生活

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 バツが悪くなるような光景に出くわしたのは、その日ばかりではありませんでした。

 次の日の午後、祖母の介護のために、ひとりのヘルパーさんがキッチンを使っていたときのことです。キッチンのすぐ隣りにある食卓には、母、義父、妻、K、そして私が席についていて、近くで買ってきた「ちんすこう」をかじっていました。祖母はといえば、ちょうど自室のベッドのなかで眠りこけている最中でした。

 どんな話のはずみからだったかはもう覚えていないのですが、母がとつぜん「沖縄のひとは自然を大切にしない」と切りだしたのです。私は思わず、キッチンのほうに目をやりました。

 母は英語で発言したのですが、それでも「OKINAWA」という発音は誰の耳にも留まるものですし、四方を米軍基地に取り囲まれているG村において、英語は決して未知の言語ではなかったからです。ヘルパーさんは黙々と祖母のために料理をつくっていました。

 私が目配せするのに気づいたのか気づかなかったのか、母は自説を披露することに夢中になっていました。

 どこに行っても、工事、工事のオンパレード。昨日まであそこにあると思っていた森が、今日は禿げ山にされていて、この土地にしかない木々がどんどん切り倒されていくでしょう? 二十年前、あなたを日本に置いて――と、ここで母は私を見ました――、ひとりでメキシコに留学していたころに目の当たりにした風景とそっくりなのよ。つまり、「第三世界」なのよね、ここは。みなさん、「自然を守ろう」という意識が概して低いんじゃないのかしら?

 すると、義父がはしゃいだように付け加えました。

 ――Yes, that’s right ! 沖縄でいちばん豊かな自然が残っているのは、どこか知ってるかい? ベース(米軍基地)の中さ!

 義父と母は、「ウァッハッハ!」と大笑いしました。彼ら二人にとって、義父の発言は「気のきいた冗談」として受け止められるべきものだったのでしょう。さもおかしそうに笑う二人の様子を眺めながら、私は黙るほかありませんでした。

 たしかこの時期は、あのベトナム戦争の頃に使用が禁止されたはずの枯葉剤の成分が、なぜか今になって沖縄県内の米軍基地の敷地からしみだしてきているというニュースが報道されていたはずです。そんな状況下で、義父が発した「ベースの中さ!」というコメントは、「気のきいた冗談」どころか、ブラック・ジョークにしか聞こえなかったのです。

 私が押し黙っているのに気づいて、義父はおどけたように肩をすくめてみせました。おそらく私と似たような気持ちだったのでしょうか、妻は妻で下をうつむきながら、Kのために「ちんすこう」のビニール袋を破っていました。

 私のなかで、昨夜からもやもやとしていた気分が少しずつ形をなしかけていました。たぶん、かつて「鬼畜」と名指されたアメリカも、それを呪文のように唱えていた日本も、長い年月のなかでほとんどその本質を変えぬまま、現在にいたっているのではないだろうか…… アメリカと日本は、意識するとしないとにかかわらず、寄ってたかって沖縄のことを食い物にしてきたのではないだろうか……

 でなければ、ひとりの沖縄県民が、家の仕事をしてくれているそのかたわらで、ほかならぬ沖縄の土地を独り占めにしてきた「ベース」の中にこそ「いちばん豊かな自然」が残っているなどとジョークを飛ばしたり、そんなジョークに笑い興じたりはできないはずなのです。

 不思議でしかたがなかったのは、自分の住む村を「(アメリカ軍の)戦争の実験場」と評したはずの母が、「ベースの中さ!」という趣味の悪い冗談に爆笑していることでした。

 なんという矛盾…… なんという居心地の悪さ…… 

 けれど、何よりも居たたまれない気分になったのは、そう自問する私自身がいま、この家の「キッチン」にではなく、「食卓」の側に陣取っているという事実そのものでした。その時の私には、私たち家族が座っている「こちら側」と、ヘルパーさんが家事にいそしんでいる「向こう側」との間に、ほとんど埋めることのできない溝が横たわっているように思えてならなかったのです。私は自分の位置どりが、いやでいやでたまりませんでした。

 これを読んでいる方のなかには、「大げさに考えすぎではないのか?」と感じるひともいるかもしれません。残念ながら、それはちがいます。

 次回以降、そのことについて語ることになるでしょう。

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4章:ゴールデン・ウィーク――沖縄にて その2「キチクベイエイ」」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

    『半難民生活』、久しぶりの更新となりました。原発震災後、妻と子を避難させた沖縄を久しぶりに訪れた著者。そこで突きつけられたのは、今もその地に色濃く残る〈戦争〉の姿でした。〈アメリカと日本は、寄ってたかって沖縄のことを食い物にしてきたのではないだろうか〉――著者の思いは、どこへ向かうのか。ご意見・ご感想も、ぜひお寄せください。

  2. 斗和 より:

    こちらの連載、楽しみにしているのですが、いつも読む度に涙がでます。登場する方々それぞれの色々な感情(戸惑いや葛藤、深い悲しみ、そして喜びも)が伝わってきて・・・
    3・11の後、何に一番気がついたかといえば、いかに自分が色々なことを知らなかったか、ということです。原発のことだけでなく、沖縄のことについても。心痛む現実や歴史にもっと目を向けていこうと思います。

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