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あなたのお母さんが怒りだす気持ちも分からないではないけれど、あそこまでプリプリすることだったのかしら…… ささやき声はそうつづけました。
おばあちゃんが多感な時期を過ごしていたのは、戦時中だったわけでしょ? その頃に何度も何度も聞かされていた「キチクベイエイ」という言葉が、ぽろりと今になって口を突いて出てきても、なんの不思議もないはずなのに。
「ねえ、聞いてるの?」
急に妻の声が太くなったので、私は「聞いてるさ」とひとこと返事しました。体の下でぶよぶよとたわむマットレスが寝苦しくて、くりかえし寝返りを打っていたのです。
もっとも妻は妻で、そんなことにはほとんどお構いなしに、夕食の時から澱のように溜めこんできた思いの丈を吐き出そうとしてか、ひきも切らずにしゃべりつづけるのでした。
あなたにはまだ話していなかったと思うけれど、二週間くらい前だったかしら、小さい頃に沖縄戦を経験したオジイたち、オバアたちの話を聴く会が、N市であってね。N市というのは、沖縄本島でも南のほうにあって、あの沖縄戦のなかでも激戦地のひとつだったらしいのね。その「お話し会」のオバアのひとりが、「キチクベイエイ」って聞くたびにゾッとするって、ぼそぼそとつぶやいていたのよ……
なんだか話が飛んできたな。私がそう言いかけるのを遮ろうとするかのように、妻の話は先へ、先へと展開していきました。
妻によると、ひとりのオバアが、ガマで体験したことを話してくれたというのです。とあるガマに何人かの親戚たちといっしょに身を潜めていたとき、そのオバアの心を捕えて離さなかったのは、「もうどこにも逃げ場はないんだ」という恐怖と絶望感でした。
海のほうからは、耳をつんざく砲弾や銃弾が、昼夜を問わず雨あられのように襲ってきます。「鬼畜米英」と教えこまれてきた本物のアメリカ軍の兵隊たちが、今にも目の前までやってこようとしているのです。
一方、ガマのなかでは、後から押しかけてきた日本兵たちが、楽な姿勢で休める場所を独り占めしています。いちばんえらい「ジョウカンドノ」が、ときおり思い出したように大声をはりあげながら、「生きて虜囚のはずかしめを受けず!」という戦陣訓を怒鳴りちらしていました。
まだ子どもだったオバアの目にも、どのように転んでも戦況は絶望的にしか見えませんでした。実際、例の「ジョウカンドノ」が眠りこけているすきに、ひとりの日本兵がこっそりオバアたちのところにやって来て、「だれか、服を分けてくれないか?」と哀願していた姿を、今でもよく覚えているということでした。この人はいざというとき、ひとりで逃げだそうとしているんだな…… オバアはそう直感したのだといいます。
――そのガマに身を潜めていたひとたちは、奇跡的に誰も死なずに済んだんだって。ただね、日本兵たちはいよいよ降伏を決断したとき、まだ年端もいかないオバアや、同じくらいの年ごろの子どもたちを一番先頭に立たせて、白旗をあげさせたんだって。たぶん、もしもアメリカ軍から発砲されたときのために、子どもたちを盾にするつもりだったのね……
一連の話を聞きながら、かつて沖縄戦に関して耳にした細切れのエピソードを私は思いだしていました。
ガマのなかで、絶望のどん底に打ち沈んだ母親たちが、赤ん坊を「鬼畜のアメリカーに捕り殺されるくらいなら!」と思い詰め、みずから石をとって、やわらかい頭を殴りつけて殺したという話……
最大の激戦地だった沖縄本島の南部では、敗戦から七〇年近い歳月が経ったいまでも、道路の舗装のために地面を掘り返すと、人骨が出てくるという話……
いまだに誰からも弔われることなく、道路の下や、ガマの底深くに埋められたままの死者たちの骨のことを想像するにつけ、私は暗澹たる気分に落ちこんでいきました。
もしかすると、「鬼畜米英」という言葉は、それを呪文のように唱えつづけていた日本人たちの心が、「鬼畜」と化していたことの証しだったのではないだろうか?……
そんな考えが不意に脳裏をかすめていくのでした。あたかもこれに共鳴するかのように、妻がぼそりと付け加えました。
この家のすぐおとなりに、いつも親切にしてくれるタケトミノオバア(仮名)という人がいるのね。このあいだ、村民会でいただいたお菓子をおすそ分けに行ったとき、ぽろりと沖縄戦の話をしてくれて。タケトミノオバア、こう言ってた。
――アメリカーのほうが、ヤマトゥーよりも、ずっとやさしかったさ。
いつまでたっても腹の底から寝苦しさが込みあげてくるようでした。私は息をひそめながら、天井の暗がりの一点を見つめていました。ますます勢いを増す雨音のなかで、庭のバナナの木々は飽きもせずにざわめいていました。
どこからともなく、ヤモリの鳴き声が降り注いできました。
『半難民生活』、久しぶりの更新となりました。原発震災後、妻と子を避難させた沖縄を久しぶりに訪れた著者。そこで突きつけられたのは、今もその地に色濃く残る〈戦争〉の姿でした。〈アメリカと日本は、寄ってたかって沖縄のことを食い物にしてきたのではないだろうか〉――著者の思いは、どこへ向かうのか。ご意見・ご感想も、ぜひお寄せください。
こちらの連載、楽しみにしているのですが、いつも読む度に涙がでます。登場する方々それぞれの色々な感情(戸惑いや葛藤、深い悲しみ、そして喜びも)が伝わってきて・・・
3・11の後、何に一番気がついたかといえば、いかに自分が色々なことを知らなかったか、ということです。原発のことだけでなく、沖縄のことについても。心痛む現実や歴史にもっと目を向けていこうと思います。