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気まずい夕食が終わってしばらくすると、雨が降りだしました。激しくなったり小降りになったりをくりかえす雨音を聞きながら、私はまんじりともしない気分でテレビルームのソファーに腰を沈めていました。庭に植えられたバナナの木々が、ときおり何かを思い出したかのようにざわめいていました。
畳のうえでウサギのトランプをいじっていたKが、急に顔をあげるなり、「オトーサン、シンケー・スイヂャック、やろうよ!」と私の膝のうえに飛び乗ってきました。
――「神経衰弱」って、トランプの?
――ミテイテよ。Kちゃん、ツヨイからね。オトモダチ、ぜーんぶ、まかしちゃったんだから!
Kは私の膝から飛び降りると、大切そうにカードを並べはじめました。めずらしく妻が笑顔になって、私に耳打ちしてきました。
――Kったら、カードの裏を見ながら、いつでも自分で並べていくわけ。だから、保育園でもほかの子たちに負けないの。
妻は笑いを噛み殺すように肩を揺さぶりました。それはまるで、夕食のときのバツの悪さを振るい落とそうとしているかのようでした。カーテンひとつ隔てた四畳半の隣室で、祖母がじょぼじょぼと簡易トイレに用を足しはじめました。妻はひとしきり笑うと、とんがったお腹を両手で大儀そうにさすりました。
――あのね、Kちゃん。この格好だと、オトーサン、遠くのカードまで手がのばせないんだけどな。
Kはいつしか、私の膝の上に陣取ってトランプを始めていたのです。私の訴えが聞こえたのか聞こえなかったのか、Kは黙々とカードをめくっていきます。そうやって同じ数字のカードが出てくるたびに、「ホラね、またアタッタでしょ?」と得意げにこちらの同意を求めるのです。イーイ、オトーサン? ミテイテよ。もっとモーット、アタッチャウからねッ!
こんなふうに執拗に「シンケー・スイヂャック」をくりかえした後で、Kはとつぜん大あくびをすると、私の胸に顔を埋めてきました。父親である私に似たのでしょうか、たっぷりとした黒髪の生え際には、ふたつのつむじが小さな渦を巻いていて、まだ乳臭さの抜けきらないKならではの香りが、そのつむじの辺りからほのかに漂ってくるのです。
――たぁちまちゅ、っていうんだって。
蛍光灯の電気を消しながら、妻が静かにつぶやきました。
――たぁちまちゅ?
――沖縄の言葉。つむじがふたつある人のこと。
「たぁちまちゅ」のご当人のKは、はやくも寝息を立てていました。
真っ暗なテレビルームに敷き詰めた布団に身を横たえてしばらくすると、Kの体のもうひとつ向こう側からひそひそとささやく声が聞こえてきました。
――おばあちゃんが「キチクベイエイ」って口走ったとき、あなたのお母さん、まっさおな顔してたね。
雨足が渦を巻きながら、静かに勢いを増しはじめていました。
『半難民生活』、久しぶりの更新となりました。原発震災後、妻と子を避難させた沖縄を久しぶりに訪れた著者。そこで突きつけられたのは、今もその地に色濃く残る〈戦争〉の姿でした。〈アメリカと日本は、寄ってたかって沖縄のことを食い物にしてきたのではないだろうか〉――著者の思いは、どこへ向かうのか。ご意見・ご感想も、ぜひお寄せください。
こちらの連載、楽しみにしているのですが、いつも読む度に涙がでます。登場する方々それぞれの色々な感情(戸惑いや葛藤、深い悲しみ、そして喜びも)が伝わってきて・・・
3・11の後、何に一番気がついたかといえば、いかに自分が色々なことを知らなかったか、ということです。原発のことだけでなく、沖縄のことについても。心痛む現実や歴史にもっと目を向けていこうと思います。