原発震災後の半難民生活

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 よほど虫の居所が悪かったのでしょうか。私の母は、さっきから怒りのやり場がないといった様子で、キッチンと食卓の間を行ったり来たりしていました。そして意味もなく冷蔵庫の開け閉めをくりかえした末に、いちど食卓に出した皿をすぐに下げようとするのです。

 義父が不審に思ったのも無理はありません。実際、母が示す乱暴な仕草のおかげで、食事はずいぶんと味気ないものになっていました。すぐとなりに座っている私に、義父はそっと耳打ちしてきました。

 ――Why is she so angry ? (どうしてあんなに怒ってるんだ?)

 説明するのが億劫だったので、私は生返事を返しただけでした。けれども、直接のきっかけが、祖母の口をついてでた「キチクベイエイ」という一言にあることは明らかでした。

 若い頃からアメリカ志向の強かった母は、留学先にはアメリカのミネソタ州を選び、再婚相手にもアメリカ人を選ぶほどでした。そんな母にとって、実の母親がいきなり夕食の席で、それもアメリカ人である夫の目の前で、「鬼畜米英」と発言することには我慢ができなかったのかもしれません。

 祖母がなぜ、どんな意図をもって、この戦時中に大流行した言葉を口にしたのかはよく分かりませんでした。とはいえ、日がな一日中ぼんやりと過ごす祖母からこぼれ落ちてくるのは、ほとんど決まって「ゴハン、まだかね?」か、そうでなければ、戦時中の記憶にかかわる切れ切れの言葉ばかりだったのですが……

 ――オカアサンたら、なにか、オコッテルのかね?

 祖母は向かいの席で小首をかしげながら、おびえた小動物のような眼差しを私のほうに投げかけてきました。いつからか、祖母は実の娘のことを「オカアサン」と呼ぶようになっていました。

 キッチンのほうでドタバタと物を取り落とす音がしました。母はまだ苛立ちの気持ちを押さえきれないようでした。

 そこまで腹を立てることなのだろうか…… そもそも義父はほとんど日本語が通じないというのに…… 

 私はなかば白けた気分になりながら、いくつかの記憶の切れ端がしだいに浮かびあがってくるのを感じていました。

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4章:ゴールデン・ウィーク――沖縄にて その2「キチクベイエイ」」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

    『半難民生活』、久しぶりの更新となりました。原発震災後、妻と子を避難させた沖縄を久しぶりに訪れた著者。そこで突きつけられたのは、今もその地に色濃く残る〈戦争〉の姿でした。〈アメリカと日本は、寄ってたかって沖縄のことを食い物にしてきたのではないだろうか〉――著者の思いは、どこへ向かうのか。ご意見・ご感想も、ぜひお寄せください。

  2. 斗和 より:

    こちらの連載、楽しみにしているのですが、いつも読む度に涙がでます。登場する方々それぞれの色々な感情(戸惑いや葛藤、深い悲しみ、そして喜びも)が伝わってきて・・・
    3・11の後、何に一番気がついたかといえば、いかに自分が色々なことを知らなかったか、ということです。原発のことだけでなく、沖縄のことについても。心痛む現実や歴史にもっと目を向けていこうと思います。

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