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このような私の感じ方にも、実はまだまだ曖昧な部分が残されていたのだと思います。そのことを認識したのは、私の胸を真っ直ぐに刺しつらぬく言葉と出会ったからでした。
その言葉とは、二〇一六年六月一九日の沖縄県民大会で読みあげられた二十一才の女性のスピーチです。全文は、六月二一日付の東京新聞朝刊に掲載されています。私はよく、二、三カ月分の新聞をまとめ読みする習慣があるので、実際にこのスピーチを読んだのは、七月に入ってからでした。
この女性のスピーチは、本稿の冒頭で言及した事件、つまり、うるま市在住の女性が、元海兵隊員によって暴行殺害された事件に触れていました。スピーチの文章から立ちのぼるのは、同じ沖縄県民として、同じ年頃の女性として、米軍基地の脅威と隣り合わせで生きることの悔しさとやるせなさでした。被害に遭ったうるま市の女性とは面識がないと断りつつも、自分がなぜ黙っていられなかったのか、なぜスピーチの場に登壇せずにはいられなかったのかを語るその文面は、ごまかしが微塵もありませんでした。ストレートに語られる言葉のひとつひとつが、私の胸にじかに響いてくるのでした。
ここで全文を引用することはしません。ただ、次の三つの段落だけは、どうしても避けて通ることができません。これらのパッセージこそ、私が曖昧に流してきた疑問や違和感に、これ以上ないほど明確な形を与えているからです。
――安倍晋三さん。日本本土にお住まいのみなさん。今回の事件の「第二の加害者」は、あなたたちです。しっかり、沖縄に向き合っていただけませんか。いつまで私たち沖縄県民は、ばかにされるのでしょうか。パトカーを増やして護身術を学べば、私たちの命は安全になるのか。ばかにしないでください。
――軍隊の本質は人間の命を奪うことだと、大学で学びました。再発防止や綱紀粛正などという使い古された幼稚で安易な提案は意味を持たず、軍隊の本質から目をそらす貧相なもので、何の意味もありません。
――バラク・オバマさん。アメリカから日本を解放してください。そうでなければ、沖縄に自由とか民主主義が存在しないのです。私たちは奴隷ではない。あなたや米国市民と同じ人間です。オバマさん、米国に住む市民のみなさん、被害者とウチナーンチュに真剣に向き合い、謝ってください。
こうして書き写しながら、私はこのスピーチの言葉によって、私自身が立っている足場を、逃げようのない仕方で問われていると感じています。
この女性は、沖縄県内の大学に通う学生さんだということです。この端的な事実は、大学で教える立場の私にとって、ぬぐいがたい重みを持っています。同じキャンパスで時間を共有してきた学生たちの顔が、目の前に浮かんで来るからです。
そこには、沖縄から勉強しに来た若者たちの顔も混じっています。かつて私の授業に出席し、場合によってはゼミ生になり、私のところで卒業論文を書いてから沖縄で就職した若者たちの顔…… あるいは今現在、私の授業を履修し、時には研究室にやって来て、地元のことを話してくれる彼ら、彼女らの顔……
いくつもの瞳が、スピーチの向こう側から、私のことを見つめているように感じるのです。
――岩真先生はどう思われますか?
そんな問いかけが、投げかけられているかのようです。
――先生は、今回の事件についてどういうお考えですか? 日本本土にお住まいの先生も、「第二の加害者」ではないのですか?
東京電力福島第一原発事故が起こり、飛行機に飛び乗り向かった先の沖縄は、その後、母子が生活する場所となることで、「地元」となりました。そこには、心あたたまる人々とのふれあいや安心感があると同時に、「本土」では想像することもできないような、厳しい沖縄の現実がありました。筆者の苦悩を、私たちがどれほど共有できるか、それが問われています。
これに似た事案は本州でも起きてますよね。
沖縄特有ってことはないでしょ。