原発震災後の半難民生活

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 携帯電話の向こうから、妻のすすり泣きが聞こえてくるのでした。家族を沖縄に避難させてからというもの、妻の泣き声は何度となく耳にしてきましたが、今回はいつもと様子がちがっていました。

 妻は鼻水を吸いあげると、我に返ったようにこう付け加えたのです。「いけない、いけない。またやっちゃった。ひとを呪わば、穴ふたつですからねって、あなたのおばあちゃんがこないだ教えてくれたんだ。なんでそのコトワザが口を突いて出たのか意味不明だったけれど、おばあちゃんいいこと言うなあって思ったよ」

 こちらが驚くほど迅速に、妻は気持ちを立て直していました。少なくとも、そうするように努めていました。この2、3年のうちに、感情が激しくなる一歩手前で、妻は自分に抑制をきかせるようになっていました。以前なら、身の周りで起きるすべてのことに対して鬱屈を溜めこんだ末、最後はその山積みになった感情を渾身の怒りに変換して、私に投げつけるばかりだったのですが、そのような場面はここのところ、めっきりと減っていました。大きな原因としては、あるキリスト教系の教会に入り、信仰を持つようになったことがあるのかもしれません。妻はよく言っていました。「わたしが神様を信じるようになったのは、Kのおかげ」。Kが通うM保育園は、その教会が経営していたのです。

 信仰を通して平常心を保つようになったとはいっても、妻の背負うことになった重荷が軽くなったわけではありません。たしかにG村での生活には慣れたし、教会のコミュニティーにも溶けこんでいました。周囲の人は妻を大切にし、KとEをかわいがってくれます。けれども、元々そこが自分の居場所ではないと思い詰めてきた妻にとって、私という片割れがそばにいず、近くに住む義父母からはさしたる支援ももらえず、毎日のようにたった一人でKとEの子育てに向きあわざるをえない生活は、ほとんど苦行のようなものだったにちがいありません。

 それにもかかわらずと言うべきか、だからこそと言うべきか、目の前の困難を前向きに乗り越えていこうとするようになった妻の姿を目にするたびに、私は申し訳なさを感じずにはいられなくなります。ましてやこのときは、流産という出来事が妻の身にのしかかっていました。私は遠くから何一つできず、ぽかんと事態の推移を眺めるばかりの自分に対して、やりきれなさと混ぜこぜになった、ほとんど怒りに近い感情を覚えていました。

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5章:再び宇都宮にもどってからのこと その1「憂鬱と後悔と」」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    実に1年半ぶりの更新となりました。その間、「フサギの虫」に取り付かれていたという筆者。なぜそんな状況になってしまっていたのか…その理由をかみしめるように書いてくださっています。さて、2012年3月から続いてきたこの連載も、いよいよ終盤を迎えます。引きつづき、お楽しみに。

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