原発震災後の半難民生活

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 「深刻に受け止めなくてもよいのでは?」「本当に戦争に参加するかどうかを決める場面になれば、政治というものは現実的に判断をくだすはず」――私の周囲には、そう述べるひともいました。

 私には、このような意見は自分のなかの淡い期待を語っているようにしか見えませんでした。実際、与党の国会議員たちが、同法案の採決前後におこなった発言は、こうした楽観的な見立てを吹き飛ばすほどの粗暴さにあふれていました。「法的安定性は関係ない」という当時の首相補佐官の暴言を覚えているひとは多いことでしょう。首相周辺の議員たちからは、「法案が成立すれば国民は忘れる」、「国民の理解が得られなくても成立させる」といった暴言も相次ぎました。このほか、「マスコミを懲らしめる」、「沖縄の2つの新聞はつぶさないといけない」など、メディアを恫喝する言葉が与党の懇談会で語られたことも忘れられません。

 たどっていけばキリがなくなりますが、同年3月の国会では、日本がかつてアジア侵略の際に掲げた「八紘一宇」のスローガンが、肯定的な口調で取りざたされました。そのやりとりに参加した副総理は、2013年7月29日、「(誰も気づかないうちにドイツのワイマール憲法を変えていった)ナチスの手口を学ぼう」と公言した人物です。

 この連載を始めたころ、私は「風評被害」という言葉の乱用によって放射能汚染の現実を否認するマスコミのあり方を批判的に描きました。私がそのとき書きつけたのは、「(こうした風潮を通して)言葉への信頼感が粉々に砕け散っていく」という一文でした。あれから数年が過ぎた今、私は当時の自分自身がまだまだ楽観的すぎたのではないかと感じています。

 2015年という年に私が目にしたのは、言葉がそのまま瓦礫と化していくような、荒涼とした光景でした。そして、2016年の現在、その瓦礫の下から、有無を言わさぬ暴力が間歇泉のように噴き出しはじめています……

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5章:再び宇都宮にもどってからのこと その1「憂鬱と後悔と」」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    実に1年半ぶりの更新となりました。その間、「フサギの虫」に取り付かれていたという筆者。なぜそんな状況になってしまっていたのか…その理由をかみしめるように書いてくださっています。さて、2012年3月から続いてきたこの連載も、いよいよ終盤を迎えます。引きつづき、お楽しみに。

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