原発震災後の半難民生活

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 こんなこともありました。

 ちょうどKは、義父宅のヒンプンのそばで、一人でオママゴトをしているところでした。窓ごしにその姿を眺めていると、妻がおもむろにKのオネショのことを話題にしてきました。沖縄に避難してしばらくすると、とっくの昔に卒業していたはずのオネショが、再開してしまったというのです。

 わたしの目から見るとね、と妻は切りだしました。ここまで生活環境が激変したわけだから、Kが子どもなりにストレスを感じるのは当然のことだと思うわけ。もしかしたら、オネショの再開はKのシグナルなんじゃないかしらって。けれどもあなたのお母さんときたら、とにかく布団を汚されることが我慢ならないみたいで、オネショのたびにわざわざKの前に仁王立ちになって、「またやっちゃったのねえ!」なんて腕組みしてみせるのよ。こんなに威圧的な態度を取られたりしたら、誰だって委縮するのは当然じゃない?

 妻の話では、Kは最近、私の母の前に出るたびに自信なさそうに下を向いてしまうということでした。彼女は畳み掛けるように話をつづけました。あなたのお母さんも、悪気があってやってるわけじゃないんでしょうけど、何と言ったってまだKは三歳なんだし、オネショくらい笑って流そうくらいの度量があってもいいはずだわ。布団なんか、チャチャッと洗って日干しにすればいいだけの話なんだから! 

 なるほど、こうしてひとつひとつのエピソードを聴けば聴くほど、彼女の言い分にももっともな所はあるように感じられました。それに、どうやら私の母は、「シツケがなっていないからこんな結果になるんじゃないの?」などと妻に批判の矛先を向けてくるらしいのです。もしかすると私の母は母で、いきなり転がりこんできた嫁たちとの共同生活に重荷を感じ始めていたのかもしれません。けれども子どもの生理的な問題を、親の「シツケ」のせいにしたり、子どもの「能力」のせいにしたりするのはどう見ても理不尽なことでした。何よりこうした心無い小言の積み重ねが、それまで母親としてKを育ててきた妻の気持ちを傷つけていたということは紛れもない事実でした。

 さらに言えば、義父と母が信仰している宗教の問題も、ひとつのネックになっていたと言えるかもしれません。母は義父と再婚すると同時に、キリスト教系の一派に入信し、毎週日曜日には必ず義父と連れ立って教会に通っていました。その宗派は信徒同士の結びつきが強く、義父宅にもひとつの交流の一環として、多くの信徒たちが入れ替わり立ち替わり訪れていたようなのです。当然、テレビルームに寝泊まりする若い母親と三歳の女の子のことは、彼らの間で話題にのぼっていたはずです。妻やKが、まったく価値観を共有していない人々に囲まれて、自分の身の上について話題にせざるを得ないような場面もあったことでしょう。ひょっとすると、あからさまにではないにしても、なんらかの宗教的な勧誘を受けていた可能性も否定はできませんでした。事実、私の義父や母がKのために買ってくる絵本やグッズは、ほとんどすべて、その宗派の教会が出しているものばかりでした。

 こうしたことが少しずつ蓄積する過程で、徐々に妻の精神状態が追い詰められていったように思われてなりません。

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4章:ゴールデン・ウィーク――沖縄にて その4「ガジュマルの木の下で」」 に1件のコメント

  1. なかもと より:

    思い出すのも書き出すのもお辛かったでしょうに、本当にありがとうございます。
    「何が一番正しいのか」を見つけるのも設定するのも本当に難しい問題です。

    子供はいろいろなことを敏感に感じて、子供なりに一生懸命なのでしょうね。
    それがポジティブであってもネガティブであっても、それが「親の本気」から来るのであればきっとそういうことも糧にして、たくましく育ってくれるのではないか、そうあって欲しいと思います。

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