原発震災後の半難民生活

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 汚染の不安、余震の不安が、こうして静かに渦を巻きながら、私の中で沈殿していくのでした。それらの渦は否応もなく、私の中に生じた微細な感情をも巻きこまずにはおきませんでした。

 自分だけが遠くへ逃げてしまったことへの自責の感情については、すでに説明した通りです。けれど、私の胸がざわついた理由は、そればかりではありませんでした。

 たとえば、Xさんのメールを見て以降、私の中でもうひとつ別の、ネガティヴな思いが頭をもたげはじめていました。それは一言で言えば、今まで住んでいた場所に、元通りの状態で、つまり近所の人たちとの間にシコリを残すことなく戻ることはできないかもしれないという焦燥感でした。

 とくに妻が置かれた立場は私よりもはるかに複雑だったので、このような感覚がいっそう増幅していたのではないかと思います。

 家に帰りたい。使い慣れた台所で料理がしたい。妻はことあるごとにそう繰り返しました。だけど、Xさんの態度を見ていると、いま宇都宮に戻ったりしたら、Kがいじめられるんじゃないかと不安になる。だからといって、こんな避難所生活みたいなことを続けていくわけにもいかないし、どうすればいいのか途方に暮れてしまう……

 「じゃあ、沖縄で別の家に移ることを考えてみようか」と私が持ちかけると、この応答の仕方が軽薄に見えたのでしょうか、みるみるうちに妻の口元がふるえはじめました。「あなたは何を言ってるの? あたしにひとりで生活しろっていうの? 三歳児をひとり抱えて、もうひとりお腹の子どもを産んで、そういうことを全部ひとりでこなせっていうの?」妻は最後まで言い切るなり、まるで私からの応答そのものを拒否するかのように、両手で耳に蓋をしてみせるのでした。

 こうして自縄自縛の感情と戦いながら、妻はその捌け口のすべてを、私にぶつけるよりほかになくなっていったのだと思います。私が何の気なしにする発言や挙措動作のすべてが、妻の気持ちを逆なでするようでした。彼女は二言目には、私の放射能に関する認識に当てこすりを述べるようになりました。その精神状態は避難当初よりも明らかに悪化し、袋小路にぶつかっている様子でした。

 私自身でさえ感情のぶれや混乱に当惑していたのですから、プライヴァシー・ゼロの生活に加えて、刻一刻と出産当日に近づいていく妻が、漠たる不安に押しつぶされそうになるのは当然と言えば当然のことでした。私にはそのような妻の現状を黙って見守るほかに為す術もありませんでした。本当にどうすればこの出口なしの状態から抜け出せるのかが、私にも分からなかったのです。

 けれども、再三に渡ってなじられ続ければ、私も人並みに腹は立ってきます。私が言うこと為すことの一切合財を否定してかかる彼女の態度には、堪忍袋の緒が切れかかることも二度や三度ではありませんでした。こうして気がつけば、せっかくの短い滞在期間中にもかかわらず、いがみあいのような、小競り合いのような不健全な関係が、私たちの間でほぼ常態化するようになっていきました。

 ある時、妻は何の脈絡もなしに、私の祖母の徘徊について愚痴をこぼしはじめました。オバアチャンはいつも夜中に起き出してきて、カーテンの向こうで用を足しはじめるんだけど、いったんトイレ・タイムがはじまると、ものすごく長くてかなわない。いつまでもジョボジョボジョボジョボやってるものだから、こっちも自然と目が覚めちゃうのよ。

 私が黙ってうなずくと、妻は勢いづいて続けるのでした。それだけならまだいいのだけど、いきなりカーテンを開けて、こちらが寝ている布団のすぐそばまでやって来て、「呼んだかね?」なんて大きな声を出して聞いてくるわけ。耳が悪いから仕方ないのかなと思って、「呼んでませんよ」って答えると、しばらく首をかしげてから、「あなた様は、どちら様ですか?」なんて、ちぐはぐな答えが返ってくるから参ってしまう。今まであなたに伝えるのは控えてきたけれど、こういうことが続いたおかげで眠れなくなる晩が、一度や二度じゃなかったってことはちゃんと知っておいてほしいわ。

 妻はそこで私の反応を確かめるように一呼吸置いてから、さらに話を進めていきます。そういえばこの間なんて、オバアチャンの部屋があまりに臭うものだから、「さすがにおかしいな」と思って片づけをしていたら、いきなり箪笥の中から汚れたオムツが出てきたのでびっくりしたわ。大急ぎで薬局まで走って、ありったけの臭い消しを買ってきて、箪笥の中に詰め込んだのよ。

 たぶん、オバアチャンとしては恥ずかしくて、誰にも言えなくて、人目につかない所に隠してしまいたかったんでしょうね。それはまだまだオバアチャンの頭がしっかりしている証拠だなと思ったけれど、むしろ問題はあなたのお母さんよね! わたしがこのことを報告したらカノジョなんて言ったと思う? 「ああ、そうですか」だってさ! この人はいったい何を言ってるのかしらって、ショージキ絶句しちゃったわよ。自分の親の汚れ物を嫁に片づけさせておいて、「ああ、そうですか」はないでしょうが!

 いつしか妻の愚痴の矛先は、祖母のことから母のことへと横滑りしていきました。きみの言うとおりだと思う、申し訳ないことをした。私はそんな相槌を打ち、現に申し訳なさを感じつつも、激しい言葉のボディブローを浴びせられているような、思わず耳を塞ぎたくなるような気分でいっぱいになるのでした。

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4章:ゴールデン・ウィーク――沖縄にて その4「ガジュマルの木の下で」」 に1件のコメント

  1. なかもと より:

    思い出すのも書き出すのもお辛かったでしょうに、本当にありがとうございます。
    「何が一番正しいのか」を見つけるのも設定するのも本当に難しい問題です。

    子供はいろいろなことを敏感に感じて、子供なりに一生懸命なのでしょうね。
    それがポジティブであってもネガティブであっても、それが「親の本気」から来るのであればきっとそういうことも糧にして、たくましく育ってくれるのではないか、そうあって欲しいと思います。

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