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言うまでもないことですが、私の周囲で起きていたことのどれもこれもが、後ろ向きなことばかりだったわけではありません。たとえば、宇都宮の職場では、私の気持ちを奮いたたせてくれる小さな事件が起きていました。今でもよく覚えているのですが、私は本務校のサーバーで飛び交う同僚の先生たちのメールのやりとりを読み続けることで、その事件を遠く沖縄の地で「共有」することになったのです。
その頃、職場の生協食堂では、ひとつのキャンペーンが始まっていました。「風評被害」にあった栃木県北部産のホウレンソウを、「若い学生さんたちにも食べてもらおう!」というのです。きちんと食材の汚染を測定することもなく、汚染と健康被害に関する検証を試みることもなく、「風評被害をはねかえそう!」という掛け声が独り歩きする光景は、当時の東北や北関東のあちこちで見られたものでした。ご多分に漏れずということだったのでしょう、私の職場でも学長ご本人が先頭に立って、若い学生たちにホウレンソウを配りはじめたという情報が流れていました。
この流れに「待った」をかけたのが、S先生とW先生でした。二人の先生は学長と直談判し、おおむね次のようなメッセージを届けたのだと言います。
――たとえば、二十年近く前に起きたチェルノブイリ原発事故には、いまだに様々な評価が存在している。とくに健康被害のリスクに関しては、今日に至るまで共通の了解が成立していないというのが実情である。これまでの環境問題の歴史を踏まえると、こうした科学的な不確実性が残るようなケースは、巧妙に政治利用されるのが常であった。だから、リスクをどこまで見積もり、そのリスクをどのように回避するかは、個々人の判断に委ねられるべきだと私たちは考えている。いま、学長ご自身が率先して野菜の無料配布を続けていけば、本音では食べたくないと思っている学生たちまで、半ば強制的に食べざるを得ないことになるだろう。大学は学生の自由意志に基づく選択を尊重する場なのだから、そのような事態だけは避ける必要があるのではないだろうか?……
メールのやりとりによれば、W先生とS先生はこの直談判をするにあたって、それぞれ学長にプレゼントを持参したということでした。
W先生が持って行ったのは、「チェルノブイリ原発事故の健康影響度評価」の一覧表でした。この表は、日本の首相官邸、チェルノブイリ・フォーラム、WHO、IARC、キエフ会議報告、グリーンピース、ニューヨーク科学学会、IPPNW(核戦争防止国際医師会議)など、各種国際機関の公表資料をもとにW先生が作成したもので、とても分かりやすく整理されていました。この表を見れば、それぞれの機関が、どのような調査方法で、どのような根拠に基づいて、どのような「健康影響評価」を下しているのかが容易に俯瞰できました。「評価主体」の違いによって、方法、根拠、評価の尺度がこんなにも異なるのかということを伝える貴重な資料でした。
一方、S先生が準備したのは、栃木県内にある自宅の裏でとれたタケノコやシイタケでした。「汚染されている可能性があるので、とりあえず、うちの子たちに食べさせるのは止めました。もしよろしければ、学長先生に『食べて応援』していただければと思いまして、持参いたしました」――S先生はそう言って、山盛りのタケノコとシイタケを学長の腕のなかにプレゼントしたということです。先生たちのメールを通して報告されるこの会見の模様を想像しながら、私は少なからず痛快な気分になったものでした。
結局、W先生とS先生の説得に応じて、学長は生協食堂での無料配布をきっぱりと止めました。大学当局が率先して「安全宣言」の代弁者になるような場面はなくなったのです。また、この会見がひとつの端緒となって、放射能汚染や原発避難の問題に関して、学長や理事たちが一定の理解を示すようになったことも大きな収穫だったと思います。実際、二人の先生がそれぞれの現場で開始した福島からの避難者支援活動に対して、後に学長からの裁量経費が下りることになったのですから。
とはいえ、二人の先生が切り開いた学内状況の背景には、どんどん深刻さを増す現在進行形の汚染が横たわってもいたのです。当時の新聞記事を振り返ってみても、そのことがよく分かります。
たとえば、4月28日には、厚生労働省が、それまで設定されていた原発作業員の被曝上限(年50ミリシーベルト)を撤廃するという報道がされています。これは大量の放射能が放出されたことで、被曝限度の「基準」を変えない限り、事故の収束に当たる作業員を確保できなくなってしまう、という国側の危機感の現われと言ってよいでしょう。
翌4月29日には、放射線安全学が専門で、内閣官房参与の小佐古敏荘東大大学院教授が、政権の原発対応の遅れに抗議し、辞任会見を開いています。涙を流しながら「抗議辞任」するこの教授の映像を記憶している人は少なくないはずです。
また、5月3日には、福島原発沖の海底の土から、通常の百倍から千倍にまで及ぶ放射性物質が検出されたという記事も残っています。このような一連の流れを見れば、福島第一原発から80キロも離れていないところに県境のある栃木県が、なんのダメージも受けていないなどということは、ごく常識的に考えて、ありえない話でした。
その間も、震度4から震度5クラスの地震が、東北沿岸を中心に頻発していました。私は連日のように、ネット上で地震速報ニュースを追いかけていました。震災前なら適当に流していたレベルの地震も、あの事故の後では恒常的な不安の源になっていたように思います。
思い出すのも書き出すのもお辛かったでしょうに、本当にありがとうございます。
「何が一番正しいのか」を見つけるのも設定するのも本当に難しい問題です。
子供はいろいろなことを敏感に感じて、子供なりに一生懸命なのでしょうね。
それがポジティブであってもネガティブであっても、それが「親の本気」から来るのであればきっとそういうことも糧にして、たくましく育ってくれるのではないか、そうあって欲しいと思います。